第39話 将来への希望に胸を膨らませる

「う~ん。ボクとマダレナが結婚したら大赦が出て、パトリシアの永蟄居もすぐに解かれるって思ってたんだけどね」


「あ……」


「むしろ、それが嫌だったのかな。……パトリシアに悪いことをしてしまった」


「いや、そんな……。殿下の方が気に病まれる必要はありませんわ」



かるく眉をさげ、哀しそうに微笑まれるアルフォンソ殿下。


僧院での永蟄居で済んだだけでも、かなり寛大な処分なのに、さらにパトリシアは逃げ出したのだ。


殿下の方が責任を感じられる理由など、欠片も微塵もない。



「実はジョアンって男も、逃げ出したって報告があったんだ」


「え? ……ジョアンも?」



ジョアンには3年の重労働が課された。


犯した罪の重さから考えれば、3年などあっという間に過ぎる軽い処分だ。


なのに、そこからも逃げ出すなんて……。



「たぶん、ふたりはどこかで落ち合ってるんじゃないかな?」


「え、ええ……。その可能性はあるかと」


「好き合った者同士、ひっそり暮らしたらいいよ」


「ですが、殿下……」


「うん。もちろん、このままという訳にはいかない。だけどね、マダレナ」


「……はい」


「ふたりはマダレナに酷い仕打ちをしたかもしれないけど、お陰でボクにチャンスをくれたんだ」


「それは……、そうなるでしょうけど」



アルフォンソ殿下のご気性だ。


わたしが予定通りジョアンと結婚していたら、権力を振りかざして離縁させようとまではされなかっただろう。


やさしく微笑まれて、遠く帝都からわたしの幸せを祈られていた姿が目に浮かぶ。



「それに、ふたりにはもう、マダレナをどうこうできる力は残ってないよ。そっとしておいてあげたいんだけど、ダメかな?」


「殿下が、そう仰ってくださるのでしたら、わたしに異存は……」


「リカルドはさすがに、ちょっと不憫だけどね」


「え、ええ……、たしかに」



パトリシアに籠絡された、元第2王子リカルド。


処分を待つ謹慎中も、パトリシアの助命嘆願の書簡をなんどもわたしに送ってきた。


かつては兄王太子を支える聡明さで知られていた、リカルド。


パトリシアに利用し尽くされ、なおもそれに気付かず、ひとり愛を貫く姿は見るに耐えなかった。



「うん。じゃあ、パトリシアとジョアンのこと、これから一緒にロレーナを説得に行ってくれる?」


「えっと……、そこは殿下おひとりで行かれるのではないのですか?」


「だって、ロレーナが怒ると、恐いんだよ……」


「たぶん、そうでしょうけど……。分かりました。ご一緒させていただきます」


「やった。……良かった」


「……まずは殿下から仰られてくださいね?」


「え、ええ~っ!?」


「当然でございますわ。殿下のお考えなのですから」


「う、うん。マダレナの言う通りだ。分かったよ」



このままという訳にはいかない、と仰られたアルフォンソ殿下のお言葉の通り、


パトリシアは除籍となった。


旧ネヴィス王家の家籍からも、旧カルドーゾ侯爵家の家籍からも抹消された。


王族貴族としては、考え方によっては死を賜るよりも重い処分だ。



つまり、わたしの妹は〈生まれてもこなかった〉ことになった。



お父様とお母様も、淡々とパトリシアの除籍を受け入れられた。


そもそも、パトリシアの愚行によって、国ごと消滅させてしまったのだ。かすかな不満でさえ口にできる立場ではない。


ひとり娘として、おふたりの心中を慮った。



   Ψ



わたしの心中は、ベアトリスが慮ってくれた。



「マダレナのせいじゃないわよ?」


「当たり前じゃない!」


「あら? 珍しくハッキリと怒ってるわね?」


「そりゃそうでしょ? こっちは顔がキツいだの気が強いだの可愛げがないだの散々なこと言われ続けても、こんなに素直な頑張り屋さんに育ったのに、可愛い可愛いって言われて育ったパトリシアがひねくれた責任までとれないわよ!?」


「そりゃ……、そうね」


「そうよ」


「良かった、元気そうで」


「元気でもないと、やってられないわよ。あんな啖呵切ってパトリシアに祝福させたのよ!? わたしが幸せにならなきゃ、バカみたいじゃない」


「そうね」


「それでまた、今度は『ほら、マダレナ姉様? 身分なんて関係なく、私の方が幸せでしょ。ジョアンからこんなに愛されてるのよ、私?』なんて、言ってくればいいのよ! 絶対、負けないんだから」


「ふふっ。そうね」


「なによ?」


「パトリシアも、パトリシアの幸せを見付けられるといいわね」


「そうよ! 誰かと比べたりしなくていいのよ! ……パトリシア、可愛らしいんだから……」



カルドーゾ侯爵家屋敷で月を見上げた晩、眼下にはお母様が丹精込めて育てた庭園が広がっていた。


旧王宮やわたしの〈ひまわり城〉、中庭につる薔薇の咲き誇る旧王都屋敷とも比べものにならない、ちいさな庭園。


だけど、わたしのまぶたの裏には、ふたりではしゃぎ回る幼き日のわたしとパトリシアの姿が思い浮かんで、視線をさげることが出来ず、


ずっと月を見つめていた。


見上げたあの月が、満月だったのか三日月だったのか、それさえ思い出すことが出来ない。



わたしの妹パトリシアは、幻となって消えてしまった。



せめて、ふたり仲良く過ごせた、良かった日々のことだけは、胸の奥にそっと大切にしまっておきたい。



さよなら……、パトリシア。



せめて、幸せになれよ。



   Ψ



アルフォンソ殿下とロレーナ殿下が勅使としてのお役目を終え、旧王都を発たれる日、


わたしが出立式に出席するのためのドレスを、アルフォンソ殿下が新調してくださった。


秋の実りを思わせるマンダリンオレンジのドレスは、洗練されたエンパイアライン。


わたしの長い銀髪が、鮮やかな色に溶けこんで、まるで太陽の光を浴びた炎のように輝く。


胸元には繊細なレースとビーズがほどこされていて、マンダリンオレンジの輝きをさらに引き立てている。


姿見のなかに映るわたしのフォレストグリーンの瞳は、炎の奥に生い茂る深い森を思わせ、相反する色彩のコントラストが、わたしをよりエレガントに見せてくれていた。



「うん。やっぱり思った通り、よく似合ってるね、マダレナ」


「……ありがとうございます、殿下」


「マダレナのお陰で、ボクはとてもドレスに詳しくなったよ」


「身に付けられたその知識は、わたしのためだけに使ってくださいね、殿下」


「あれ? 妬いてくれてるの? 嬉しいな」


「……妬いておりますが、なにか? 想像だけで妬いておりますが、なにか?」


「ふふっ。嬉しいなぁ」


「もうっ……、ふふふっ」



歩みを進めるたびに揺れるスカートは、まるで燃え盛る炎のようでもあった。


オレンジ――、


パトリシアのイエローオレンジの髪を思い出さないでもなかったけど、アルフォンソ殿下の金糸ようなハニーゴールドに包まれているみたいな心持ちもした。


出立式を終え、


帝都ソリス・エテルナへと旅立つ、アルフォンソ殿下率いる帝国軍10万を見送り、


わたしも、出発する。


まずはサビア、そしてエンカンターダスに帰り、騎士団を戻す。


そして、アルフォンソ殿下と結婚式を挙げるため、学都サピエンティアでの皇子妃教育に励むのだ。



   Ψ Ψ Ψ



やがて、帝都ソリス・エテルナにのぼったわたしはアルフォンソ殿下のお父君、太陽皇帝イグナシオ・デ・ラ・ソレイユ陛下にお目通りかなうことになる。



そして――、



陛下の側に立たれる、皇太子の座をアルフォンソ殿下と競う、第1皇子フェリペ・デ・ラ・ソレイユ殿下の涼やかな微笑みの後ろに、


侍女のメイド服姿に身をやつした、


暗くどんよりと濁った紫色の瞳を爛々と輝かせ、可愛らしい顔立ちに笑みを浮かべた妹パトリシアの姿を見付けたとき、


わたしたちの戦いは、まだ終わっていなかったのだと思い知る。


さらには、ずっと〈手順〉を踏まれ、わたしを護りながら高みに引き上げてくださったアルフォンソ殿下を、


パトリシアの張り巡らせた謀略の罠から、お救いすることにもなる。



だけど、旧王都から出発したときのわたしは、当然、そんな未来が待ち受けているとは知らず――、



「ええ~っ!? あのコーラルピンクのドレスの指示書を運んでくれた急使って、ルシアさんだったんですか!?」


「ええ……」


「でも……」


「……そうです。エレオノラ……、当時の王太后陛下を馬車でお運びし、帝都に戻ったらまた『これも大叔母上に届けて~! 大至急!』って、アルフォンソ殿下から……」


「……この前は、陛下の詔勅をもらいに走らされてましたし、ルシアさん、ちょっといいように使われすぎじゃありません?」


「ふふっ。アルフォンソ殿下のお望みですから……、私は特段……」


「もう。殿下のこと、ルシアさんが甘やかし過ぎなんじゃないですか?」



と、白騎士ルシアさんとベアトリスと女3人馬を並べて、西に向かう旅をキャイキャイ楽しんでいた。


ルシアさんは帝国の最高戦力、白騎士様であるし、7歳年上のお姉さんでもあるのだけど、すっかり、



懐かれた。



と思いながらも、和気藹々と馬を歩ませる。


そして、これから紹介するわたしの侍女フリアが、いかに超絶美少女であるか、ベアトリスとふたり熱弁を振るっていたのだ。


遥かな西、永遠の太陽――帝都ソリス・エテルナでわたしとルシアさんとを待ち受ける、数奇な運命に気が付くこともなく。


はじめてサビアに向けて旅立ったときとおなじように、ただ将来への希望に、胸を膨らませていた――。

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