第59話 心底、懲り懲りだ

園遊会が終わっても、夜はまだ終わらない。


皇后宮殿に入ったわたしは、奥の一室でパトリシアと向き合った。



「パトリシア。ゆっくり話をしましょう」


「……いまさら、話だなんて。さっさと首を刎ねたらいいでしょ?」


「バカ。初代皇帝陛下の系譜を受け継ぐことになったわたしが、大地に血を吸わせるようなことする訳ないでしょ?」


「バ、バカって言わないでよ! ちょっと賢いからって……、ちょっとじゃないけど……」



高貴の優雅のといっても、それは公式の場での話だ。


ひとたび、プライベートな場に戻れば、もとの姉妹関係が顔をのぞかせる。



「パトリシア、だけど姉はちょっと忙しいの」


「……は?」


「すぐ戻るから、ちょっとこの部屋で待ってて」


「……好きにしたら?」


「逃げないでよ? あなた、すぐ逃げるんだから」


「うむ」



と、同席してくださっている皇后イシス陛下が、その美しくツヤのある褐色のほほを、すこし赤らめられた。



「妾とカタリーナで見張っておる。気にせず、用事を済ませてくるといい。マダレナ……ちゃん……」


「すみませ~ん。養母ははと仰がせていただいて1時間もしないのに、いきなりこき使ってしまってぇ~」


「お……、お姉ちゃんもいるんだから、大丈夫よ。マダレナ……ちゃん……」



と、やっぱりほほを赤くされる第2皇女カタリーナ殿下。


たぶん、わたしのほほも、ほんのり赤い。


あたらしい親子関係が生じたのは、つい先ほどのこと。


まだ、距離感がつかめてない。



「お姉ちゃん! いいですわね、カタリーナ……お姉……様……」


「そ、そう……? 私には姉と兄しかいなかったから、私にも妹が欲しかったのよねぇ……。マダレナ……ちゃん……」



姉君の第1皇女殿下は、すでに臣籍降下し輿入れされている。いずれ、わたしもご挨拶にうかがわなくては……。


けど、いまはそれより――、



「パトリシア! ついにわたしも〈妹〉になったわ!」


「はあ? ……それが、なによ?」


「すこしだけ憧れてたのよねぇ……、妹」


「……バカじゃないの?」



生まれたときから妹だったパトリシアに、わたしのこの気持ちは分かるまい。



「それじゃあ、すみません。イシス……お養母かあ様、カタリーナ……お姉様。できるだけ早く戻るんで、ちょっとパトリシアを見張っといていただいていいですか?」


「うむ。任せておけ」


「この娘、ほんとすぐ泣くんで。この娘の涙でコロッと騙されちゃう人、ほんと続出なんで、ほんと気を付けてくださいね?」


「ほほう」


「……もう、泣いてないわよ」


「あら、成長したのね? パトリシア」


「……うるさい」



カタリーナ殿下がニマッと笑われ、パトリシアの肩を抱いた。


監視の目から解放され、清々しい気持ちでいっぱいといったご様子のカタリーナ殿下。



「家系図的にはごちゃごちゃしちゃって、ひと晩寝てからゆっくり考えたいんだけど……」


「なんか、すみませ~~ん」


「マダレナちゃんの妹ちゃんなら、私にとっても妹みたいなもんでしょ? お姉ちゃんに任せときなさいって!」


「ほんと、むり言ってすみませ~~ん」


「いいから、さっさと行って用事とやらを片付けてきなさいよ。マダレナちゃん」


「はいっ! カタリーナお姉様!」



ベアトリスを連れ、そそくさと部屋をでる。


頼りになる養母ははと姉ができて、心強い限りだ。


なにせ、第1皇子フェリペ殿下や〈辺境伯派〉から監視され、どれだけ圧迫されても最後まで屈しなかったおふたりだ。


パトリシアごときに籠絡されてしまう心配もないだろう。


下手に騎士なんかに見張らせるより、よほど安心だ。



「……皇后陛下をあごで使うとはね」


「なによ、ベア。……お養母かあさんなんだから、頼らせてもらってもいいじゃない?」


「ふふっ。ほんと、マダレナといると考えられないことばかり起きるわ」


「ベア、のん気なこと言ってる場合じゃないのよ?」


「え?」


「フリアに続いてだけど、ベアにも走ってもらうから」


「……どういうこと?」


「ベアのはある意味、快適な旅になるはずだけど、とても重要な役目をお願いしたいのよ……」


「うん……、分かったわ」



ほんとうは、すぐにでもアルフォンソ殿下の胸に飛び込んで、よしよしと頭を撫でてもらいたい。


頑張ったねって、褒めてもらいたい。


だけど、先にやっておきたいことが、たくさんある。


損な性分という気もするけど、ここは丁寧にやっておかないと、たぶんあとで後悔してしまう。


わたしは皇后宮殿内の、別の一室へと急いだ。


あたらしい住居にすぐ馴染むのは、わたしの特技だ。



   Ψ



移動の途中、ルシアさんに休んでもらっている部屋をのぞく。


幼馴染の仕立職人ホアキンと手を握り合い、ふたりでスヤスヤと眠っておられた。


〈聖女の呪い〉が解けたことで、ルシアさんのお身体は急速に、本来あるべきお姿を取り戻していっているはずだ。


安静にしてるよう、堅くお願いしてある。


おおきく息を抜いたベアトリスも、安堵したように微笑んだ。



「幸せそうな寝顔ね、ルシアさん……」


「ええ、ほんとうに」


「でも……」


「なに?」


「ルシアさん、公爵に叙爵されちゃって、ホアキンとあたらしい〈身分違いの純愛譚〉になっちゃいそうね」


「……うん。ま、それは追い追い解決していくわ」


「ふふっ。マダレナ閣下がそう仰るなら、どうにかされるんでしょうね」



ふたりの寝顔を眺めながら、ベアトリスとヒソヒソ微笑みあう。


パトリシアの仕掛けた、



――アルフォンソ殿下はマダレナを誘惑し、白騎士ルシアの〈心を操って〉謀叛を企んでいる。



という謀略は、


わたしが白騎士の心を操るどころか、ルシアさんを解呪し〈白騎士ではなくしてしまった〉ことで、崩壊した。


白騎士でないルシアさんと心を通わせたところで、それはほんとにただの〈お友だち〉だ。


また、同時にそれは、パトリシアの謀略に乗っていた〈辺境伯派〉の主張が崩壊したことを意味し、


さらには、皇后イシス陛下が家籍をオルキデア家に移されたことで、


ネフェルタリ辺境伯家は、外戚としての地位を喪失した。


近く、辺境伯本来の辺地を護るという役目に専念させるため、地方貴族にもどす勅命が降りるはずだ。



――褐色の貴公子。ほんとに、いいとこなかったわね……。



すでに今晩のうちに、ルイス公爵閣下による〈辺境伯派〉の切り崩しと、〈第2皇后派〉の巻き返しが始まっているはずだ。


菖蒲色の瞳を凛々しくギラギラと輝かせた、エレオノラ大公閣下のツヤツヤのお肌が目に浮かぶ。


面倒な権力闘争は、得意な方々に任せておこう。


そして、ルシアさんを聖都に送る意味はなくなったし、アルフォンソ殿下とロレーナ殿下の地方巡察という話は、間違いなく立ち消えになる。


わたしも皇太子妃に内定し、皇家の家籍に加えていただくことが確定。


中央貴族であるかどうかは、どうでもよくなった。


完全勝利と言ってよい。



「むふん」



と、すこしだけ勝ち誇ると、ベアトリスがルシアさんたちを起こさないように、ちいさく拍手して褒め称えてくれた。



   Ψ



4人の白騎士様に待機していただいていた一室に入ると、


すでに〈お姉様〉たちはピンクのドレスを脱ぎ、白銀と黒の魔鉄の鎧に着替えておられた。


だけど、みなさん、とてもいいお顔をされている。



「マダレナ閣下。今日は、ほんとうにありがとうございました」



と、少女のような容貌をされた白騎士アメリアさんはじめ、


紅蓮の瞳をキラキラと輝かせたみなさんが、深々とあたまをさげてくださった。



「アメリアさん。そして、みな様の……、お姉様方の〈解呪〉も、必ず、必ず、やらせていただきます」


「……ありがとうございます。でも、焦らないでくださいね? 私たち、もとの身体に戻れるって分かっただけでも、とても感激していて、胸がいっぱいなんです……」



白騎士様は帝国の最高戦力。


突然全員がいなくなると、大陸内のパワーバランスが崩れ、おもわぬ紛争や武力衝突を招かないとも限らない。


群臣は戦乱期の大陸に割拠した、群雄に起源を持つ家門が多い。


彼らの領土的野心を押さえ込んでいるのは、儀礼と序列、帝都から派遣される〈庭園の騎士〉、


そして、なにより白騎士の存在だ。


また、白騎士不在となれば、それこそ大陸外からの侵攻も懸念される。


お姉様方も、そこは理解してくださっておられた。


だけど、わたしが急いで会いに来た理由は、そのことを告げるためではない。



「お姉様方には急ぎ、聖都に向かってほしいのです」


「聖都に……?」


「……おひとり、聖都で静かに〈終焉〉を待たれているお姉様がいらっしゃいますよね?」


「え、ええ……」


「すぐにお姉様方の駆る〈揺れない馬車〉で、わたしの領地エンカンターダスに運んでいただいきたいのです」


「……それは?」


「すでに〈終焉〉が進行されているお姉様に、ルシアさんとおなじ〈魔導薬〉……、いえ〈解呪薬〉を飲んでいただくのは、ショックが大きすぎる可能性があります」


「はい……」



ちなみに〈解呪魔法〉は、太古の魔導書にも記載がある、立派な魔導だ。



――わたしが復活させた太古の魔導。



と、皇帝陛下に大見得をきるにあたって、変に揚げ足をとられないよう、



――〈魔導薬〉も〈解呪薬〉も、意味はおなじ。



と、理論武装にぬかりはなかった。


才媛なので。



「ですから、〈終焉〉を待たれているお姉様には、まずはエンカンターダスの秘湯の湯に浸かっていただき〈終焉〉の進行を止めていただきたいのです。……いわば、湯治です」


「……マダレナ閣下、なんという……」


「どうか、お姉様方も一緒に温泉を楽しんで来てくださいませ! お肌がツヤッツヤになりますよ!? ……そして、お姉様方の〈終焉〉の進行も止まるはずです」


「分かりました。……お心遣い、ほんとうに感謝いたします」


「ベアをお連れ下さい。秘湯の場所も知っていますし、ほかの者に立ち入らせないよう手配もさせます」



そして、ルシアさんの下腹部にあった太古の呪紋のような〈ただれ〉。


〈終焉〉間近のお姉様には、あれが全身に広がっている。目にすれば衝撃的なお姿になっておられるはずだ。


ずっとルシアさんと温泉に浸かり、ある程度免疫ができている、ベアトリスにしか頼めない。



お姉様方とベアトリスには、聖都に向け、ただちに出発してもらった――。



   Ψ



優秀な女性文官であるナディアが、すでに開設してくれていた、わたしの執務室に入る。



「ナディア。今晩のうちに、皇后宮殿を完全に掌握してちょうだい」


「承知いたしました」


「イシス陛下とカタリーナ殿下のご希望で残したメイドなんかも、身元を洗って、必要があれば監視をつけてほしいの」


「畏まりました。すでにマダレナ閣下の邸宅に勤めていた者たちを使い、作業に取り掛からせております」


「さすが、ナディア。仕事がはやくて助かるわ」


「恐れ入ります」


「それから、第1皇子妃のイサベラ妃殿下に、今晩のうちに書簡を出すから封蝋の準備をお願い」


「……妃殿下にですか?」


「う~ん……。悩んだんだけど、やっぱり、いまの状況でフェリペ殿下を支えられるのは、イサベラ妃殿下しかいらっしゃらないでしょう? ……離縁するとか言われちゃってたけど」


「……さ、支えるのですか? フェリペ殿下を……?」


「……辺境伯家が外戚の地位を失って後ろ盾をなくした上に、ご自身を支持する〈辺境伯派〉は崩壊……。だけど、第1皇子の地位をはく奪された訳じゃないし……」


「ええ……、それは……」


「それに、アルフォンソ殿下のご気性でしょ~~~~~~ぉ? ご自身が皇帝にご即位されても、兄であるフェリペ殿下を粗略に扱うとは思えないのよねぇ~~~」


「ああ、それは……、たしかに」


「……わたしとは考え方がちっとも合わないし、むしろハッキリとキライなんだけど」


「ええ……」



クスリと笑うナディアと、苦笑いを交し合う。



「フェリペ殿下には早目に立ち直ってもらって、考え方も改めてもらって、皇帝アルフォンソ・デ・ラ・ソレイユ陛下の治世で、帝政に重きをなしてもらわないとね」


「承知いたしました。すぐに準備いたします」



もう姉妹、兄弟間の感情のもつれで大騒ぎになるのは、心底、懲り懲りだ。


はやくアルフォンソ殿下の胸に飛び込みたいという気持ちを抑え、ペンを走らせた――。



   Ψ



今晩のうちにやっておきたい用事を片付け、パトリシアを待たせてある部屋へと足早に戻る。


表情を引き締め、中に入ると、


パトリシアは、揉めていた。


……アルフォンソ殿下と。


そばにいるイシス陛下とカタリーナ殿下の顔は、なにやら赤い。



「やあ、マダレナ。お帰り」


「いや……、アルフォンソ殿下? こちらでなにを?」


「パトリシアがね、まだジョアンのことを好きだって言うものだから……」


「まあ!! ……呆れた」


「……なによ」



拗ねたように口を尖らせ、わたしを睨むパトリシア。



「あいつ……、本物のバカでクズよ?」


「分かってるわよ……、そんなこと」


「パトリシアだって、最後は路銀を持ち逃げされたんでしょ?」


「……最後じゃないもの」


「えっ?」


「好きなの! まだ、好きなの! 大好きなの! ずっと、好きだったの! 好きじゃ、ダメなの!? ねえ、マダレナ姉様? 私がジョアンを好きじゃダメなの?」


「……パ、パトリシアでなくてもダメだと、わたしは思うけど……」


「まあまあ、マダレナ」



と、アルフォンソ殿下が、にこやかに微笑まれた。



「だからね、パトリシアはボクと勝負してるんだ」


「……しょ、勝負?」


「うん。お互いの好きな人を、どっちがより愛しているかの勝負」



――なんだ、そりゃ?



と、正直、思った。



「パトリシアは、ボクがマダレナを想うよりも、もっともっと深く深くジョアンのことを愛しているんだものね?」


「あ、当たり前じゃない!!」


「じゃあ、ボクがマダレナへの愛を語るよりずっと、ジョアンの好きなところを話し続けられるよね?」


「当然ね!!」



ちょいちょいっと、イシス陛下とカタリーナ殿下を手招きして呼んだ。


顔を寄せてもらい、ヒソヒソ声でささやく。



「これ、たぶん終わらないやつなんで、部屋に帰ってお休みください」


「し、しかし……」


「……アルフォンソ殿下って、ポワンとして見えて、いつの間にかみんなをご自分のペースに巻き込まれてるでしょう? ……まわりが呑まれる、っていうか」


「う、うむ……」


「そう言われたらそうね……」


「わたしも今晩は諦めるんで、おふたりもそっと部屋から抜け出してください」


「そ、そうか……?」



そのとき、アルフォンソ殿下の朗らかな声が、明るく部屋の中に響き渡った。



「ボクのマダレナはねぇ、とっても優しいんだ!!」


「ジョ、ジョアンだって、ああ見えて優しいところがあるのよ!?」



ずっとこの調子だったのだろう。


イシス陛下とカタリーナ殿下のお顔が、ほんのり赤くなるはずだわ。


おふたりを、そっと部屋から出して、しばらく見守っていたけど、


わたしへの愛を熱烈に語り続けるアルフォンソ殿下に、わたしの方が顔を真っ赤にしてしまったので、


わたしも部屋を出た。



――なんだ、これ。



わたしがアルフォンソ殿下の胸のなかに飛び込むのは、パトリシア待ちという状況に、若干の疑問を覚えつつ、


わたしも疲れていたので、さきに休ませてもらった。



翌朝起きて、寝巻きのままそっとのぞきに行っても、ふたりの〈のろけ合戦〉は、まだ続いていた。


ひと晩寝てスッキリした頭で、



――パトリシアに悪いことをしてしまった。



と、アルフォンソ殿下が仰られていたことを、わたしはようやく思い出した。


パトリシアが永蟄居先の僧院から姿を消し、ジョアンと逃げたときのことだ。



「ふたりはマダレナに酷い仕打ちをしたかもしれないけど、お陰でボクにチャンスをくれたんだ」



と、アルフォンソ殿下はパトリシアを除籍処分で済ませ、追っ手をかけなかった。


それは、



――せめて、幸せになれよ。



と、わたしがパトリシアに情を残してしまっていたことも、見抜かれてのことだったのだろう。


アルフォンソ殿下のご気性だ。


意味不明な〈のろけ合戦〉だけど、アルフォンソ殿下なりに責任をとられているおつもりなのかもしれない。


ご自分を謀略の罠にかけ、追い落とそうとした相手に、嬉々として婚約者のことをのろけ続ける。


ほんとに、意味不明なんだけど、



あはっ。



と、笑ってしまったわたしも、アルフォンソ殿下に呑まれている。



――長かった戦乱期を真に終わらせるのは、アルフォンソ殿下のような方が帝位に就かれたときなのかもしれない。



そんな風に考えたこともあったわたしは、能天気なだけかもしれないし、ようやくたどり着こうとしている結婚をまえに、浮かれているだけなのかもしれない――。



わたしの寝室に、フリアが朝のメイクをしに来てくれたので、苦笑いをひとつして、これ以上考えるのはやめた。



ふたりには、心ゆくまでのろけ合ってもらうとして、


結婚式の準備は、とりあえず、わたしひとりで始めることにした。


ただし、苦笑いとともにこの思いはぬぐえない。



なんだ、これ。

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