第二章 聖杯②

ファミレスでの食事が終わったあと、華ちゃんは塾があるからとひとり帰っていった。

 陛下と俺はコンビニに寄り、ソフトクリームを買ってぺろぺろ舐めながら、英国屋に向かって歩いていた。すると、陛下は立ちどまり、鼻をすんすんさせていう。


「地獄の香りがするな。この感じは、名前を持つ悪魔か――」


 陛下はいつもどおりの表情のまま、とても冷静にいう。


「人がたくさん死ぬかもしれないな」



 陛下がクロマリちゃんを聖杯と呼んだ日、俺たちはラビのテーラーに向かった。

テーラーの地下室で、ラビは都庁爆破事件の、俺の姿を借りたシェイプシフターが踊っている映像をみながらいった。


「なるほど、クロマリちゃんの王冠部分が聖杯ね」


 クロマリちゃんは様々なデザインのぬいぐるみが発売されている。けれど頭のところに金属の王冠がついている商品はどこにも存在しなかった。


「このクロマリちゃん、華ちゃんのお父さんからのプレゼントだったかしら?」

「お父さんが海外にいて、ちょっと早めのクリスマスプレゼントってことで送られてきたらしいです」

「きっと、ぬいぐるみが華ちゃんの手に渡るまでのあいだに、どこかで取り憑いたのね。海の上か、空の上かはわからないけれど。聖杯は時代によって姿かたちを変える、大きなエネルギーのようなものだから」


 ラビの話によると、聖杯は、とても価値のあるものらしい。


「歴史上、一時代を築いた君主の多くが、聖杯を所持していたといわれているわ」

 必ずしも杯の形をしてなくて、時代によって、宝石だったり、玉璽だったりするらしい。

「国が建つんですか……」


 俺は陛下をみる。陛下は俺が思ったことを察していう。


「そうだな。聖杯の力で国を建ててしまうのもやぶさかではないかもな」


 でも、聖杯の力はそれだけじゃないとラビはいう。


「さっきもいったけど、聖杯は人智を越えたエネルギーよ。悪魔もずっと探してる」

「なんで悪魔が聖杯を欲しがるんですか? 悪魔国家建国?」

「聖杯には境界を壊す力もあるから」


 つまり――。


「地獄で焼かれつづけている自分の体をこの世界に持ってきたいのよ。人間の世界は快適だから」


 聖杯は人にとっても悪魔にとっても、とても価値のあるものだった。


「阿部はひとり抜け駆けしようとしたのね。弱い悪魔でも、聖杯さえあれば強くなれる」


 自分が持っていることを隠すために、俺を利用したのだ。

 阿部が俺に化けて聖杯を持っている映像を流したせいで、事情を知らない他の悪魔たちは俺が聖杯を持っていると思っている。


「悪魔以外にも不死者はいるから、そういうやつにも狙われるかもね」

「俺、みんなに狙われるんだ……」

「全ての不死者にに狙われる。同じ人間にも狙われるかもしれない。聖杯は途方もない力を与えてくれるから。うまく使うことができれば、なんでも可能になる。世界を統べる、願いをかなえる類の力よ」


 聖杯争奪戦に巻き込まれたというラビの見解をきいた俺の感想はたったひとつだった。


「俺、持ってないのに~!!」



 争奪戦に巻き込まれてから、今日に至るまでの日々は、ポップ&キャッチー&グロテスクだった。

 ポップ&キャッチーの部分は陛下がマイペースに英国屋で依頼を受ける部分で、グロテスクが悪魔からの襲撃だ。

 幼稚園からの依頼で、サンタとトナカイの格好になってクリスマス会に参加する。園児を楽しませていると、悪魔が襲ってくる。園児がみてない裏で、トナカイ陛下とサンタな俺が、ふたりで力をあわせて、悪魔の心臓に十字架を突き立てる。

 遊園地のホラーハウスでキャストをしてくれという依頼がくる。俺たちはゾンビになってお客さんを驚かす。そんなことをしていると本物の悪魔が襲ってきて、拳銃で脳天を吹っ飛ばす。お客さんの前だったか、これもショーですよ、という顔でやりすごす。

 アイドルのコンサートで客席を埋めてくれと依頼がきて、サクラとしてコンサート会場でサイリウムを振っていたら、アイドルがみんな悪魔で、照明器具を落下させてグループ全員をぺしゃんこにする。

 そんな感じの日々を過ごし、ついに今日、陛下が強い悪魔の気配を察知した。


「ついに悪魔きちゃったか~」


 俺はいう。

 ファミレスでのマナー教室のあと、英国屋に戻って、陛下お気に入りの丸いテーブルに座ってお茶を飲んでいるときのことだ。

「食後の紅茶のあとはクロマリちゃん探しだな」

 陛下はステッキを子供みたいにぶんぶんふりながらそんなことをいう。

 聖杯の力で、クロマリちゃんのぬいぐるみは動きだした。

 商業ビルのエレベーターに乗り込んでいったのを最後に見失っている。

ただ、クロマリちゃんの足は超短いので、そんなに移動のペースは速くない。

 だから時間があるときはなんとなく街をぶらぶらしてクロマリちゃんを探している。

 でも――。


「陛下、そろそろ手を引いてもいいんじゃないですか?」


 俺はいう。


「華ちゃんにクロマリちゃんを渡してあげたい気持ちはやまやまですけど、もう英国屋のテンションじゃなくなってきてますよ~」


 聖杯争奪戦は激化している。悪魔をグロテスクにやっつけてるし、なんかもう、人もカジュアルに死んでいきそうな気配だ。

 シェイプシフターの阿部はテーラーの地下に監禁している。あいつの仕業だって公表して、クロマリちゃんが手元にないことをわからせれば、足ぬけできるはずだ。


「そうだな」


 陛下はいう。


「その選択肢もあるだろうな」

「え? なんか、あっさりですね。意外です」

「私は全てが思ったとおりにはいかないとちゃんとわかっているタイプの陛下だ」

 ただし手を引くなら、と陛下はひとつの条件をだした。

「華とデートすること」

「デートですか? またよくわかんない条件だしてきますね」

「埋め合わせはするべきだろう」


 陛下はクリスマスに華ちゃんと女子会をする予定になっているらしい。


「サプライズで斑目がいってこい」

「いや、それ華ちゃんがイヤがりますよ。陛下と女子会したいのに、俺がいったら――」


 陛下はそこで目を細めて俺をみる。


「このお間抜けちゃんめ。警察に相手にされなかったとはいえ、真面目な華が理由もなくこんな怪しい便利屋を頼ってくるか?」

「自分で怪しいっていっちゃったよ」

「華を楽しませてこい」


 陛下はもうそれ以上説明する気はないようだった。

 こうなったらなにをいっても説明はしてくれない。だから俺はいった。


「イエス、ユアマジェスティ」

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