第13話 アダルト
「アッ。こんなところにいらしたんですね」
如何にも驚いたように顎を引っ込める栃君。情けなくもカラダを大きく震わせた私の蒼白な顔面と、明石さんの落ち着き払った顔面とを順に見回してから、彼は、カラぶったように視線を何処かへ右往左往と泳がせた。
「
「私は、てっきり君と同行しているものかと……」
それから私は栃君に話して聞かせた。あの毛むくじゃらの男には害意がある事、助けに入ってくれた桓口さんが拳銃を発砲した事、彼女が行方を眩ませた事等々……男子便所の行き止まりで遭遇した
「勿論、君もアレを見たんだろうね。ジョッコー・モンキーみたいに眼の球をピリピリと血走らせた、不潔な身なりの
玄関で目にしたあの凄絶な光景は、当初、あまりの衝撃からバラバラに突き崩され、極めて抽象的な一枚の絵画のようになっていた。
そうした訴えようのない精神的苦痛に静かに耐えながら、私は、男の
しかし、栃君の返事はイマイチ判然としないものだった。人間社会からまったく排斥されたようなあの男の身なりを、彼もハッキリと
「マア、拳銃を所持していますから万が一という事には至らないでしょう。……そんな事よりも実は俺、先生方よりも一足先に此方の部屋を物色していまして、少々気になる品を発見したので是非見てもらいたいんです」
職員室の名簿から、
彼の言う
▼ぴから児童養護施設日誌 いさり よぎあし
――昭和六十二年六月六日土曜日(西暦一九八七年)
ぴからこじいん に はいった。
お父さん は おしごと に でかけてて しばらく あえない。
となり の おふとん の 子 と ともだち に なった。
Cくん と いう なまえ。
先生のお返事:過足くん。これからよろしくね!
(ここから仮に「少年C」と呼称する)
――六月二十五日木曜日
こじいん に なれてきた。
ぼく は Cくん と いっしょ の はいぜんかかり。
ごはん を よそう。
きょう は すごく かわいい 女の子 が はなしかけて くれた。
Cくん は はずかしそう に うつむいて いた。
先生のお返事:過足くんは配膳係になったんだね。お友だちも出来て、施設にもだんだんと慣れてきているようで先生は嬉しいです! その女の子とも仲良くなれるといいね!
――七月一日水曜日
ゆうき を 出して あの 女の子 に はなしかけて みた!
Aちゃん と いう なまえ。
すごく かわいかった!
お友だち に なってくれた!
先生のお返事:えらい! 勇気も元気もいっぱいで過足くんは良い子だね!
――七月三十一日金曜日
きのう の ゆうがた に ねんちょう の 男の子たち が 中にわ で 大きな がくせいさん と たのしそう に オモチャ を こうかん してた。
ぼく も オモチャ が ほしい と 言ったら
子ども は どうやって つくるとおもう?
と きかれたので わからない と こたえたら
チュー を すると 子ども が できる と おしえてくれた。
オモチャ は もらえません でした。
先生のお返事:学生さんからオモチャがもらえなくて残念! その代わりに、お友だちと一緒に納涼祭で沢山遊べるといいね!
――八月二十三日日曜日
納涼祭 で 配膳係だった Cくん が Aちゃん の きれい な きもの に まちがえて やきそば を かけた。
Cくん は なんかい も ないて あやまっていた。
Aちゃん の きもの かわいかった ので 残念。
先生のお返事:Aちゃん可哀想だったね……。でも、Cくんは「ごめんね」って素直に謝って仲直りできたし、Aちゃんもすぐに許してあげられたから二人ともえらかったよね!
――八月二十五日火曜日
Cくん の まくら の 下 から 女のひと の はだか の しゃしん が 沢山 のっている ほん が 出てきました。
先生たち は Cくん が それ を もっていた 事 を おこりました。
でも わかりません。
あれ は 学生さん が 子ども と こうかんしていた オモチャ です。
Cくん は いつも ぼく と 遊んでいたのに なぜ もっているの。
Cくん は ■い子 なのですか。(筆圧が強く、一部の字が潰れている)
先生のお返事:とても残念な事だけど、C君は持っていちゃダメな物を持っていたの……。過足君は、ああいう
――九月十五日火曜日
きょう は 施設 に 沢山 の 本 が きふ されました。
きふ された 本 は みんな に くばられました。
ぼく には ドグラ・マグラ という だいめい の 本 が くばられました。
とても むつかしい 本 ですが 先生 よみかた を おしえて ください。
先生のお返事:あらら。それはまた凄い本をもらっちゃったね。難しい漢字が沢山書かれているから、今度一緒に読んでみよう!
――十月二十一日水曜日
C君 が イジめられて いる のを 観てしまいました。
Aちゃん が それ を 笑って 見ていました。
きっと 夏 の 納涼祭 の 事 を まだ 怒って いるのでしょう。
先生 僕 は 大好き な Aちゃん が 悪い事 を している のを これ以上 見たくは ありません。
C君 が イジめられる のも 厭です。
先生 僕 は Aちゃん を 止める べき でしょうか。
それが ■い 事 なのでしょうか。(筆圧が強く、一部の字が潰れている)
先生のお返事:過足君のしようとしている事は善い事だよ! 大好きなお友達が悪い事をしているのは悲しいよね。暴力を振るわれているのは悲しいよね。世の中は、理不尽な暴力を目の当たりにして傍観しかできない人であふれています。その現場に割って入って正しい事を為せるのは、ほんの一握り。先生との約束を思い出してごらん。良い大人に育つチャンス!
――十月三十一日土曜日
勇気 を 出して Aちゃん を 叱りました!
Aちゃん は ちゃんと 反省して くれました。
C君 も ありがとう と 言ってくれました。
これで 本当に 仲直り できました。
先生のお返事:やったね! ちゃんと仲直りできてよかった! 過足君はきっと優しくて良い大人に育つよ!
――十一月九日月曜日
僕のくつ と 枕 が 無くなっていました。
先生のお返事:あらら。きっと何処かにある筈だから、もう一度探してみようね!
――十一月十一日水曜日
Aちゃん は 僕 を 虐める 事 に したようです。
前 まで 仲が良かった 友達 が 暴力 を 振るいます。
助けてください。
先生のお返事:(可愛いパンダのスタンプが押されている)
――十一月十五日日曜日
C君が僕を殴りました。
Aちゃんの指図です。
僕が何か悪い事をしたのでしょうか。
先生、僕は善い大人になれるのですよね。
先生のお返事:(可愛いパンダのスタンプが押されている)
――十一月二十八日土曜日
先生、僕は正しいのでしょうか。
先生のお返事:(可愛いパンダのスタンプが押されている)
――十二月三日木曜日
朝のお祈りをしませんでした。お祈りをしなかった僕を、先生は何度も叱りました。先生は僕を何度も殴りました が やはり僕が十字架に頭を垂れる事はありませんでした。
先生のお返事:
――十二月十四日土曜日
今日もお祈りをしませんでした。一昨日、昨日と同じように先生は僕を殴りました。けれども、僕が
先生は僕に訊きます。
「何故、神様に祈りを捧げないのですか」
僕は先生に訊き返します。
「貴方のように善悪の解釈が歪んだ人間が崇拝する神などタカが知れている」
先生はまた、彼女が取り決めた、人間の取り決めた罰で僕を殴ります。
先生のお返事:
――十二月二十五日金曜日
以前、肌色の多い写真が沢山載っている雑誌を見た時に、なにやら見慣れない白濁した水がそこいらじゅうに撒き散らされているので不思議に思ったものですが、今日その正体が分かりました。
職員室の■■にしまってある■■と同じなのですね。(一部、文章がペンの
先生のお返事:
――一月二日土曜日
トテモ悲しい事がありました。大好きなAちゃんが、ジャングルジムから転落して死んでしまいました。元旦に、先生たちが酔って眠ってしまわれた後の出来事だったそうです。
先生に内緒で中庭に行ったという事は、やはりAちゃんも、学生さん達がくれるオモチャが欲しかったのでしょうか。先生、先生、見てください。Aちゃんは悪い子だったようです。罰を与えてください。
先生のお返事:(欄が鉛筆で真黒に塗り潰されており、字を記す事が出来ない状態である)
――一月三日日曜日
先生は、Aちゃんに罰を与えないまま解放しました。善の立場にあるにも関わらず、正しく罰を与えるという
先生は、善人にも悪人にもなり切れなかった、ヒトという種の落第生です。
先生のお返事:(欄が鉛筆で真黒に塗り潰されており、字を記す事が出来ない状態である)
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