第37話 妹は祝福した

――ボクはマダレナと結婚する。



そう仰られたアルフォンソ殿下のお顔を、不思議そうに眺めていたのはパトリシアだけではない。


謁見の間に立ち並ぶ〈庭園の騎士〉様方の表情にも、かすかな動揺の色が浮かんでいた。


そして、アルフォンソ殿下はパトリシアを見詰めたまま、お言葉を重ねられた。



「もう、皇帝陛下からのお許しもいただいているんだ。パトリシア。キミのお姉さんを妃にもらうよ?」


「ええっ!?」



と、思わず驚きの声をあげたのは、わたしだ。


皇帝陛下がいらっしゃる帝都ソリス・エテルナは、わたしたちのいる王都から遥か西の彼方にある。


殿下とふたり貴賓室を出てから、まだそんなに日は経っていない。



――ゆ、許し!? 陛下のお許し!? どうやって!? ……えっ!? 事前にお許しをいただいていらしたの!?



と、狼狽えるわたしに、アルフォンソ殿下のむこうに座られている妹君のロレーナ殿下が快活な笑い声をあげた。



「ははははっ。兄上、〈用事〉が済んでから、ゆっくり伝える場を設けるのではなかったのですか? 誰より、マダレナが驚いているではありませんか」


「あ、そうか。ごめん。また、気持ちが先走ってしまった」


「マダレナ」



と、ロレーナ殿下が、わたしに悪戯っ子のような笑みを向けられた。



「は、はい……」


「白騎士ルシアがその神足にて兄上の書簡を陛下に届けてくれ、折り返し、これまた神足で詔勅を持って帰ってくれたのだ」


「ルシアさんが……」


「さすがにくたびれたと言って、いまは王宮の別室で休んでおる」


「また白騎士……」



と、パトリシアの苦々しげな声が、謁見の間に低く響いた。



「……マダレナ姉様は帝国伯爵。そんな、皇子殿下との結婚など、なにかの間違い……」


「パトリシア。キミに伝わるはずもないことだけど、マダレナは帝国公爵に叙爵されたんだ」


「……はっ?」


「公爵令嬢でもなく、れっきとした帝国の公爵だよ。ボクとマダレナの間に、結婚の障害はないんだよ」



穏やかに説いて聞かせるアルフォンソ殿下に、わなわなと震えはじめるパトリシア。



「……可愛らしいところだけは」


「ん?」


「可愛らしいところだけは、マダレナ姉様に勝っていたのに……。可愛らしい女が良い結婚を出来るんじゃなかったの!? なのに、マダレナ姉様が、帝国の皇子と結婚するだなんて……」



パトリシアは床に伏せたまま、その可愛らしい顔立ちを天にむけ、カハッと口をひらいた。



「あはははははははははははははははははははははははははははははっ。……そんなの叶うわけないじゃない。いつもいつも、ズルいのよ、……姉様は」



わが妹は、勅使様を涙で籠絡し裁定をひっくり返すつもりでいたのだ。


そして、それは叶わなくなった。


わたし、姉マダレナの存在によって、パトリシアの愚かで不遜な企みは敗れた。



「うむ。……皆の者、さがれ」



と、ロレーナ殿下が右腕を水平に払われた。


その場で困惑し、ロレーナ殿下のお顔を見返す〈庭園の騎士〉様たち。



「……ここからは〈家族〉の話だ。裁定に影響はない。みな、席を外せ。……あっ。ベアトリス。そなたは残れ」


「えっ……?」


「ベアトリスはマダレナの親友であり、パトリシアの学友でもあったのだろう? 残って、一緒に話を聞いてやれ」



ロレーナ殿下のお言葉で、整然と退出していかれる〈庭園の騎士〉様たち。


やがて大きな扉が閉じられ、ひろい謁見の間にわたしたち5人だけが残った。


パトリシアは天を仰いだまま、微動だにしない。



「パトリシア……」



と、やさしげな声をかけてくださったロレーナ殿下を、パトリシアはキッと睨んだ。



「殿下。私を〈家族〉として遇すると仰られるのなら、そんな高いところから降りられてはいかがですか?」


「ははっ。これは一本とられた。気の強さは姉ゆずりか?」


「恐れ入ります」



と、わたしは頭をさげ、ロレーナ殿下、そしてアルフォンソ殿下につづき、玉座の置かれていた高台から降りる。


そして、床にしゃがみ込んだままでいるパトリシアに、ロレーナ殿下は膝を突き目線の高さをあわされた。



「パトリシア、これで良いか」


「ふん……。ご随意になされませ」


「偉大な姉を持ったな、パトリシア」


「……ええ。なにをやらせても、私じゃ叶いません。なにもかも……」


「だが、可愛らしさだけは姉の上をいっておるな」


「ええ、そうです。私の方が可愛らしくて、可憐で……、私の方が良い結婚に恵まれて当然だったのに……」


「わたしたち兄妹とは真逆だ」


「……え?」


「私は政道、学問、馬術、剣術、槍術、弓術、軍政、なにをとっても兄上よりも上だ」


「うん。ロレーナは本当にすごいよね」



と、微笑まれるアルフォンソ殿下に、ロレーナ殿下は振り向きもされない。



「だが、たったひとつだけ兄上の方が勝っているところがある。……器だ。誰にも勝る大きな器だけは、私では決して叶わない。その器は会った者のすべてを、即座に見抜く。そして、その者を容れ、その者のために尽くされる、大きな器。真に帝王たるに相応しき、未曾有の大器」



――ロレーナ殿下をして、そこまで言わしめるアルフォンソ殿下に、わたしは見初められたのだ……。



と、不意打ちのように、思わず胸をキュンとさせられる。


そして、パトリシアは、そんなわたしの表情を見逃さない。


忌々しげに唇を噛んだ。



「器ねぇ……」


「そうだ。パトリシア。そなたの姉は、その兄上の大器を即座に魅了した。ひと目惚れなどという言葉が陳腐に感じられるほどだ。まさに響き合う、大器と大器」


「ははっ。……マダレナ姉様が、そんないいものですか?」


「近しくおれば、当たり前に見えておったやもしれん。だが、そなたの姉は偉大なのだ。……学問はほどほどの兄上に、その卒業論文から白騎士を救う可能性を見出させてしまうほどにな」


「白騎士を救う……」


「そして、どうしても叶わない兄をまえにした、私の取るべき道はひとつ。兄上に惜しみない敬意を払い、尽くし、援ける。これだけだとは思わぬか?」



ロレーナ殿下は、わたしにかつてお約束下さった〈妹の道〉をパトリシアに説いて聞かせてくださっている。


パトリシアに通じているとは思えないけど、お気持ちが嬉しい。


だけど、わたしたち姉妹の決着は、わたしたち自身でつけるしかない。



「パトリシア……」


「……なによ、マダレナ姉様。私を見下ろして。勝ち誇ればいいじゃない? なんで、そんないい子の顔をして見下ろすのよ?」


「あなたがわたしに勝っているところは、可愛らしいところだけなんかじゃないわ。わたしでは、どうしてもパトリシアに叶わないところがあるの」


「……ふん。なによ」


「強いところよ。あなたは、わたしなんかより、ずっと強い」


「……私は可愛らしいの。儚げで可憐で、か弱いの。みんなそう言ってるわよ? ……どこが、強いって言うのよ」


「ううん、あなたは強い。わたしだったら、きっと耐え切れないわ」


「なにがよ?」


「他人の……、いいえ、血を分けた姉妹の幸福を、祝福することができない惨めさに、わたしだったら耐え切れないわ」


「くっ……」


「感服するわ」



しずかな時間がながれた。


わたしから目を逸らし、玉座のあった高台を睨みつけていたパトリシアは、やがて立ち上がった。


そして、可愛らしいベビーピンクのドレスのスカートをふわりと広げ、可憐で美しい完璧なカーテシーの礼をとった。



「マダレナ姉様。……アルフォンソ殿下とのご結婚、ご婚約、まことにおめでとうございます」


「ありがとう、パトリシア。およそ1年ぶりの祝福ね。わたしのお相手は代わってしまったけれど、嬉しいわ」


「家籍は別れても、血を分けた妹として心よりのお慶びを申し上げます」


「アルフォンソ殿下。こちらが、わたしが自慢の可愛らしい妹、パトリシアでございますのよ。やっとお目にかけることが出来ましたわ」



微笑み合うわたしとアルフォンソ殿下に、パトリシアがおくる、


礼容にかなう見事な微笑み。


パトリシアが最後の最後に見せた、意地のようなものを感じさせられた。



敗者たる者、こうでなくてはいけない。



ましてわたしの妹なのだ。


見苦しくわめいて悔しがられても、胸がスッとするはずなど、ないではないか。


厳粛なる裁きの場は、妹パトリシアからの祝福を受け、


幕を閉じた――。



   Ψ



最終的な裁定により、次々に処分が実行されてゆく。


そして、それが終われば、わたしはアルフォンソ殿下とともに帝都ソリス・エテルナに向かい、結婚式を挙げるのだ――。

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