ガルネリア大陸興亡記

更科

第一部 バディストン落日

第1話

見る夢は決まって、小太郎が起こしに来るものだ。

「父上、もう日が高うございますよ」

 小太郎の声は陽だまりのように温かい。その心地よさで起きるのが億劫になる。小太郎は母のあけびを呼ぶと、こんどはあけびが起こしにやってくる。

「朝四つでございますよ」

 いつも朝四つ。心地よく、何度も呼びかけられながら揺り動かされる。


「……。ファルさま、エファルさま」

 目が覚めると、いつものハーロルトの屋敷だった。エファルが寝ぼけた眼でぼう、と周りを見ると、ハーロルト付きのメイドのハンナが立っていた。

「ご主人様が城に向かわれるということですので、用意してください」

 エファルは一つあくびをして、円型のベッドから離れて起き上った。

「起こしていただき、かたじけのう存ずる。しかるに、はーろると様は、支度をととのえておられておいでかな」

「いえ、ハーロルト様もさきほど起きられたばかりですので」

「左様か。……そういえば、それがしの胴丸はいかがされた」

 胴丸、とハンナは何度かなぞると、

「ああ、革鎧のことでございますね。出入りの者に修復させております」

 と、答えた。

「そは重畳。して、胴丸は」

「そちらにかけております」

 鎧をかける人型を模したハンガーに、鋲打の革鎧がかけられてあった。エファルはそれを取り出し、身に着けていく。狼のびっしりとしたきめ細かい体毛を革鎧が押さえつける。

「うむ、これでよい。その業者殿に、よしなにお伝え下され」

「……、あの、いつも思うのですが、エファル様は狼族、ですよね?」

「いかにも」

「その割には、他の狼族とは話し方が違いますね」

 狼族とは、このガルネリア大陸での獣人種の一つで、狼が立っているような背恰好に、鋭い爪を持っている種族だ。話し方も片言のような、短文で区切る独特のくせがある。他に、自分の事を名前で読んだりすることも特徴の一つだが、エファルにはそのような所が一切ない。

「なんでですか?」

「さあ、それがしにも分かり申さず。直した方がよろしかろうか?」

「それがエファル様らしくていいと思うので、直さない方がよろしいかと」

 そうしていると、ハーロルトが、支度をととのえたというので、

「エファル、行くぞ」

 と、呼びにやって来た。

「はーろると様、支度は整えておりますれば、いつなりとも同道できまする」

「ただ城に向かうだけだ」

 ガルネリア北東の小国であるバディストン公国のバディストン城へ向かうハーロルトは、一種の名物のようになっていた。ハーロルト自身ではなく、ハーロルトの従者をしているエファルが目当てである。

 狼族は人に仕える、ということをさほど良しとせず、元来一人で行動することが多い。その行動生態もさることながら、そもそも南方の種族である狼族が北方の国にやってくることが珍しいため、エファルはちょっとした有名人になっていた。

 エファルは鋲打革鎧と革の手甲、脛あてに反りのある片刃の長剣を腰につけている。ハーロルトの三歩うしろを歩きながら、バディストン城に向かう。三歩うしろ、という距離をまるで測るように寸分も狂わないまま、城の鉄扉の前に立った。ハーロルトが鉄扉を叩くと、鉄扉が不気味な、軋む音を上げながら開いていく。城に踏み入れたハーロルトはそのまま城の大広間に向かって行った。

 大広間にはバディストン公国の中枢を担う騎士や文官たちが円卓の席に座っている。ハーロルトは玉座に一番近い席に座り、エファルはその後ろに立った。

 バディストン公王ラグランスが、公国の象徴の色である、漆黒の毛皮をかけられた鋼鉄製の玉座に座ると、会議がはじまった。議題はかねてからの取上げられている外征についてであった。バディストン公国は国土が狭く、また『異界の柱』と呼ばれる不思議な不可侵地域が隣接していることもあって、神聖帝国レザリアや魔法国ムーラ、あるいはシーフ=ロードのような大国と違って、国力は小さい。そのため、外征をおこなって領土を拡張し、国力を大きくさせる、というのがラグランスの考えだった。

 ハーロルトはそれについて、かねてから反対の立場に立っていた。外征よりも、バディストン内で収穫できる鉄鉱石を加工し、売買することで国力を伸ばせばよく、というのが、ハーロルトの考えだった。

 ただ、今は鉄鉱石の収穫量が少しずつ減ってきている事を考えると、鉄鉱石に代わる品物がない現状にあって、ラグランスが外征の意向を明示していることに、円卓の会議において、ハーロルト以外に反対している者はいない。

 結局、円卓の会議で決まったことは探索の継続と、新たな産業の発掘の進み具合、といった程度で、結局めぼしいものは何も決まらなかった。


「これではどうにもならんな」

 屋敷の自室に戻って普段着に着替えたハーロルトは苦笑した。このままではいずれバディストン公国が自滅するか、そうでなくとも近隣諸国に飲み込まれる可能性がある。それを防ぐために、国力の増強は待ったなしになっているというのに、円卓の諸官たちはラグランス公王の意向に唯々諾々と従うだけで、思考というものがない。

「あれならば、お前ひとりの方が実に役に立つ」

 ハーロルトはエファルに言った。

「勿体なきお言葉」

「何が勿体ないものか。事実ではないか」

「いえ、それがしはただはーろると様の身辺をお守りするだけの身でござれば、主君を守ることだけが取り柄でござる」

「いや、お前は何かを隠しているほどに、才能がある。実際、公王陛下が外征に拘られる前に、鉄鉱石の扱い方を教えてくれたではないか」

「あれは、偶さかにござる」

「偶然などではない。お前は知っていて、私に教えてくれたのだ。……これ以上はよそう。それにしても、つくづく不思議だな、お前という奴は」

「はんな殿にも、言われ申した」

「だが、悪い奴ではない。……どうだ、俺の養子にならんか」

「家督を告げ、と申されまするか」

 聞きなれない家督、という言葉。ハーロルトは、それはどういう意味だ、と尋ねた。

「いや、さきほどはーろると様はそれがしを養子に、と仰せでござりました。しからば、それがしがはーろると様の跡を継ぐ、ということになりますれば、これは家督の継承、ということになりまする」

「その口ぶりも実に変わっている。……そうだ、お前の言い方の、カトクとかいうものだ。私には、妻に先立たれ、子もいない。いずれ、この家は消えるだろう。だがそれだけは惜しい。お前であれば、私は何ら不足はない」

「有難いお言葉なれど、それがしには荷が勝ちすぎまする」

「そうか。……そうだろうな、お前はこんな小さな所にいてよい者ではないからな」

「それがしは、はーろると様の御側を離れるつもりは毛頭ござりませぬ」

 いや、とハーロルトは何度も首を振った。

「狼族は、一つの場所に定住することをしないという。いくらお前がここに残ろうと思ったとしても、おそらくそれは叶うことはないだろう」

「何故でござりましょうや」

「それが、運命というものだからだ。運命は、己の意思を飛び越えてやってくるものだ、どんなに嫌がっていてもな。もしそのような時がやってきたら、逆らわず、身を運命に任せよ」

 ハーロルトはベッドにもぐりこむや、直ぐに寝息を立て始めた。

「あら、もうお休みでございますの?せっかく食事が出来ましたのに」

「はーろると様はお疲れのご様子ゆえ、このまま寝かせておくのが上策かと」

「では、お食事はどうしましょう」

「はんな殿が食されては如何。それがしは、生の肉があればそれで」

「エファル様はいつもの通りにしておりますので、どうぞ」

 食用の広間に向かったエファルは、卓の上に置かれた大きな銀のボウル一杯に詰め込まれた生肉に牙を突き立て、音を立てて食べ始めた。エファルの口が生肉の血で深紅に染まるがそれに構わずエファルは最後まで食べ、ボウルについている血まで舐めるほどであった。

 ハンナも食べ終えたところで、残りをハーロルトのために残し、エファルは寝床に着いた。エファルの寝床は床に置かれた大きな丸い籠で、エファルは革鎧をハンガーにかけ、剣を置いてそれに体を沿わせるようにして丸くなって寝るのだが、その姿は狼そのものである。


 ハーロルトは夜も明けきらぬ頃に起きた。ハンナはまだ寝ているが、エファルはハーロルトの気配を察して、すでに寝床から離れ、ハーロルトの自室の扉をたたいた。

「入れ」

「早いお目覚めでござりますな」

「早くに寝てしまったからな、随分と目覚めがいい。どうだ、少し体でも動かさないか」

 ハーロルトとエファルは庭に出た。円形の中庭はコロッセオを思わせる作りになっていて、二本の樫の木剣が壁に立てかけられている。

 ハーロルトとエファルがそれぞれ持つと、ハーロルトは木剣を胸元で立て、エファルは腰に持ったまま一礼した。ハーロルトが両手で握って突き出すように構えるのに対して、エファルは腰に木剣を添えたまま、木剣の持ち手に手を添えている。

 ハーロルトが上段から振り下ろすのが合図となって、ハーロルトは左右に振り、あるいは突きをいれ、そして下から撥ね上げ、何度もエファルを襲った。

 エファルはハーロルトの剣の筋を見切って、当たるかどうか、というほどに距離を詰めながらも、体毛一本振れさせなかった。

 エファルが唯一繰出した攻撃は、上段に構えたハーロルトの喉元に迫っていた。参った、という言葉と同時に、ハーロルトは木剣を放りだした。エファルは剣を元のように腰に沿わせ、深く一礼した。

「やはり敵わないか」

「いえ、はーろると様も鋭うござりました」

「おべっかはよせ。……それにしても奇妙な剣だな、お前の剣は」

「はあ。どうしてそれがしがこのような剣を振るえるのか、皆目見当がつき申さず」

「お前の剣はお前だけの独特なものに違いない。多少、狼族のことは知っているつもりだが、そのような剣の使い手は見たことがない。噂では、極東の方にお前の使っている剣によく似たものがあるらしいが、極東には狼族はいないとも聞く」

 何とも不思議だ、とハーロルトは木剣を拾い上げて元に戻した。

「おはようございます」

 ハンナが声をかけた。

「ハーロルト様、昨日の食事が残っておりますが、どうなさいますか」

「わかった。少し温めるなりしていただこう。エファルの分はあるな?」

「勿論でございます」

 三人は食事を終え、ハーロルトとエファルはまた城に向かう。ハンナはそのまま屋敷の仕事を続けることになる。


「またいつもと同じか」

 ハーロルトが愚痴をこぼしたくなるほど、円卓の会議は全く進まない。だがそれは、ハーロルトが外征に反対をし、そのことで会議が止まっているようにも思える。ハーロルトはそのようなつもりは毛頭なかったが、しかし、この無言の同調圧力に屈してしまえば、バディストン公国は後戻りのできない闇の道を突き進むのが目に見えている以上、公王の意思を翻意させなければならない。

 ハーロルトはラグランスに何度も直訴した。再考し、内地でもって国力を上げる方策を考えるべきだ、と。

 だがラグランスの意思は、何かに取り込まれたように硬かった。それどころか、このバディストン公国、円卓の会議の人員の中で最も古参であり、かつ近衛騎士第一席という重臣にあるハーロルトを、排除しようという空気すらあった。

 エファルはそれまで陽気の中で寝ているような顔をしていたが、空気を敏感に察知して、次第に縄張りに侵入してきた敵を見つけたような顔をし始めた。

「狼族、なんだその顔は」

 会議の人員の一人がエファルを指さしていった。ハーロルトは抑えるようエファルに命じた。エファルは一歩も動くことはなかった。

「どうなるかな」


 城からの帰り道、ハーロルトは諦観していた。恐らく自分の意見が通ることはないだろう、そうなればいくら古参の重臣であっても、君主の命令一つで首が簡単に飛ぶのが、バディストン公国の闇であった。

 屋敷に戻るや、ハーロルトはぐったりとして普段着に着替える事すら面倒がるほどになっていた。

「最早、私の出る幕はないな」

「左様な事はござりますまい」

「果してどうかな、公王陛下も、ご自身のお命が短いと思って、焦っておられる。このような時には、耳に逆らう言葉など通じようはずがない」

 後は、他に任せるしかないな、と、ハーロルトはため息をついた。

「はーろると様。兵法において、『三十六計逃げるに如かず』という言葉がござる」

「どういう意味だ」

「力の限りを尽くし、知恵を尽してもなお、どうにもならぬ時は逃げるより他はない、という意味でござる」

「随分と難しいことをしっているものだ」

 とハーロルトは目をまるくした。どこで覚えたのか、と問われたが、エファルは分からない、と答えるだけだった。

「ますます不思議な男だ、お前は。狼族とは思えんな。口調といい、剣の腕といい、さきほどの言葉といい」

「それがしも、己が何者か分からぬことに歯がゆさを禁じ得ませぬ」

「少なくとも、他の狼族とは違うことは間違いないだろう。いずれ分かる時が来るかもしれんな」

 ハーロルトは、そう言ったきり、何も言わなかった。

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