第48話 対照的なご兄弟
本宮10~15階、東向きに窓のひらけた皇宮書庫は、正午を過ぎたあたりからやや薄暗い。
手元にひらいた古文書を読み込むため、昼間だというのにランプに火を灯さないといけない。
冬本番を迎えた寒さのなか、古文書の保存状態を維持するため、暖炉などは置かれていない。
しかし、床に張り巡らせた温水の管が足下からじんわりと部屋を暖め、まるで太陽が部屋の中にいるようだ。
ふと、ランプの炎が揺らいだ。
「なにを読んでるの?」
わたしの耳元を撫でる、甘い囁き。
顔をあげると、すぐそばにあわい褐色をした精悍な顔立ちがあった。
「これは、フェリペ殿下……」
「ごめん、邪魔するつもりはなかったんだけど……。部屋に入っても気づいてもらえなくて、つい。な」
「……わたしの方こそ、つい物事に熱中してしまうタチにて。失礼いたしました」
「いいよ、邪魔したのはこっちだ。マダレナを熱中させてしまった本には、なにが書いてあるんだ?」
「これは、魔導学の古書にございます」
「ふ~ん。マダレナは本当に賢いんだな」
「いえ……、これはかつて存在した魔導師に向けて書かれた書物。魔力を操れないわたしたちには、読んでも分からないことが多いのです……」
「それでも読むんだ?」
ラフな普段着をお召しの、第1皇子フェリペ殿下。
わたしの顔のすぐ横では、はだけた胸元から見える逞しい筋肉が、ランプの灯りで陰影を刻んでいた。
「ええ……。呪いがもっと深刻なものであった時代。民の暮らしは、いまよりずっとツラいものであったろうと、魔導師たちの言葉からうかがい知ることができます」
「そうか……。時を超えても、民の心を思うのは大切なことだね」
「ええ……」
ふと、フェリペ殿下から漂う、香のかおりが、わたしの鼻腔をくすぐった。
アルフォンソ殿下を除いて、この距離を男性に許したことはない。
しかし、相手は第1皇子。
礼を失することがないよう、こちらも微笑を絶やさず、至近の距離にある涼やかな微笑みから目を逸らさない。
――パトリシアをお側に置かれる、その意図は?
と、尋ねることも、礼容にはかなわない。
知って知らぬふりをしながら、腹を探り合うしかない。
「……皇宮にも長く、呪いがかけられているね」
「えっ?」
「ルイスだ。ルイスがかけた、腐敗という呪いを解かなくてはいけない」
ルイス――、ルイス・グティエレス公爵閣下。
権勢を握るため強引な手段もとられ、群臣にカネをばら撒いたと聞く。
その豊富な資金力の一翼を担うのが、わが故国ネヴィス王国の魔鉄鉱山利権であった。
わたしの所領となった魔鉄集積地サビアも〈第2皇后派〉の権勢を支える原動力のひとつ……。
「腐敗……」
「そうだ。わが外祖父であるセティ辺境伯が冥府に旅立って以降、皇宮を覆っているやっかいな呪いだ」
やっと、わたしの前についていた手を机から離し、フェリペ殿下はガラス扉の前に立たれた。
外のテラスにつながる、大きなガラス扉。
外気の冷たさが伝わってくるだろうに、逞しい体付きをされたフェリペ殿下は、身じろぎひとつせずに、ジッと外を眺められている。
「セティはわが外祖父ながら清廉な人柄で、多くの者に慕われていた」
「……お噂はとおくネヴィスの地まで」
「混迷ふかめる帝政を憂い、辺境伯の地位にありながら帝都に常駐し、つよく逞しい帝国本来の姿を取り戻そうと、帝政をよく領導していた……」
「……はい」
「……初めて帝都の土を踏んだマダレナの目に、いまの皇宮、いまの帝都は、どう映っている?」
「……ただただ、偉大なる〈太陽帝国〉のご威光に、ひれ伏すばかりにございます」
「ふふっ……、さすがは才媛と名高いマダレナ公爵。満点の回答だな」
「恐れ入ります」
「……アルフォンソは優しい男で、愛する弟ではあるが、あいつでは帝都の闇を晴らすことはできない」
「……」
「アルフォンソでは、ルイスの言いなりになるだけだ」
「……」
「ルイスが専横を極め、エレナ殿が第2皇后として父上に輿入れしたのは、俺が12歳のとき。……あれほど口惜しかったことはない」
「……心中、お察し申し上げます」
「ありがとう」
と、あわい褐色の精悍なお顔立ちに突然、人懐っこい笑顔を見せられ、
ドキッとしてしまう。
そして、すこし寂しげに笑われた。
「……ただ、ルイスのしたことで、ひとつだけ良いことがある」
「……はい」
「ふふっ。矛盾して聞こえるかもしれないが、第2皇后の先例をつくったことだ」
「え?」
「マダレナ、俺の右隣はまだ空いている」
「……お、お戯れが過ぎますわ」
「俺は帝都の汚濁を洗い流し、帝国の闇を晴らしたい。帝国民に清らかな陽の光をいっぱいに浴びさせたいのだ」
「……崇高なお志に、胸を打たれます」
「汚濁のない、晴れた清らかな世をつくるため、マダレナも俺に力を貸してくれないか?」
「……もちろんにございます」
「そうか! では……」
「このマダレナ・オルキデア。第2皇子妃として、帝政のため、帝国民のため、力を尽くさせていただく覚悟は、すでに固まっております」
「ふふっ。……堅いな」
「それだけが取柄にございます」
「出会った順番で全部を決めるのも、変な話だとは思わないか?」
「それは……」
「順番で全部決まるのなら、俺はとっくに皇太子だ。……でないと可笑しな話だろう?」
しばらくの間、薄暗い皇宮書庫でフェリペ殿下と見つめ合った。
やがて、ふふっと笑みを漏らされたフェリペ殿下は入口にむかって歩き始め、
わたしの後ろを通り過ぎるときに、ポンッと肩を叩かれた。
「……ちかく、陛下にもお約束したマダレナへのもてなしとして、わが妃イサベラが舞踏会に招くであろう」
「……光栄なことに存じます」
「それまでに、ゆっくりと考えておいてくれ。いや、イサベラと話してから考えてくれたのでもいい」
「わたしの考えは変わりませんわ」
「お前が、どうしても欲しくなった」
「……えっ?」
驚いたわたしが振り向くと、フェリペ殿下はすでに皇宮書庫を出ていかれるところだった。
逞しい筋肉の厚みを感じさせるお背中が見えなくなって、わたしは大きく息を吐く。
――ぷはぁ~~~っ。あんなにまっすぐ口説いてくる? 弟の婚約者を。
緊張が解けて、一気に赤くなっているであろう頬を両手で持ち上げる。
わたしの地位と財産だけを見ていた元婚約者のジョアン。
きっと、フェリペ殿下もわたしの学才と、〈第2皇后派〉に与えられる打撃だけを見ているに違いない。
――だけど、さすが帝国の第1皇子。やってることはひどいのに、立ち居振る舞いがスマートね……。
勘違いしてはいけないと、ペチペチと頬を叩いた。
柔和で〈手順〉を踏むアルフォンソ殿下に、
精悍で性急なフェリペ殿下。
――ほんと、わたしをドキドキさせるご兄弟だこと……。
だけど、そのフェリペ殿下の後ろでは、妹パトリシアの紫色の瞳がひかっている。
いや、今回ばかりはパトリシアの方が利用されているのか?
弟アルフォンソ殿下を追い落とす道具として……。
――いずれにしても、軽挙は慎むべき。
と、手元の古文書に視線を落とした。
ただ、はだけた胸元からのぞく、あわい褐色をしたぶ厚い筋肉と一緒に、
――帝都の汚濁を洗い流す。
という、フェリペ殿下の言葉だけは、つよく心に残った。
Ψ
アルフォンソ殿下にはお会いできないまま、さらに数日を皇宮書庫で過ごした。
時折、フェリペ殿下が姿をみせ、わたしを口説いては、ツバキの花などを置いていかれる。
――皇后イシス陛下がわたしに皇宮書庫の利用を許したのは、息子に口説かせるため?
と、褐色美人な皇后陛下に、疑念が湧きはじめた頃、
ついに、舞踏会の招待状が届いた。
ただし、2通。
ナディアとにらめっこする。
「……おなじ日付、おなじ時刻ね」
「ええ……」
「第1皇子妃イサベラ妃殿下と……、第2皇女カタリーナ殿下……」
「……どちらかを、お断りするしかありませんが……」
「ええ……、ナディアはどう思う?」
「……むずかしいですわね」
どちらも皇后イシス陛下に連なるお方。
アルフォンソ殿下とは対立関係にある〈辺境伯派〉に分類される、高貴なおふたりだ。
「……わざと、ぶつけてこられた?」
「考えられなくはないですが、ぶつける意図が読めませんね……」
「う~ん……」
帝都の闇は、わたしにはますます深く見え、
どうしても、その向こうで勝ち誇るパトリシアの笑みがチラついてしまう。
だけど、怯んではいられない。
永遠の愛を誓ったアルフォンソ殿下を、パトリシアの仕掛けた謀略の罠からお救いし、わたしは結婚式を挙げなくてはならないのだ。
机のうえに広げた2通の招待状。
その1通を手に取った。
「イサベラ妃殿下の舞踏会に出席いたします」
パトリシアのいる、第1皇子宮殿。
そこに乗り込まなくては、結局のところなにも分からないのだ。
クッと、眉間に力を込め、イサベラ妃殿下から届いた招待状を見詰めた――。
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