第2話

 それまで必ず登城していたハーロルトが、突然登城を取りやめた。表向きは体調がよくない、ということで、ハーロルトの代わりに、エファルが城に登った。


 当然、エファルは正式な代理人ではなく、ましてや後継者でもないので、エファルには何の権限もなく、発言も出来ないが、ハーロルトが座っている席の後ろに立つことだけは許された。


 会議はそれまでの停滞とは全く打って変わって、外征を決定しただけではなく、どこの領地を切り取るか、という具体的な計画まで進めていった。


 バディストン公国の東は『死神の砂漠』という、一度踏み入れると帰ることが出来ない、という広大無辺の砂漠が広がっている。北は『異界の柱』とそれを守護する『獣人の町』という不可侵の地域があって、選択肢は自然と西と南に向けられる。


「であれば、西のムーラを。……」


 円卓の誰かがそう発言したところで、エファルは広間を出た。ラグランス公王はおろか、隣の席の重臣まで誰も気づく気配はなく、むしろ、あえて気づいていないふりをしていたようでさえあった。事実、エファルが城を出た後であっても、誰も追いかけてこなかった。


「はーろると様は、主君より見限られたやもしれぬ」

 エファルは呟くと、ハーロルトの屋敷に戻った。

 ハーロルトは何も言わなかった。ただ、エファルの報せに一々頷くだけであった。

「いかがなされますか。今一度、らぐらんす様に諫言されまするか」

「今一度、か……」

「どのようであっても、主君は主君。諫言を用いて御諫めをし、思いとどまらせるのも、忠義か、と」

「もう一度だけ、陛下に話そう。それでも不調に終わったとき、その時こそ、国を離れ、亡命しよう」


 翌朝、ハーロルトの屋敷に来客があった。来客は、筆頭文官のヘクナームという男で、ハーロルトとは、公王を挟んで右隣に座っている。ヘクナームは外征派のなかでもとりわけ強硬派で、ハーロルトとは政敵といってもいい間柄だ。


「体調がすぐれないと聞き、お見舞いに参上しました」

 というのが、ヘクナームの口上だった。

「おおかた、私の様子を探りに来たのだろう、逃げ支度をしているのかどうかも含めてな」

「なるほど。……へくなーむとか申される御仁には、少々お気をつけられた方がよろしいかと存じまする」

「分かっている」


 ハーロルトはヘクナームを屋敷の来賓の間で出迎えた。

 ヘクナームはハーロルトの病状を根掘り葉掘り聞いてきた。

「そんなに、私が倒れるのを望んでいるのか、ヘクナーム」

「いえいえ、そういうわけではありません。何しろ、私は公王陛下の命を受けて、お見舞いに来ているのです。陛下にハーロルト卿のご病状を詳しくお聞かせせねばなりません」


「なるほど、それは疑って悪かった」

「いえ、お気に召さらず」

 ヘクナームの口ぶりに、ハーロルトは眉を険しくさせた。

「公王陛下は、ハーロルト卿を公国の中でもとりわけ、忠誠の篤い臣下と思し召しでございます」


「それはありがたいな」

「ただ、今のままでは、公王陛下に仇をなす、逆臣と捉えられかねません」

「何が言いたい?」


「はっきり申し上げます。足下の我が国の状況は極めてよくありません。いや、悪いといった方がいい。あの狼族からの献言を元に、極北山脈の鉄鉱石を採取した結果、確かに国力は上がりました。貿易も出来、外貨の獲得も順調です。ですが、それだけでは到底足りないのです」


「何が足りない」

「力です」

「公王陛下は、この西大陸を支配されるつもりか」

「ええ。極北の小国が、西大陸を従える。公王陛下は、そのようにお考えでございます」


「ばかな、そのようなことが出来るわけがない」

「と、仰いますと?」


 ハーロルトは現在の国力で、西大陸を支配するのは夢物語だ、といった。先ず周辺の領土を運よく従うことが出来たとして、西の『ムーラ』、南の『シーフ=ロード』との力の差は歴然としてあって、ムーラを攻めればかならずもう一方、つまりシーフ=ロードが北進をしてくるだろう、そうなったときに、間違いなく我が国は滅ぼされる。敗けることが分かっている、果てしのない戦いを、わざわざ作る必要があるのか、と問いかけた。


「では、現状のままでよい、と卿は仰るので?」

「無論、そうは言っていない。ただ、闇雲に近隣を攻めてもいずれ、痛い仕返しを受けるのは間違いない。わざわざそのような苦難の道を選ぶ必要はない、と言っている」


「先代王よりお仕えされていた、古参の方とは思えぬ発言ですな」


「無用な戦を仕掛けては、いずれ国が亡ぶぞ」


「亡びませぬ」


「……そもそも、陛下はなぜ外征を考えたのだ」


「それは、国力の。……」


「誰の献策だ、と尋ねているのだ。公王陛下が一人でお考えになったわけではあるまい。誰かが言わなければこうはならんはずだ。ヘクナーム、お前か」


「はい。私でございます」


「欲望にとりつかれたか」


「いえ、私とて国を憂いている一人でございます。私だけではございません、この国の中枢にいるものであれば、皆憂いています。ハーロルト卿も同じでございましょう」


「当然だ。だから、お前自身を責めはしない。ただ、外征はするべきではない、といっているだけなのだ」


「どうしても、反対されますか」


「変えるつもりはない」


 残念です、そう、ヘクナームは言い残して屋敷を出ていった。エファルとハンナが入れ替わりのようにして入った。


「はーろると様」

「いよいよ、私の命運も、この国の命運も尽きたかな」

「では、支度をととのえまする。……はんな殿、旅の支度をすぐに」


 はい、とハンナは来賓の間を慌てて出ていった。

「エファル、遠からず、この屋敷を攻めてくるだろう。そして、ラグランス公王への反逆者として、名が残ることになるだろうな」

「はーろると様、お支度を」


 うむ、とハーロルトは身支度を整え始めた。ひとまずの食糧、衣服、寝袋。他に愛用の長剣と盾、甲冑は屋敷に置き、質素な鎧を纏った。エファルはいつもの鋲打革鎧、手甲と脛あてをつけ、片刃の長剣を帯びている。


「用意が出来ました」

 ハンナが飛びこんでいていうと、エファルとハーロルトは屋敷を出ようとした。表の門を開けた時、バディストン公国の、黒の甲冑を纏った馬上の騎士と、長槍を構えた兵士たち、その後ろに弓をつがえた弓兵が二重に取り囲んでいた。


「どこへ行かれる?ハーロルト卿」

 騎士のうちの一人が甲の仮面を上げた。

「ちょっとした旅だ、ダイセン卿」

「陛下の許可はとっておられますか」

「これから取りに行くところだ」

「円卓の者が旅に出るには、事前に許可と手形が必要ですが、お持ちではないのですね」


 そうだ、とハーロルトが頷くと、ダイセンは手綱を掴んでいた手を外し、振り上げた。槍兵が一歩前に進み、弓兵が矢をつがえ、斜めに上げた。


「このまま御屋敷の中に戻っていただければ、多少の監視はつけますが、命の保証は請合います。どうか」


 ダイセンの目がうるんでいた。矢が飛ぶ音がした。


「誰が放ってよいといった!!」

 申し訳ありません、と後ろの方から声がした。ハーロルトたちが屋敷の中に戻ったとき、ダイセンは構えを解いた。


「ハーロルト様」

 ハンナが怯えたような声をあげた。ハーロルトはハンナの頭をゆっくりと撫でながら、エファルに裏口の様子を探らせた。


「裏口も抑えられておりまする」


「なるほど、いずれ私たちを討伐するつもりだろう。とはいえ、ダイセンにやらせるとは、陛下も酷なことをされるものだ」


「だいせん殿は、はーろると様と隣におられた方でしたな」


「奴は外征には初め反対の立場だった。だが、妻と子供を人質に取られてから、彼は屈せざるを得なかったのだ」


「人質にとるのは、弱みを握るという意味において、間違っておりませぬ。大名が妻子を江戸屋敷に置くのも、謀反を起こさせぬ為でござりまする故」


「よくは分からんが、とにかくそういうことなのだろう。それゆえ、ダイセンは苦しい思いをしている。助けてやりたいが、現状ではどうにもな」


「それよりもまずは、いかにここを脱するかを考えるのが最善かと」


 とはいえ、表も裏も蟻一匹這い出る隙もない。今のままでは孤立無援の籠城に等しく、いずれ屈するか、倒されるかしか道はない。

 エファルは屋敷の屋上に登った。日暮れ時で影が細長くのびる。裏口にいるのは槍兵が数人と弓兵が後ろにいる。


「はーろると様、軍勢は、搦手の方が手薄にござるぞ」


「搦手?」


「裏のことでござる。表門の虎口に相手を引きつけ、搦手より脱すのが上策かと心得まする」


「……よし、それはエファルに任せよう。ハンナは私と共に裏口に」


 ハーロルトはハンナを連れて裏口にいる兵士に気づかれないように壁を伝いながら異動していく。一方のエファルは、わざとらしいほどに音を立てて表の扉を開け、ダイセンの前に立った。


「どうした、狼族の者」


「それがし、仔細あってダイセン殿と一騎打ちを所望いたす」


「一騎打ち?なぜだ」


「仔細ありと申し候。それより他に申すべき事なし」


 いいだろう、とダイセンは馬から下り、甲冑を周囲の者に外させた。ダイセンは癖の強い金髪の若者で、甲冑の下は綺麗に編み込まれた鎖帷子が現われた。ダイセンは裏口に回っている兵士たちに、表側に来るように命じると、


「それでは、ハーロルト卿が逃げるやもしれませぬ」


 と周囲の者が止めようとする。それでも構わぬ、とダイセンはそれには応じず、エファルの前に立った。


 ダイセンは幅広の長剣を両手で使う。エファルはいつものように腰にさしてある反りのある片刃の長剣。エファルはゆっくりと抜いた。剣の長さではダイセンの方に分がある。エファルが勝つためには、ダイセンの懐に潜り込まなければならない。ダイセンは両手持ちの大剣を真直ぐに構え、エファルも長剣を突き出すようにして構えた。


 ダイセンが弧を描くようにじりじりと距離を詰めようとするのへ、エファルはそれに合わせて体を軸にして動かない。ダイセンが気合を入れて踊かかったとき、裏口から炎が上がった。


「何事だ!!」


 ダイセンだけではなく、周囲にいた者すら驚いた声を方々であげていた。


「早く消せ!!」


 ダイセンが叫ぶのを、エファルは剣をおさめつつ背中で聞いていた。近くの井戸で水をかぶり、屋敷の中へ飛び込んだ。


 火の手はすでに屋敷中に回っていて、エファルは何度も二人の名を呼びながら探してまわった。


 裏口に近づくにつれ、微かにエファルを呼ぶ声がする。ハンナの声に違いなかった。

「エファル様!!」

「はんな殿!!」


 ハンナは裏口前で、口を抑えて大きく咳込み、髪から煙が立っているように見受ける。ハーロルトはハンナの前で横になっていた。鎧を貫通し、胸に矢が刺さっていた。


「……、エ、ファルか」

「はーろると様、お気を確かにお持ち下さりませ」

「ハ、ハンナを。……ハンナを頼む」

「承知仕り候」


 ハーロルトはくすくす、と笑った。途端に口から塊のような血を噴き出し、咳込んだ。ダイセンの声が遠くに聞こえると、


「は、……はや、く、出ろ」


 裏口の門は半壊していた。エファルはハーロルトにしがみついて離れようとしない、泣きじゃくるハンナをハーロルトから剥がすようにして抱きかかえると、そのまま裏口の門を蹴とばした。


 槍兵と弓兵がエファルを囲む。エファルの脳裏に、一つの風景が閃くようにして浮かび上がった。


「……、そうであった」

 そうであった、とエファルは何度か叫ぶと、途端に笑い始めた。ハンナを始め、周りの者が怪訝そうにエファルに近づく。エファルは暴風のような剣捌きで、槍兵をなぎ倒したか、と思うと、次の瞬間には弓兵の首を刎ねていた。


「エ、エファル様?!」


 ハンナの困惑に、エファルは、


「いや、つい先ほど、己が何者か思い出し申した。まるであけぼのに昇りたる靄が日に照らされて雲散霧消するほどに」


「は、はあ」


「エファル、という名もさりながら、それがしは人吉相良家納戸役、榊陽之助と申す。以後、お見知りおき願いたい」


「あの。……えっと、さ、さか?」


「さかき、ようのすけ、と申す。無論、これまで通り、エファルと呼んでいただいて差支えはござらぬ」


「……、で、ではエファル様。ひとまず逃げましょう」


「では、どこに逃げ申そうか」


「私の故郷が、ムーラにありますので、そこに逃げましょう」


 闇夜の中に大きな火柱となった屋敷が、轟音と共に崩れ落ちていく。エファルとハンナはその熱を背面で受けながら、西へ向かった。

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