第二章 聖杯⑤

「早く渡せよ。でないと次はこっちのホームでやるぞ」


 そういわれても俺聖杯持ってないし、でも聖杯渡さないと大変なことになるし、俺どうすればいいんだろ、俺! って考えていたそのときだった。


「ん?」


 ケンジが首をかしげる。

 みれば、ケンジの胸からいつのまにか、日本刀が生えていた。

 え? と思いながらよくみると、ケンジの背後から髭を生やした貫録のあるおじさんが、日本刀を突き刺していた。


「少年、もう大丈夫だ」


 貫録のあるおじさんがいう。


「俺の名前は仁、界隈では一の太刀の仁と呼ばれている。政府からの依頼も受ける不死者狩ハンターだ。かつて教会で修行もし、何体もの悪魔を倒し、若い頃は読者モデルの女の子とも――」

 

 おじさんの言葉は途中で中断された。

 ケンジが貫録おじさんの首を折ってしまったからだ。ケンジは日本刀で刺されてもピンピンしていて、傷はみるみるうちに再生する。


「通過列車まで時間がないぞ」

「ケンジ、お前、最高に邪悪じゃねえか!」


 でも――。


「自分語りおじさんのおかげでわかったことがあるぜ」


 俺は小学生の手から金属バットを奪い取る。

 ホームにいる人たちを助ける方法。それは――。


「てめえをぶっ倒せば解決するんだろ!」


 そういって、ケンジにバットで殴りかかろうとする。

 でも――。

 バットがケンジに届く寸前で、なぜか体がとまってしまう。


「え?」


 戸惑う俺に、ケンジが語りかける。


「いっただろ。恐怖を感じた人間を操れるって。電車のなかで、お前は俺に過去をいい当てられて恐怖を感じた」


 それに、とケンジはつづける。


「もともとお前は俺に恐怖を感じていたんだ。お前、空気が読めないし、みんなができることできないだろ」


 ケンジはいつも、どんなときも失敗しない。優等生って意味じゃなく、クラスメートとの会話や人付き合いもそつがなくて、これまで生きてきて恥をかいたことがないんじゃないかってタイプのやつだ。

 それに比べて俺は、きっと他の人より失敗が多い。

 ケンジのいったとおり、小学校のときにはダサいケンカをいっぱいしてしまったし、中学は遅刻だらけ、高校では文化祭の看板を汚したってことでみんなに白い目でみられた。


「お前は普通のことができない迷惑な半端野郎だ。それをわかってるから、学校から逃げだした。そんなお前からみれば、当たり前のことを当たり前にできる、普通の俺が最初から怖いんだ」

「アホみたいに人を殺しておいて、普通とかいってんじゃ――ねえよ!」


 俺はもう一度ケンジに殴りかかる。でも、やっぱり、へにゃぁ、となって、まったく力が入らない。


「恐怖を感じた人間は、俺を傷つけることはできないぞ」


 ケンジはそういいながら、貫禄おじさんの日本刀を拾いあげる。そして動けない俺の腹に、その刃をゆっくりと突き刺してくる。


「いた、いたたたたたたっ!」


 俺は激痛で、膝をつき、その場に崩れ落ちてしまう。そのとき、視線が低くなって、俺はそれをみつける。

 ホームのベンチに、クロマリちゃんがちょこんと座っていた。

 俺の視線を追って、ケンジもその存在に気づく。


「……なんだ、本当に持ってなかったのか」

 ケンジはもう俺に興味を失くして、ベンチに向かっていく。

 クロマリちゃんは阿部のときみたいに、その場から離れようと動きだすんだけど、なにせ二頭身のぬいぐるみだから移動スピードは超遅い。あえなくケンジに拾いあげられる。

 ケンジはクロマリちゃんをつかむと、恍惚とした表情を浮かべた。


「ついに聖杯が俺の手に……まるで夢みたいだ……」


 ケンジはそのままホームの階段を登って、この場を去っていこうとする。

 しかし、階段の途中で思いだしたように足を止め、こっちを振り返った。


「そうだ、はじめたことはちゃんと終わらせないとな。斑目、お前みたいたいな半端ものにはわからないだろうが、そういう、コツコツした積み重ねが大事なんだ」


 ケンジがそういった瞬間、周りにいた人たちが痛みで動けない俺をひきずって、線路に投げ落とす。そして彼らも線路に降りてきて、俺を押さえつける。

 それだけじゃない。

 ホームにいた人たちも、次々に線路に飛び降りてくる。


「ケンジ~!!」


 遠くから、通過列車が走ってくる。


「じゃあな。ちゃんと学校こいよ。もうこれないと思うけど」


 そういってケンジは去っていく。

 列車はトップスピードでホームに入ってきた。



 線路に放り投げられてから一時間後、俺は華ちゃんの住むマンションの前にいた。


「今日はありがとうございました! せ、先輩と一緒に観覧車に乗れて、まるで、その……とにかくありがとうございます!」


 エントランスの前で、華ちゃんが頭をさげる。


「ちょっとボロッとしながら再登場したときは、びっくりしましたけど」


 線路の上で、たくさんの人に押さえつけられていた。

 通過列車がホームに入ってきて、俺、ぺしゃんこになるんだろうな~、なんて思った次の瞬間だった。体の奥底から力が湧きだして、俺は、体を押さえつけてくる人たちを振り払い、間一髪で脱出していた。

 普通の人間の動きじゃなかった。

 思いだしたのは、華ちゃんとデートすることになったときの、陛下の言葉だった。


『華を楽しませてこい』


 陛下はあのとき、ぐっ、と力を入れたのだ。それが、発動した。デート中に死んでしまったら、華ちゃんを楽しませることができなくなるからだ。

俺の腹には日本刀で穴が空いてしまっていたけど、それも問題なかった。痛みはあっても、体は勝手に動いて、コンビニに入っていった。


「さてはあれだな、裁縫セットを買って自分で縫っちゃうパターンだな!」

 なんて思ったけれど俺が買ったのはホッチキスとガムテープだった。

「?」


 勝手に支払いをする俺の体。コンビニをでたあと、俺の体はふらふらとトイレの個室に入っていった。まさか、と思ったときには服をめくってお腹をだして、ホッチキスを傷口にあてていた。


「ちょ、待って、いや、こういうの知ってるけど、くそ~!! いて~!!」


 俺は傷口をばちんばちんとホッチキスでとめていく。

 陛下がいっていた。陛下の命令を受けたとき、俺の体はその目的を達成するために勝手に動く。でも、その行動の細部は俺の想像力、イマジネーションに依存している。

 どうやら俺は乱暴なアクション映画の見過ぎらしい。


「もうドクターハウスしか観ないからな~!」


 そんな感じの応急処置で血を止め、俺は待たせていた華ちゃんを迎えにいった。そして、ホームの混乱で電車が止まってしまっていたので、少し距離を歩いて、華ちゃんを自宅のマンション前まで送ってきたのだった。

 互いに今日のお礼をいいあい、じゃあここでお別れ、という感じになったときだった。


「あ、あの――」


 華ちゃんは目を伏せながらいう。


「ま、斑目先輩は立派な人です!」

「いきなりどうしたの?」

「生徒会長がいってたこと、気にする必要ありません」


 電車のなかで、ケンジは俺の小学校からの失敗をあげつらった。でも――。


「斑目先輩が小学校のときケンカをいっぱいしたのは、女の子を守るためです」


 華ちゃんが顔を赤くしながらいう。


「クロマリちゃん大好きな女の子が、からかわれてたから」

「いや――」

「中学のとき、連日遅刻をしたのは、河川敷に捨てられていた猫のお世話をしていたからです。飼い主がみつかったあと、先輩は遅刻していません」

「まあ――」

「高校の文化祭の看板だって、クラスメートの女の子がうっかり汚して泣いちゃったから、自分がやったことにしただけじゃないですか」

「そうなんだけど……」


 俺は照れくさくて頭をかく。


「ていうか華ちゃん、俺のことみすぎじゃない!?」

「え、ちょえ、ちが、ちがいます!」


 そういうんじゃないんです、と華ちゃんは顔を真っ赤にしながら両手をぶんぶん振った。

 そして少しすねたような顔でいう。


「先輩が自分でいわないからです。だから私がいったまでです」


 俺はなんだか恥ずかしくて、頭をかく。


「先輩は、そういうのが『粋』だと思ってるんですよね」

「どうだろうな~」

「エリさんとちょっと似てますよね」

「え?」

「だって、あの人も絶対説明したがらないじゃないですか。あれ、説明したら無粋だと思ってるんですよ」


 たしかに陛下はその傾向が強い。

 華ちゃんはつづける。


「先輩はマナーなんてすぐに習得しますよ」

「そうかな?」

「ええ。だって、陛下と同じなんですもん。口じゃなくて、行動で語る。マナーだってそうじゃないですか」

「俺も陛下も、強情なんだろうな」


 ちがいます、と華ちゃんはいう。

「クラシックなだけです」


 俺は少し黙る。そして――。


「――華ちゃん、門限は大丈夫?」


 あまりに華ちゃんが俺を褒めるものだから、こそばゆくなって、俺はいった。


「お父さん、心配してるんじゃない?」


 すると――。


「父は、遠くにいますから」


 華ちゃんは少しトーンを落として


「そっか。海外にいるんだっけ? 年末だし、帰ってきたりしないの?」


 俺がきいたところで、華ちゃんは少し気まずそうにいった。


「実は…………父は亡くなったんです」

「え?」

「いわなきゃ、ってずっと思ってたんですけど……」


 華ちゃんのお父さんは、華ちゃんが小さい頃からずっと、仕事で海外を転々としていたらしい。


「あまり家族のことをかえりみない人だったんですけど、私がクロマリちゃんを好きだったことだけは覚えていて」


 それで毎年、誕生日やクリスマスにはクロマリちゃんのグッズをプレゼントとして送ってきたのだという。


「成長して私の好みが変わってるかもしれないのに。きっと、私のことずっと子供のままだと思ってたんでしょうね。父らしいです」


 そんなお父さんが秋に倒れた。病気が進行していて、検査を受けて発覚したときにはすでに手遅れだったらしい。お父さんは華ちゃんに手紙を書き、クロマリちゃんのぬいぐるみキーホルダーと一緒に送り、そのまま現地で亡くなったという。


「ごめん。変なこときいちゃって」


 俺が謝ると、華ちゃんは首を横にふる。


「いえ、いわなかった私がわるいんです」


 華ちゃんはいい子だから、重い気分にならないよう気をつかってくれていたのだろう。

 その気づかいはさらにつづく。


「父は今まで、たくさんのクロマリちゃんをくれました。だから、今回のやつ、無理して探さなくていいですからね。斑目先輩も大変なことになっちゃいましたし」

 俺はなにもいえない。

こういうときのスマートな振る舞いを、俺はまだ習得していない。

 華ちゃんはとても明るく、元気な表情でつづける。


「物より思い出ってやつです。ひとつくらいなくたって平気なんです」


 それから華ちゃんは今日のお礼をいっぱいいってから、「それでは!」と手を振ってマンションの中に入っていった。

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