第二章 聖杯⑥

 華ちゃんとのデートを終え、英国屋に戻る。

 陛下はソファーに座ってチョコレートを食べながらマンガを読んでいた。


「紅茶かコーヒー、淹れましょうか?」

 俺がいうと、陛下は、「コーヒー」といった。俺は一階の木下珈琲店で買った珈琲

豆を挽いて、サイフォン式でたっぷり時間をかけてコーヒーを淹れた。

 カップをテーブルに置いたところで、陛下がきく。


「ちゃんと華を楽しませてきたか?」

「ええ」

「そうか。ならばよし」


 陛下は満足そうにうなずく。そして俺をみる。

 俺の服はちょっと破れてるし、髪はボロッとしている。


「なにかあったのか?」


 しれっとした顔の陛下。俺は少し考えてからこたえる。


「たいしたことは、なにも」


 それから俺も陛下のとなりに座ってコーヒーを飲み、チョコレートを食べ、マンガを読んだ。ページをめくる音と、アンティークな柱時計の秒針の音だけが部屋を満たす。

 陛下との静かな時間。

 でもそのうち、なんだか外が騒がしくなった。サイレンが鳴り、時折、悲鳴がきこえる。

 スマホでSNSをチェックしてみれば、どうやら都内のあちこちで集団自殺が発生しているらしい。自殺配信までいっぱいやっていて、大混乱のようだった。


「これ、もしかして――」

「悪魔の前夜祭だろう」


 陛下はマンガから目を離さずにいう、


「ラビから連絡があった。アスモデウスという名前付きの悪魔が聖杯を手に入れたらしい」


 聖杯の力を使って、地獄の本体を人間の世界に招き入れる。

 浮かれた悪魔が、その前夜祭をやっているのだろうと陛下はいった。


「そのアス――なんちゃらってやつ、心を読んだりします?」

「心や過去を読んで、相手の恐怖の対象をいいあてる。恐怖を克服できなければ、アスモデウスの支配下だ」

「ところでこれは?」


 俺はテーブルの上に目をやる。マンガの他に、数丁の拳銃と、たくさんの弾丸が無造作に置かれていた。十字架の刻印がされた金色の弾丸だ。

 他にも、それっぽい小瓶に入った水や十字架、聖書っぽい本もある。


「ラビのいいつけでフライデーが届けてくれた」


 俺は回転式拳銃を一丁、手にとってみる。


「俺、別にもう、クロマリちゃんを取り返さなくてもいいんですよね」

「華とデートしたからな。私は約束を守る」


 回転式拳銃をふって、シリンダーを外側にだす。


「今日、不死者狩りの人に会いました。きっとああいう人たちがいっぱいいて、そのなかにはすごく強い人もいるんですよね」

「そうだな」


 陛下は相変わらずマンガを読んでいる。

「そのうちエクソシストがやってくるだろうし、この国にも不死者を取り締まる国家機関がちゃんとある」

「へえ~」


 俺は銃弾をひとつ、シリンダーのなかに入れてみる。


「きっと、悪魔や聖杯のことも、俺がなにもしなくても、その人たちがきちんと片づけちゃったりするんでしょうね。世の中の多くのことが、俺がかかわらなくても全然平気なのと同じように」

「だろうな」


 陛下はまだ視線をマンガから外さない。


「ヒーローはいつもしかるべき場所にいて、小市民のひとりが大事を憂いて行動する必要はない。それが現実だろう」


 俺はまたひとつ、銃弾をシリンダーに入れる。それを繰り返していくうちに、シリンダーは金色の弾丸でいっぱいになる。


「名前付きの悪魔ってのは、めちゃくちゃ強いんですよね」

「とても強い。手練れが集まれば倒せるだろうが、ただでは済まないだろう」

「恐ろしいですね」


 俺は銃弾でいっぱいになったシリンダーをくるくると回す。


「陛下、俺に命令するとき、ぐっと力入れますよね」

「ああ。ぐっといれる」

「ぐぐっと力いれたら、どうなります?」


 そこで陛下はマンガを閉じる。


「楽勝だ」


 そのきれいな顔を向けて、俺の目をみながらいう。


「アスモデウスなんて簡単にやっつけられる。調子のりのりでいい。謙虚さなんて必要ない。お前は女王の尖兵として、思うままに力を振るえばいい」

「そうですか」


 俺は銃を振って、シリンダーを戻し、装填を終える。いつでも引き金をひける。


「正直、あんま実感ないんです。聖杯とか、悪魔とか、話がデカすぎて。悪魔が人間界にでてきたら大変なことになるってのはなんとなくわかるんですけど、でも、それもきっと、ニュースのなかの出来事みたいに、他の誰かが防いでくれるから俺がやる必要ないって、心の奥底では思ってるんです。でも――」


 俺は思いだす。

 華ちゃんが、俺が言葉にしなかった行動をちゃんとみていてくれたことを。

 華ちゃんが別れ際にみせた、俺に無理させないための笑顔を。

 だから、俺はいう。


「俺、スーツ着て煙草いっぱい吸いながら、銃ぶっ放して悪魔をやっつけるタイプの映画、超好きなんですよね」

「この映画好きめ」


 これ以上の会話は必要なかった。俺たちが信じるのは行動で、言葉はいつもシンプルだ。

 陛下はソファーから立ちあがり、そしていう。


「悪魔を倒せ。女王陛下の名の下に」


 俺はひざまずく。


「イエス、ユアマジェスティ」



 月のない夜、都内の高級ホテル、エントランスの前に陛下と立つ。

 このホテルは悪魔の経営で、ケンジこと悪魔アスモデウスもここにいるらしかった。

 ガラス越しに広々としたロビーがみえる。

 大理石の床、瀟洒なシャンデリア、赤い絨毯、二階のプロムナードへと続く大階段。

 その至るところで、着飾った男女が、グラスを持って楽しそうに談笑していた。


「めっちゃ浮かれてますね~」

「もうすぐ人間の世界が自分たちのものになると思っているからな」

「ここにやる気まんまんの二匹のギャングがいるとも知らずに」

「そういうことだ」


 俺と陛下は白いシャツに黒のネクタイ、そして同じく黒いスーツの上下という格好をして、口にはぺロペロキャンディをくわえている。


「さて、ちゃちゃっと片付けるか」

「やりますか~」


 

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