第58話 妹の生涯の誉れ
主賓席で立ち上がられ、まっすぐにわたしを見詰めておられた皇帝陛下。
やがて、庭園を埋め尽くしていた大きな拍手が鳴りやみ、
皇帝陛下は視線を上に、天を仰がれた。
これまでにない威厳を放たれる皇帝陛下のお姿に、庭園中から視線があつまり、
――朕は決めたぞ。
と仰られた、陛下の続く言葉を聞き逃すまいと、みなが固唾を飲んで見守る。
そんな中、わたしから離れて控える4人の白騎士様たちは、驚愕と感激と希望の入り交じった、
感無量としか表現できない表情を浮かべられ、その燃えるような紅蓮の瞳で、
もとのお身体に戻りコーラルピンクの髪を揺らすルシアさんを、見詰め続けておられた。
白騎士様たちと並ぶベアトリスは、目には涙をうかべ、垂らしたままの右手を腰のあたりに置いたまま、ちいさく親指を立ててウインクして見せてくれた。
フリアは、ベアトリスのもう片方の腕にしがみついて、満足そうな表情で立ったまま眠りに落ちている。
――フリア、あなたのお陰よ……。
スヤスヤと気持ちよさそうに眠るフリアの、ススだらけの超絶美少女な寝顔に、
わたしは感謝の微笑みを送った。
フリアをパウラ様のもとに送り出すとき、
わたしは噛んで含めるように語って聞かせ、お願いしたのだ――。
Ψ
「サビアに走ってほしいの……」
「えっ……?」
「そして、風呂屋の幼馴染のもとに行ってちょうだい」
「マ、マダレナ閣下は……、私にお命じになられるべきです」
「ううん。これは、わたしのお願い。フリアへの心からのお願いなのよ……」
わたしの言葉に、青くしていた顔をさらに青白くさせたフリア。
しばらくして、大きく息を吸い込み、そしてコクリとひとつ頷いた。
「……分かりました。ご主君の願いを聞かない侍女など……、侍女ではありませんから」
ぎこちなく微笑むフリアに、わたしは険しさの抜けない微笑みを向けてしまった。
「……フリア。これは、あなたの身にも危険が及ぶかもしれない〈任務〉を、お願いしているの」
「えっ……?」
「いい? よく聞いて、フリア」
「は、はい……」
「まずは、出来るだけ速くサビアに駆けて〈ひまわり城〉に行ってちょうだい」
「……はい」
「それから、代官のエステバンにひまわり油を圧搾する鉄鍋を出来るだけ多く、できれば全部、かき集めさせてほしいの」
「ぜ、全部ですか?」
サビア育ちのフリアは、サビアのひまわり油産業にも馴染みがある。
「そう、できれば全部。そして、フリアの風呂屋の幼馴染と一緒に、エンカンターダスの秘湯に向かってほしいの。鉄鍋はホルヘに言って騎士団に運ばせて。たぶん、まだ帝都に向けて発ってはいないはずだから。……もし、入れ違いになったら、エステバンにお願いして」
「はい……」
「そして、秘湯で湧く湯を、どんどん煮詰めてちょうだい」
「……煮詰める?」
「そう。標高の高い場所だけど、冬だし寒さが厳しくて沸騰させにくいはず。しかも、馬車の入れない場所だから現地でやってもらうしかない」
「はい……」
「だけど、フリアが将来を誓い合った幼馴染の、風呂屋としての湯を沸かす腕に期待しているわ。フリアの旦那様になる子だもの。きっと、真面目で一生懸命だと思うのよ」
「あ、はい……。頑張らせ……ます」
「ふふっ。薪やなんか、必要なものはすべてエステバンに手配させて。エンカンターダスの代官は新任で、まだ勝手が分かってないわ。必ずエステバンを頼るのよ」
「分かりました」
「年がいってる分老練だから、なにも言わなくてもエンカンターダスの代官ともうまく調整してくれる。……だって、あのルイス・グティエレス公爵閣下と幼馴染なのよ!? たかい能力は、信じて大丈夫だから」
「は、はいっ!」
「そして、満月の晩までに帰ってきてほしいの」
「分かりました。必ずや……」
「この紙に、作業手順や必要な濃度、試薬なんかをまとめてあるわ」
「は、はいっ! 絶対に落したり、失くしたりしません!」
「ううん、そうじゃないの」
「え?」
「もし、万が一、この紙を持っていることがどこかに漏れたら、フリアの身に危険が及ぶかもしれない」
「それじゃあ……」
「覚えて。いま、ここで」
「……こ、これをですか?」
どうにか1枚の紙に収めたけど、小さな文字でびっしりと指示を書き込んである。
「……そうでないと、フリアの身が危険だし、もしフリアになにかあったら、わたしの〈お願い〉も叶わなくなるのよ」
「わ……、分っかりました――っ!!」
「……ごめんね、時間がないの。パウラ様がお見えになる前に、全部覚えてほしいの」
「お任せくださいっ! 私は才媛マダレナ閣下の侍女でありますからっ!!」
「ふふっ。頼もしいわね」
Ψ
あまり座学に経験のなかったフリアは、ブツブツ言いながら青白い顔をして、パウラ様をお出迎えすることになった。
そして、見事にわたしの〈お願い〉を叶えてくれた。
すこし枯れてる声は、数多くの鉄鍋に薪をくべつづける幼馴染を、叱咤激励しつづけてくれていたのだろう。
「ちゃんとやらないと、結婚してあげないんだからね!?」
「わ、わかってらあ!!」
……というのは、わたしの妄想。
それから、ベアトリスの婚約者フェデリコに習った馬術で、昼夜を問わずに駆け、完成した〈魔導薬〉をわたしに届けてくれたのだ。
――ありがとう、フリア。
超絶可愛い寝顔に、もういちど感謝の微笑みを送ると、
皇帝陛下の重々しい声が、庭園に響いた。
「朕は決めたぞ。マダレナこそは、次の皇后に相応しき者! いや、帝国千年の憂いを晴らしたマダレナこそを皇后に迎えねばならぬ! 朕はマダレナを妃に迎える者に帝位を譲るであろう!!」
どよめく群臣たち。
わたしがすべてを知る由もないけど、おそらく皇帝イグナシオ陛下みずからが、群臣に諮ることなく御意志を明らかにされたのは、
これが初めてのことだったのではないかと思わせられる、どよめきだった。
「なっ……、ち、父上……」
と、狼狽えた第1皇子フェリペ殿下の声を、気にする者はいない。
皇帝陛下の威厳に満ちた言葉がつづく。
「さらに群臣に問う!!!!」
「はは――――――――――っ!」
と、片膝を地に突く群臣たち。
「マダレナが皇后の座に就いた暁には、帝国史上初となる〈太陽皇后〉の尊号を奉るべきと朕は考えるが、群臣の考えやいかに!?」
皇帝陛下みずからによる思いがけない発議に、群臣たちが固まるなか、芯のある低い声が響いた。
「グティエレス公爵ルイス・グティエレス。陛下に、存念を申し上げます」
「うむ。申せ」
「皇帝陛下の尊き思し召しに異存ある群臣など、おろうはずがございません。マダレナ・オルキデア閣下の類稀なる知性と学才こそ、帝国の未来を照らす明るき太陽にほかなりません。まこと太陽皇后の尊号に、相応しきお方と考えます」
「うむ」
「ネヴィス大公エレオノラ。兄ルイス公爵の考えに同じにございます」
「うむ」
ルイス公爵閣下兄妹の力強い言葉に押されたかのように、次々に賛同の声をあげていく群臣たち。
皇后イシス陛下と第2皇后エレナ陛下は、やさしい微笑みをわたしに向けてくださり、
おふたりで目を見あわせて、心地よさそうに笑っておられた。
皇帝陛下は発議の成立を宣言され、わたしに謹厳な眼差しを向けられた。
「マダレナ・オルキデア。太陽皇后として、帝国の未来を照らす者よ」
「……あまりのことに、お礼の言葉とてございません」
「いや、礼を申すのは朕の方である」
「……えっ?」
「凡庸なる皇帝でしかなかった朕を〈太陽皇帝〉の尊号に相応しき者に押し上げてくれたのは、マダレナ。そなたである」
「そ、それは……?」
「朕は、マダレナに〈太陽皇后〉の尊号を奉った皇帝として、名を残すであろう。……そなたのお陰で、朕はようやく太陽皇帝と呼ばれるに相応しき皇帝となれたのだ。……礼を言うぞ、マダレナ」
「恐れ多いお言葉……」
「マダレナ・オルキデア! 太陽皇后となる者に問う!!」
「ははっ」
「そなたが夫とし、太陽帝国の皇帝とするものは誰であるか!?」
「マ、マダレナ!!!!」
と、醜く媚びた声をあげたのは、第1皇子フェリペ殿下であった。
「俺だ! 俺こそが、次の皇帝に相応しい! 強く逞しい帝国を取り戻せるのは、俺だけだ! 群臣もみな認めておる。そうだ、妃とは、イサベラとは離縁する! な!? そなただけが俺の妃だ。皇后だ。俺と一緒に、強い帝国をつくろうではないか!?」
見苦しく騒ぎ立てるフェリペ殿下に対し、
悠然と穏やかな微笑みを浮かべたまま、ニコニコとわたしを見詰めていてくださるアルフォンソ殿下。
わたしは、皇帝陛下の威厳に満ち溢れた瞳をまっすぐに見つめ返した。
「恐れながら、太陽皇帝イグナシオ・デ・ラ・ソレイユ陛下に申し上げます」
「うむ」
「空に輝く太陽がただひとつであるのと同様に、わたしを照らす太陽もまた、ただひとつ」
「うむ」
「アルフォンソ・デ・ラ・ソレイユ殿下のほかにございません」
歓声とも驚嘆ともつかぬ、群臣たちの唸り声のようなどよめきが広がる。
そして、とても温度差のあるところから、ご令嬢たちの黄色い声があがり、失神してしまわれる方も……。
――り、凛々し過ぎたかしら……? みんな好きねぇ……、〈恋だの愛だの〉……。
ゆったりと満足気な笑みを浮かべられた皇帝陛下が、問いを重ねられる。
「マダレナの見事な覚悟。感服した。……アルフォンソ。わが息子よ。あらためて問おう。そなたの存念やいかに?」
「ボクを照らす太陽も、マダレナのほかにありません」
「うむ。アルフォンソも見事である。ふたりの結婚の儀を挙行した後、朕はただちに帝位をアルフォンソに譲るであろう!!」
「イヤです!!」
アルフォンソ殿下の混じり気のない澄んだ声に、庭園中のみなが固まり、
第2皇后エレナ陛下は頭を抱え、ロレーナ殿下は腹を抱えておられた。
ややあって、かろうじて威厳を保たれた皇帝陛下が、口をひらかれた。
「ん? ……アルフォンソ。いま、なんと申した?」
「陛下。いや、父上。それは困ります」
「な、なにが、困るのだ?」
「ボクとマダレナは、まだまだ恋人時代も新婚時代も堪能していません! いろいろ語ると長いのですが……」
「あ、うん……、手短に」
あ、皇帝陛下もご存知なんだ……。
「ボクはマダレナともっと、イチャイチャ、ラブラブを楽しみたいのです! すぐ皇帝になんかなったら、忙しくてそんな暇などなくなるのではありませんか!? 父上はどう思われます?」
「そ、そう……、かな?」
「そうです! 実直な父上のお働きぶりをこの目で見て育ったボクが言うのだから間違いありません!!!」
「うん……。なんか、ありがとう」
完全に〈ふつうのお父さん〉の顔を見せられる皇帝陛下。
いや、皇帝陛下だけではない。
この場にいるすべての人間が、アルフォンソ殿下のまっすぐなお人柄に呑まれていた。
「皇帝になるのなら、ボクは父上のような皇帝になりたいのです!」
「う、嬉しいこと言うね……」
「だから、父上! もう少し、皇帝を頑張ってください! ボクとマダレナがイチャイチャを楽しめるだけの間。もちろん、責任を投げ出すようなことはしませんよ!?」
「え?」
「ちゃんと皇太子、皇太子妃として果たすべき役目は果たします! だから、お願いです。父上、もう少しの間、皇帝でいてください!!」
「あ……、えっと、うん」
「陛下……」
わたしは一歩進み出て、皇帝陛下に丁寧にお辞儀をした。
「わたしよりもお願い申し上げます」
「マ、マダレナも?」
「わたしたちふたり、いまだ若輩。わたしにいたっては属国育ち。まだまだ陛下のお背中を仰ぎ見て、学ばせていただかねばならぬことが、山のようにございます。お気持ちは嬉しく存じますが、いましばらくわれらが学び、成長する猶予を頂戴できれば幸甚に思います」
「そう! マダレナはいつも、ボクの想いを語り切ってくれるなぁ!!」
――いいコンビ。
と、目をほそめるのはやめなさい、ベアトリス。それに、フリアも。起きたのね。
「うむ~、しかし、いますぐにもマダレナの功に報いたい、朕の気持ちはどうすればいいのだ?」
「ならば陛下、褒美に賜りたきものがございます」
「おっ。申してみよ」
「ありがとうございます。わたしに……、わたしの養母として皇后イシス陛下をくださいませ」
「……えっ?」
と、イシス陛下がちいさな声をあげられた。
その褐色の美貌に、すこし照れてしまった微笑みを投げ返す。
「わたしのオルキデア家は、わたしひとり。少々、寂しく思っておりました。皇家とネフェルタリ辺境伯家に家籍をお持ちの皇后イシス陛下にございましょうが……」
「うむ……」
「ネフェルタリ辺境伯家の家籍は除籍としていただき、オルキデア家の家籍に養母として迎え入れたいのです」
「ん……、イシスはどう思うのだ?」
「妾としては……」
「母上! 母上! ネフェルタリ辺境伯家の逞しき血筋を受け継ぐことは母上の、そして俺の誇りにございましょう!? そんな無体なこと、お断りくださいませ!! それとも、俺を棄ててしまわれるのですか!?」
フェリペ殿下の見苦しい訴えに、イシス陛下は冷ややかな視線を送られた。
そして――、
「陛下……」
「うむ、かまわぬ。イシスの思うところを好きに話せ」
「妾はオルキデア家の家籍に入り、マダレナの
イシス陛下の柔らかな声に、皇帝陛下がふかく頷かれると、
崩れ落ちるように両膝を突いたフェリペ殿下は、力なく拳で地面を打った。
「こ、このような理不尽……」
「フェリペ殿下。私たちは負けたのです」
と、可愛らしい声を響かせたのは――、
「……パトリシア。そなたのせいだ。そなたが、いい加減なことを俺に吹き込むから」
「見苦しいですわよ? フェリペ殿下。帝国第1皇子の名が泣きましょう」
「くっ……」
「山賊が殴り合いをしているのではないのです。高貴なるもの、敗北したときこそ優雅に振る舞い、美しく屈服せねばなりません。……私たちは負けたのです。マダレナ・オルキデアに」
優雅で可憐なカーテシーをしてみせる、パトリシア。
「あら、パトリシアじゃないの!?」
「マダレナ姉様。今度こそ、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう、パトリシア」
「また、私の負けでございますわ」
「美しく優雅なカーテシーね。わたしの妹に相応しい礼容。はらわた煮えくり返っているだろうに、見事ね。パトリシア」
「お褒めに預かり光栄です。そんな姉様を一度といえども出し抜くことができたのは、私の生涯の誉れにございますわ」
「ほんとうね。一度はわたしの完敗だったのに、……あなた、詰めが甘いから」
「ありがたきご助言。もし、私に次があれば、心いたしましょう」
「その者は……?」
と、皇帝陛下がお尋ねになられた。
「陛下。わたしの妹でございますの。家籍を別けた後、大罪を犯しましたが、除籍により既に罪は償っております。残るのは、血を分けたわたしの可愛らしい妹であることだけにございますの」
「……そうであるか」
「思わぬ再会に喜んでおります。ついては、身柄を引き取りたく存じますが?」
「……好きにしろ」
と、フェリペ殿下は聞き取れないほどの、ちいさなかすれ声で、わたしに言い捨てた。
Ψ
わたしは園遊会の最後に、委ねられていた軍権を皇帝陛下もご承認の上で行使し、皇后宮殿を接収した。
そして、〈辺境伯派〉の息のかかった侍女、執事、文官、メイド、使用人をすべて追い出し、
イシス陛下とカタリーナ殿下と、抱き締め合った。
わたし自身の居も、ただちに養母イシス陛下がお住まいの皇后宮殿に遷す。
やるべきこと、やりたいことは山積みだったけど、
わたしはまず、妹パトリシアと向き合うことにした――。
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