第2話 継承権の喪失

その夜、わたしはお父様の執務室に呼ばれた。



「まあ、座りなさい」



と、穏やかに席を勧めてくださるお父様。


色の薄い金髪に細面、童顔を気にされて伸ばしたブラウンの髭を撫でながら、わたしの向かいに腰を降ろされた。



「結婚式の準備はどうだい?」


「ええ、皆の助けもあって、なんとか間に合いそうですわ」


「うん……。マダレナは我がカルドーゾ侯爵家の誇りだ。盛大にお祝いしたい」


「そんな……、褒め過ぎですわよ」


「褒め過ぎということはない。……王立学院を首席で卒業し、ご来賓の前で卒業論文を発表する栄誉を勝ち取ったのは、カルドーゾ侯爵家の長い歴史のなかでもマダレナが初めてなんだぞ?」


「たまたまですわよ。たまたま教授方のお気に召しただけですわ」



女が学問になど精を出すべきではないというお母様と違い、


お父様はわたしが勉学に励むのを応援してきてくれた。


この春の卒業に首席卒業は出来過ぎだけど、誇りに思ってくださるのなら、お父様の理解に報いられたようで、わたしも嬉しい。



「それも、今年は王太后陛下に加えて、又甥であられる帝国の第2皇子アルフォンソ殿下までご来賓にお迎えする中、堂々たる発表であった」


「お母様からは『また気の強そうな振る舞いを』と、お小言を頂戴いたしましたわ」


「実際、マダレナは気が強いんだから、いいじゃないか」


「まあ。お父様までそんなことを仰られて」


「ふふふ……」



わがネヴィス王国の宗主国である〈太陽帝国〉から輿入れされた王太后陛下。


そのご縁で、今年の卒業式にはアルフォンソ殿下のご臨席を賜った。


宗主国の皇子、偉大なる帝国の皇帝陛下のご子息など、普通であれば雲の上の存在だ。


お父様が満足気に何度もうなずく。



「だが、慣例を破られたアルフォンソ殿下から、直々のお声掛けがあったというのに、マダレナの返答は礼則にもかなう見事なものであった。あれがもし儂であれば、緊張で声も出なかったであろうよ」


「第2皇子殿下に失礼があってはカルドーゾ侯爵家の名折れと、必死に心を奮い立たせておりましたのよ?」


「そうだな……、マダレナは我が家の誇りだ」



と、お父様はおなじ言葉を何度も繰り返された。


善良で生真面目なお父様だけど、王国の貴族としては押しが弱い。


どうやら、わたしに言いにくい本題があるのだなと察して、しずかに微笑む。


しばらく沈黙されたあと、



「パトリシアとリカルド殿下の、結婚の件なのだが……」



と、お父様は伏し目がちに口を開かれた。



「ええ、喜ばしいことですわ」


「……リカルド殿下は、わがカルドーゾ侯爵家の継承をお望みくださっているのだ」


「えっ……?」


「兄君である王太子殿下が即位された後のことになるが、……我が家に婿として入っていただく」



王太子殿下がご即位されたら、弟であるリカルド殿下は〈大公〉の地位に就かれるのが慣例だ。


だけど〈大公〉と立派なのは名ばかりで、わずかな財産を分けられて、王室から放り出されるのに等しい。


それよりも、伝統あるカルドーゾ侯爵家に婿入りして領地と財産を受け継ぐことは、第2王子としては堅実な選択といえる。


即位されたあとの王太子殿下のご意向によっては、大公位との兼務も可能だろう。


そして、我が家に男子がいれば話は別だけど、王家の意向に対して選択権はない。



「それは、我がカルドーゾ侯爵家を繁栄させる、素晴らしいお申し出でございますわね」


「……うむ」


「わたしのことでしたら、お気になさらないでください。たとえ無爵の身となろうとも、王家とカルドーゾ侯爵家のため、身を粉にして働かせていただきますわ」



侯爵家を継承し、幼馴染のジョアンと一緒に家門を守るという、わたしの人生プランは一瞬で奪われてしまった。


だけど、王家があればこそのカルドーゾ侯爵家。


リカルド殿下を家門に迎え入れれば、当主が国王陛下の実弟という時代がやってくるのだ。



「きっと、リカルド殿下とパトリシアが、カルドーゾ侯爵家の黄金時代を築いてくださいますわ」



わたしの言葉に、お父様は眉間にしわを寄せながらも、かろうじて笑顔を見せてくださった――。



   Ψ



「ほんと、勝手な話よね」



と、親友のベアトリスが憤慨してくれた。


チョコレートブラウンの髪には艶があり、セルリアンブルーの瞳は奥深くて吸い込まれそうになる。


だけど、わたしと同じ〈端正過ぎる〉顔立ち。



「ベア、そんなに眉間にしわを寄せたら、余計に気が強そうに見えるわよ?」


「別にいいわよ、わたしのことなんか」


「親友にそんなこと言われたら、わたしの方が気を使っちゃうじゃない」



と、おどけて見せるのだけど、ベアトリスは一向に笑顔を見せない。



――近寄りがたい雰囲気。



と言われる美人同士。


自分のことを〈美人〉だなんて言うのは気が引けるけど、ベアトリスは本物の美人。神話に出てくる女神様のようだ。


ただ、いまのネヴィス王国ではパトリシアのような可愛げのある顔がもてはやされている。


わたしやベアトリスのように凛々しい美人は、男性貴族から敬遠されていて、人気がない。


それもあって、ベアトリスとは学院で知り合った同級生だけど、入学してすぐに意気投合した。


お昼はいつも一緒に食べたし、時にはジョアンと3人だった。


去年、パトリシアが入学してからの1年間は4人になることも多かった。



「マダレナは可愛がってるけど……、パトリシアは何か企んでるって思ってたのよね」


「企むだなんて……。ただ、お慕いしていたリカルド殿下との恋を成就させただけじゃない」



パトリシアとリカルド殿下の婚約が発表され、王都はちょっとした騒ぎになった。


すると、すぐにベアトリスが駆け付けてくれたのだ。


ベアトリスは、家門同士のお付き合いがほとんどないロシャ伯爵家の次女。直接会うのは卒業以来の約1ヶ月ぶりだった。



「で……、どうするの?」


「どうするも何も、まずはジョアンとの結婚式を滞りなく終らせて、それから身の立て方を考えるしかないわね」


「ジョアンか……」


「……どうしたの?」


「ん~? ……うん」



ベアトリスにしては珍しく、曖昧な思案顔をわたしに向けた。



「パトリシアは、ジョアンを狙ってるとばかり思ってたんだけど……」


「まさか。わたしたち小さい頃から3人で遊んでたけど、そんな素振りを見せたことないわよ?」


「マダレナがそう言うなら、わたしの気のせいかもしれないけど……」


「気のせいよ」



と、笑い飛ばすわたしに、ベアトリスはやっと笑顔を見せてくれた。



「あーあ。マダレナ女侯爵様に侍女として雇ってもらおうと思ってたのになぁ~」


「なによ、ベア。結局、自分のことじゃない」


「あはっ。バレたか」



ちいさく舌を出して、自分のあたまをポコンと叩くベアトリス。


どんなに顔のつくりがキツそうに見えても、この可愛らしさを見付けられない王国の男子は、みんな目がふし穴だと思う。


と、ベアトリスがわたしの手を堅く握った。



「なにがあっても、私はマダレナの味方だからね。それは忘れないでいてね」


「大袈裟ね。……でも、ありがとう。わたしも、ずっとベアの味方よ」



カルドーゾ侯爵家の継承権を喪失したのは、わたしにとって大事件ではあるのだけど、ベアトリスは少し心配し過ぎだと思っていた。


だけど、その懸念が間違いではなかったことがすぐに分かる。


結婚式を1か月後に控えていたジョアンから、お父君のメンデス伯爵を通じて正式に、婚約破棄の申し入れがあったのだ――。

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