第8話 母からの謝罪
領地サビアから迎えの馬車が到着し、生まれ育った王都から、わたしとベアトリスは離れる。
その前日――、
お父様とお母様が、別れの挨拶に見えられた。
パトリシアの姿は見えないけど、敢えて理由を聞くことはしないでおいた。
「王太后陛下より格別の思し召しを賜り、あらたな家を興すことになったわたしですが、お父様とお母様から受けたご恩を、生涯忘れることはございません」
「ははっ……。マダレナ・オルキデア帝国伯爵閣下を輩出したことは、カルドーゾ侯爵家にとって大きな誉れ。代々、語り継がれることになりましょう」
「過分のお言葉、痛み入ります」
「どうぞ、マダレナ閣下におかれましては、ご領地に赴かれましても、ご健勝にお過ごしくださいませ」
と、王太后陛下から賜った広大な王都屋敷の謁見の間で、膝を突いて送別の言葉を述べてくださるお父様。
正直、くすぐったくて仕方ないけど、王太后陛下より賜った帝国爵位の権威を毀損させる訳にもいかない。
儀礼に則った拝謁を、淡々と受ける。
ふと、お母様が目にいっぱいの涙をためて、顔を上げられた。
コバルトブルーの瞳は濡れ、真珠のように白い肌をした頬には、美しいマロンブラウンの髪が張り付いている。
そして、端正過ぎるその顔立ちを、苦しそうに歪められた。
「……私が、間違っておりました」
「えっ? ……どうして、そのようなことを仰られるのです?」
「……マダレナ閣下は、ご自身の生き方を貫かれ、帝国伯爵位という栄誉ある地位にまで、昇り詰められました。……私が申してきたことは、すべて誤りであったと後悔しております。どうか、数々のご無礼をお許しくださいませ」
わたしは思わず立ち上がって、儀礼からは外れるけど、お母様に駆け寄った。
「そんなことを仰らないでください、お母様」
「……閣下」
「いまはマダレナとお呼びください。マダレナは、お母様が間違っていたなんて、ちっとも思っていません」
「……ですが、私の凝り固まった考えに染めてしまったパトリシアは、……マダレナを大きく傷付けてしまいました。いえ、私もパトリシアの結婚準備だけに夢中になってしまい……」
「お母様は、大切なことを見落とされています」
「……えっ?」
「わたし、帝国爵位を賜ったからといって、結婚できた訳じゃありませんのよ? むしろ、あたらしい地位と姓を賜り、婿さがしはイチからやり直しになってしまいました」
「そ、それは……」
「え? お母様は、わたしが結婚を諦めたって思ってらしたの?」
「い、いえ、そんなことは……」
「……マダレナは、お母様の教えを胸に、出来るかぎり可愛らしく振る舞って、きっといいお婿さんをつかまえるぞっ! と、野望を燃やしておりますのよ?」
わたしの言葉に、お母様は目を伏せられ、静かに涙をこぼされた。
たしかに、お小言をたくさん頂戴したけど、わたしから勉学を取り上げるようなことはなさらなかったお母様。
自分と似て〈端正過ぎる〉娘が、心配でならなかっただけなのだ。
それに、童顔のお父様に似たパトリシアは、顔のつくりからして可愛らしい。そちらに情熱を傾けるのも当然のことだ。
「……家籍は離れましたけれど、わたしは生涯、お母様がお腹を痛めて生んでくださった娘であることに変わりはありません」
「マ、マダレナ……、私は……」
「お母様、すこし冷静に考えてみてください。ふたりの娘のうち、長女のわたしは帝国伯爵。次女のパトリシアは第2王子妃……。ねっ? お母様は王国史に名前を残してもおかしくない、すごい母親であられますのよ?」
「うっ……、うううっ……」
「お母様は、お父様からもう充分に愛されているではありませんか。ねぇ、お父様?」
「え、ええ……、もちろんです」
「愛されるための努力を惜しまなかったお母様は、わたしの誇りでもあります。どうか、胸を張ってくださいませ」
「……はい」
「そして、また次にお会い出来たときには、お小言を頂戴するのを楽しみにしておりますわ」
おふたりが退出された後、ベアトリスが声をかけてくれた。
「よく、言ってあげられたわね」
「でしょう?」
「ええ、立派だったわ。マダレナに惚れ直しちゃった」
「……ねぇ、ベアぁ~」
「なによ?」
「もっと褒めてよぉ~~~」
「えらい! えらいなぁ! マダレナはえらい! 世の中すべての〈娘〉の鑑だよ!」
「ふふっ……、そう? ほんとに、そう思ってる?」
「もちろんよ、マダレナ閣下……」
と、ベアトリスは「よしよし」と、わたしの頭を撫でてくれた。
持てる情熱のすべてを、妹パトリシアに注いでこられたお母様。
気にしないようにしてたけど、わたしの結婚準備にも熱心になってくださることはなかった。
そして、わたしが婚約を破棄されたときでさえ、憐みの視線を浴びせかけてくるばかりで、手を差し伸べる素振りさえ見せてはくださらなかった。
だけど――、
わたしが、心にどれだけ大きな傷を負っていたとしても、
この先、あたらしく娘を育てることもないお母様の人生を、すべて否定したところで、いったい何が残るというのだ。
わたしは領地サビアに旅立つし、
パトリシアも一旦は第2王子妃として王宮に入る。
余生というには早すぎるけど、娘はふたりとも独り立ちする。せめて心穏やかに、お父様とふたりの暮らしを謳歌してもらいたい。
遠く離れる長女として、そのくらいのことを願う資格は、
お母様のお小言をちっとも守らなかった、わたしにもあるはずよね……?
「……謝ってくれたしね」
「そうね。お母様も立派だったわ。やっぱり、マダレナのお母様ね」
「うん……」
と、ベアトリスは、わたしの頭をやさしく抱きしめ、その胸に埋めてくれた――。
「ベア」
「なあに?」
「……意外と、おっぱい大きいのね」
「いま言うことじゃないわね」
Ψ
そして、わたしは生まれ育った王都を離れる。
「す、すごい乗り心地ね……」
さすが元は王太后陛下のご領地から差し向けられた馬車だけあって、乗り心地が抜群にいい。
ベアトリスに同乗してもらい、窓から見える景色を眺めては、一緒にキャッキャする。
「ご領地に着いたら、まずはアルフォンソ殿下にお礼状をしたためないとね?」
「ほんとうね」
叙爵式のために、夢のようなドレスを贈ってくださった帝国の第2皇子殿下。
領地サビアに着いたら、統治を任されている代官から、帝国貴族としての儀礼を学ぶことになっている。
「代官のエステバンは、妾と兄上の幼馴染で、帝国儀礼に通じておる。ゆるりと学べば良い」
と、王太后陛下からお言葉を賜った。
わたしが困ることがないよう、細かなところまでお気遣いしていただき申し訳なくなるほどだ。
アルフォンソ殿下に失礼のないよう、お礼状の書き方も教わりたい。
「ふわわぁ~~~~~っ!!」
「な、なによマダレナ? マヌケな声を出して?」
「帝国第2皇子殿下にお手紙ですって!! このわたしが!! 信じられない!!」
「ふふっ。ラブレターにしちゃう?」
「バカなこと言わないでよ! そんなことしたら首を刎ねられちゃうわよ。せいぜいファンレターでしょ?」
「美形でいらしたものねぇ~~~」
「ほんと。また、お会いすること出来るのかしら?」
わたしとベアトリスは、目を見あわせては笑い合い、
一路、サビアを目指し西へと向かう。
Ψ Ψ Ψ
これが、妹パトリシアとのながい戦いの始まりになろうとは、
このときのわたしは、予想だにしていなかった。
そしてまた、〈太陽帝国〉の帝都ソリス・エテルナ――永遠の太陽を意味する壮大な都でわたしを待つ、第2皇子アルフォンソ・デ・ラ・ソレイユ殿下に、
西へ西へと呼び寄せられていく始まりであることにも気付かず、
ただ無邪気に、ベアトリスとふたりでキャッキャと、新生活への期待に胸を躍らせていたのだ――。
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