第6話 中庭の薔薇

帝国伯爵に叙爵され、新家を興したわたし。広大な新居まで王太后陛下から下賜された。


そこに押しかけて来たのは、つい先日、わたしに婚約破棄を突きつけた元婚約者、幼馴染のジョアンだった。



「マダレナ閣下がお出ましになるほどのことではございません」



と、黒い笑顔を見せたベアトリスが、入口ホールで対応してくれている。



「……マダレナに会わせてほしいんだ」


「それは、出来かねます」


「な、なあ、ベアトリス。……王立学院ではマダレナと3人、仲良く過ごした仲じゃないか? ……なんとか、取り計らってくれないか?」


「マダレナ〈閣下〉!! ……に、ございます」


「あ、うん……、閣下ね、閣下……」


「王太后陛下がひらかれた叙爵式にも列席させて貰えぬ、王国伯爵家3男というご自身の立場を、少しは弁えられてはいかがでしょう?」


「だ、だけどね、ベアトリス……。マダレナは、まだ俺のことが好きなんじゃないかな?」


「正直に申し上げれば、おなじ王国伯爵家の出自として、ジョアン殿のお気持ちが分からぬでもございません」


「じゃ、じゃあ……!!」


「ですが! 身分どうこう以前に、男として! 人として、どうか!? ……と、思ってしまいますわ」


「う、うぐっ……。し、知らないからな!? ベアトリスは侍女になったんだろ!? あとでマダレナから叱られても、俺のせいじゃないからな!?」


「なぜ、私が〈閣下〉からお叱りを受けるなどとお考えで?」


「そ、そりゃ……」


「学院時代の愛情も友情も、完全に! 失われたとお考えくださいますか? つまり、ご友人でさえない貴方様を、閣下の御前にお通しする訳には、ま・い・り・ま・せんっ!! ……どうか、お引き取りを」



――う~ん、ベアの艶やかで淀みのない声はよく響くな~。



と、中庭で紅茶をいただきながら寛いでいたわたしだけど、もちろん、



――もっと言ってやれ。



と、聞き耳を立てていた。


カルドーゾ侯爵家の継承権を喪失するや、結婚式を1か月後に控えた婚約を破棄して、わたしの心を打ちのめし、


帝国伯爵に叙爵されたら、またすり寄って来る。


一度は生涯を添い遂げようと思った幼馴染なのに、情けない限りだ。


妹であるパトリシアには家族としての情がわずかに残ってるけど、ジョアンにはそれもない。



――せいぜい、跡取りのいない王国貴族家を探して、物乞いのように歩き回ればいいのよ。



と、スッキリしただけだ。


しかも、事態がこうなると、わたしをあっさり捨てたことが響いてくるだろう。


帝国貴族を敵に回すような男を、婿として迎える家門が王国にあるとは思えない。


騎士家や豪商、豪農クラスでも怪しい。


いや、果たして王宮文官に仕官する道でさえ開かれるかどうか……?


さすがに、



「……ザマアミロ」



と、つぶやいてしまった。


そして、そんなジョアンの愚かな振る舞いと、凛々しいベアトリスのお陰で、



――わたしは、帝国貴族になったのだ。



という、実感が湧いてきた。



「あー、ベアの淹れてくれた紅茶、美味しっ!」



   Ψ



元は王太后陛下の離宮だった、広大なお屋敷は持て余し気味だ。


まもなく領地サビアに旅立つ、わたしにとっては仮暮らしに近い。


とはいえ、屋敷の手入れや身の回りの世話をしてくれる者たちは必要だ。


だけど、自ら「いい侍女になれる」と豪語したベアトリスの手腕は確かで、あっという間にそろえてくれた。



「王太后宮の執事様にもご相談させていただき、あたらしく雇い入れた者たちには、マダレナ閣下がご領地に赴かれた後も、こちらの王都屋敷を守ってもらいます」


「……ベ、ベア?」


「はい、なんでしょうか?」


「ふたりきりの時は、いままで通りにしてほしいなぁ~、……なんて」



と、思わずこちらが、へりくだった物言いをしてしまうほどに、ベアトリスの〈出来る侍女〉っぷりは素晴らしい。


凛々しい表情にメイド服も、キリッとよく似合っている。



「ご命令とあれば」


「じゃ、じゃあ、命令です。公式の場以外では、これまで通りの友だち付き合いをするように」


「もう……、分かったわよ」



眉を寄せながら笑うベアトリス。


しかし、出来る侍女は切り替えもはやい。途端に雰囲気を和らげてくれた。



「ところで、マダレナ。元実家のカルドーゾ侯爵家から連れて行きたい、メイドや執事はいないの?」


「う~ん。残念ながら、いないわね」



わたしが継承権を喪失し、ジョアンから婚約を破棄された後、わたし付きのメイドも皆、パトリシアにすり寄っていった。


彼女たちの気持ちは解るけど、わたしの気分は当然良くない。


向こうだって、わたしには後ろめたい思いを抱えているだろう。


このままパトリシアの結婚準備にいそしんでもらうのが、お互いのためというものだ。



「わたしには側近のベアトリス様がいらっしゃるのですものっ! ……サビアにはふたりで行きましょ。ねっ!?」


「マダレナがそう言うんだったら、私が反対することはないわよ」


「さすが、側近様! 頼りになるわぁ~」


「もう、変なノリやめてよね。王太后陛下の前で出ちゃったらどうするのよ?」



という王太后陛下から、わたしの屋敷にお見えになられると先触れが届いた。


たいした人数も雇っていないわたしの王都屋敷なのに、お迎えする準備を完璧に整えたベアトリスは、やっぱり出来る侍女で、頼れる側近様だ。


中庭に設えられたテラスファニチャーに、並んで腰かけてくださる王太后陛下。



「そろそろサビアから迎えの馬車が到着する頃であろうと思ってな。マダレナの顔を見ておきたくなったのだ」


「わざわざのお出まし、恐縮にございます。こちらからお伺いさせていただきましたのに」


「はっは。この離宮の中庭に咲く薔薇が、そろそろ見頃であろうと思ってな」


「そうでしたか。……たしかに立派な薔薇ですわ」



王太后陛下の視線が、淡いピンク色で見事に咲き誇るつる薔薇に向けられた。



「マダレナよ。なにか困ったことは起きておらぬか?」


「いえ、これと言って……」


「ふむ……」



と、涼しい顔をされた王太后陛下は、傍に控えるベアトリスに顔を向けられた。



「これ、そこな侍女」


「はっ」


「直言を許す。マダレナの身辺で、なんぞ困りごとは起きておらぬか?」


「はっ……」


「……そなたは、マダレナと学院で同級生であったというではないか。ならば分かっておろう? マダレナは少々のことであれば、自分が我慢すれば良いと考えてしまうタチだ」


「……ははっ。……お言葉の通りかと」


「そなたが支えてやらねばならぬぞ?」


「……お言葉、肝に銘じます」


「うむ。で、困りごとはないか?」


「……恐れながら申し上げます。マダレナ閣下の元の婚約者、メンデス伯爵家の三男、ジョアン殿が毎日押しかけておりまして……」


「ふむ。そういうことであったか……」



と、王太后陛下はティーカップを手に取られた。


表情やお話し振りから、すでに「なにか起きてる」ということはご存知だったのだろう。


薔薇を見たいというのも、きっと会いに来て下さる口実だ。


なんで、わたしにここまでの気遣いをしてくださるのかは分からない。


だけど――、


パトリシアに侯爵家の継承権を奪われ、ジョアンに婚約を破棄され、街に出れば〈棄てられ令嬢〉と嘲りの目に晒され、メイドたちは側に近寄らなくなり、お母様からは憐みの視線を向けられる、


そんな孤立無援の惨めな日々を重ねた直後でもある。


まだまだ心の傷が癒えたとは言い難い。


王太后陛下が向けてくださる温かい優しさに、ただただ胸を熱くしてしまった――。

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