第47話 油断すれば謀略の罠に…

皇宮書庫から邸宅にもどると、思いがけない顔がわたしの帰りを待っていた。



「ナディア!」


「遅くなりました」



アッシュブロンドの髪に、物憂げな顔付き。


だけど、柔らかな微笑みを浮かべる、女性文官。


エンカンターダスの代官ナディアが、後任への引き継ぎを切り上げ、駆け付けてくれていた。



「ロレーナ殿下より密書を頂戴いたしました。帝都に召喚される、マダレナ閣下をお護りせよと」


「……ロレーナ殿下が」


「陛下への謁見前に到着したかったのですが……、白騎士の駆る馬車には勝てず。遅参をお許しください」


「ううん。いいのよ」


「形式上、いまだ私はマダレナ閣下の家臣にございます。遠慮なくこき使ってくださいませね」



お母様世代の大人の微笑みに、張り詰めていたものが噴き出しそうになった。


帝都の事情にも精通しているであろう、ナディアが側にいてくれる。


こんなに心強いことはない。


だけど、すぐ後ろにはこれまでわたしを支えてくれた、ベアトリスとフリアが控えてくれている。


こみ上げて来るものを、グッとこらえ、ナディアからの拝礼を受けた。



   Ψ



早速、執務室に入り、ナディアと状況を共有する。



「……そうですか、皇后イシス陛下が皇宮書庫の鍵を……」


「ええ、せっかくの機会だし活用させてもらおうかと思ってはいるのだけど……」


「そうなさいませ」


「そう? ……大丈夫かしら?」


「皇宮書庫には通常、皇家にあられる方のほか立ち入りが許されません」


「ええ……、光栄なことよね」


「逆にいえば、マダレナ閣下が皇宮書庫におられる限り、貴族からの接触を断つことができます」


「なるほど……」


「たしかに、イシス陛下のご意図は気になるところです」


「そうなのよ」


「ですが、ルイス公爵閣下からのお話と合せて考えれば、〈辺境伯派〉の貴族は、あの手この手でマダレナ閣下への接触を図ってくることでしょう」


「え、ええ……」


「忌憚なく申し上げれば、いまのマダレナ閣下が海千山千の有力貴族――群臣を相手にされるのは、少々荷が重いかと存じます」


「わたしもそう思うわ」


「詳細な状況が判明するまで、安全な皇宮書庫に身を置かれるのが、賢明なご判断かと」


「わかったわ。ナディアの言うとおりにする」



ナディアだって〈第2皇后派〉に属する文官のはずだ。


わたしへの献言に、権力闘争に関する思惑が混ざっていないはずはない。


だけど、エンカンターダスでわたしの治政を支えてくれたナディアとは、気心の知れたところがある。


そして、パトリシアがエンカンターダスの庭園で起こした〈靴音事件〉もよく知っている――、



「……パトリシア……殿のことは、私もそれとなく探ってみます」


「ええ、お願い……」


「ルイス公爵閣下も手を尽くされているはずです。が……」


「ええ」


「すべてをマダレナ閣下にお伝えくださるかは、分かりません」


「そうね……」


「第1皇子宮殿に囲い込まれているということでは、私に出来ることにも限界があるのですが……」


「うん、分かってる……。分かる範囲でいいの」


「最善を尽くさせていただきます」


「ごめんねぇ~~~」


「……えっと?」


「お騒がせ姉妹で」


「ふふっ、ほんとですわね。暴露本を書いて出版すれば、飛ぶように売れそうですわ」


「ちょ、ナディア、やめてよぉ~~~」


「冗談ですわよ」



きのう帝都に入り、皇帝陛下の謁見を受けたばかりだというのに、


すでに使用人やメイドで雇ってほしいという希望が、殺到していた。


広大な邸宅を維持するため、使用人の大量雇用は避けて通れない。


だけど、さすがのベアトリスでも、〈辺境伯派〉の息がかかっている者かどうかの判別は難しいと、頭を悩ませていたところだった。


ナディアと打ち合わせしてもらうため、ベアトリスを呼ぼうとしたとき、


執務室のドアをノックし、入ってきたのはフリアだった。



   Ψ



「そうでしたか。それは大変世話になりましたわね、マリア」



と、わたしが微笑を向けたのは、フリアの遠戚の女性、マリア・アロンソだった。


超絶美少女のフリアと違い、いたって平凡な容姿をしているけど、人の良さそうな笑顔でわたしにあたまを下げている。


かつて、フリアはわたしとベアトリスの〈化粧の師匠〉として、侍女に取り立てた。


真面目なフリアが、〈端正過ぎる〉わたしたちに似合う化粧や、最新の流行を調べるために手紙を書いてくれた相手が、マリアだったのだ。



――懐かしいわね……。



あの頃、サビアに着いたばかりのわたしたちは〈凛々しい美人〉も人気であることに、衝撃を受けていた。


いまから思えば、



――なんて〈可愛らしい〉悩みだったのかしら!?



とさえ思い返せる自分が、すこし可笑しい。


〈ひまわり城〉の廊下をあるくフリアを、ベアトリスとふたりで捕獲して部屋に引きずりこんだのも、昨日のことのよう。



――あのときのフリアの怯えた表情ったら……。悪いことをしちゃったわね。



そのフリアが、嬉しそうにマリアを紹介してくれている。



「マリアは、貴族様のお宅でメイドをしているんです」


「あらそう。それは、お化粧にも詳しくなるはずねぇ」


「はいっ! あの頃はマリアとの手紙のやりとりでいろいろ教えてもらい、とても助かりました!」



にへへっ。と、フリアの笑顔がまぶしい。


ベアトリスも呼びふたりでマリアに礼を言い、そばで控えるナディアもニコニコと見守ってくれ、ほのぼのと温かい時間を持てた。


帝都に着いてわずか2日だというのに、経験したことのない緊張の連続だった。


女5人で笑い合って、ようやく気持ちを和らげることができた。



「……それで、あの、マダレナ閣下」


「なあに、フリア?」


「マリアは、マダレナ閣下にお仕えすることを希望してくれているのです……」


「あらそう。嬉しいわね」


「ほんとですか!?」


「ええ。いまお仕えの子爵様へのご挨拶もあるでしょうし、すぐという訳にはいかないでしょうけど、みなと相談して良きように取り計らいましょう」



マリアが喜色満面といった様子でふかぶかと頭をさげ、執務室を退出すると、


ナディアがいつもの穏やかな調子で、口をひらいた。



「フリア殿には申し訳ないのですが……」


「……えっ?」


「あの者が仕えるフエンテス子爵は〈中立派〉を装いながら、裏では〈辺境伯派〉と繋がっております」



言葉を失う、わたしとフリア。



「おそらく、第1皇子フェリペ殿下に近しい者が差し向けた〈間諜〉でしょう」


「……パトリシア」



おもわず、わたしがつぶやいた言葉に、ナディアはすこし眉をさげて微笑んだ。



「断定はできませんが、その可能性も否定はできません。……陛下の謁見にも陪席できる侍女待遇であれば、それなりの影響力を持ちますから」


「私……、私は、あの……」



顔を青白くして狼狽えるフリアに、ナディアが優しく語りかけた。



「ええ、分かっております。フリア殿がマリア殿と親戚付き合いされることには、なんの問題もございませんわ」


「いや、あの……」


「帝都に着いたばかりのフリア殿が、わざと間諜を手引きしたとも、誰も思っておりませんわ」


「……はい」


「フリア殿のマダレナ閣下への忠臣ぶりは、私もエンカンターダスで存分に拝見させていただきました。出兵された閣下がご不在の間は、ふたりで主城を護った仲ではありませんか」



コクリとうなずいて、そのまま俯いてしまったフリア。


ナディアが、わたしに顔を向けた。



「マリア殿をメイドに採用するのは見送られ、ただ、フリア殿にお付き合いは続けていただき、相手方の情報を得ることを考えるべきかと」


「そうね……、わかったわ。ナディア」



ベアトリスに付き添われて執務室から退出していくフリアは、肩をガックリと落とし、


いまにも消えてしまいそうに、意気消沈していた。



「……わたしが、うかつだったわ。採用に前向きなことを言ったりして」


「いえ、やむを得ないことだったかと」



ナディアの慰めも、かえって心に痛い。


勝手の分からない帝都を舞台に、油断すればパトリシアの仕掛けた謀略の罠に引っ掛かりそうになる。


わたしの気を引き締めなおさせる、出来事だった――。



   Ψ



翌日から、朝食をとるやすぐに邸宅を出て、日が暮れるまで皇宮書庫に籠る毎日がはじまった。


邸宅に押し寄せる貴族たちはナディアとベアトリスが捌いてくれ、


わたしはひとり、皇宮書庫で学問に励む。


俗世と隔絶したような静寂のなか、ひたすら貴重な文献に目を通してゆく。


フリアの表情は冴えないまま、黙々と職務に励んでくれていた。


数日が過ぎ、



「皇宮書庫に、貴族は近寄れません。が――……」



と、ナディアの言った通り、



「なにを読んでるの?」



と、わたしの耳元でささやかれたのは、


第1皇子フェリペ殿下だった。


あわい褐色をした精悍なお顔立ちは、わたしに近く、


机に手をつき、涼やかな微笑みを投げかけていた――。

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