第二章 聖杯①
陛下がクロマリちゃんのことを聖杯と呼んだ数日後のことだ。
俺はファミレスで食事をしていた。正面の席に陛下がいて、となりには華ちゃんが座っている。
俺の目の前にはハンバーグセットが置かれていた。ハンバーグとライス、サラダ、スープがあり、その周囲にはナイフとフォークが配置されている。食器は陛下がならべた。
俺はハンバーグを前に、深呼吸をする。
緊張の、一瞬だった。
「なにから食べる?」
陛下がきいて、俺はこたえる。
「スープからいきます」
俺はそういったあとで、テーブルにいっぱい置かれているスプーンのうち、小さなものを手に取って飲もうとする。しかし――。
「ストップ」
陛下にとめられる。
「それはティースプーンだ。スープを飲むときはその丸いスープスプーンを使う。はい、やりなおし」
「え~」
俺はティースプーンを元に戻し、丸いスプーンを使って、スープをすくって飲む。
「なんかぁ、もう、お腹減ってるんでぇ、ハンバーグいっちゃっていいですかぁ?」
「
みればナイフが二本置かれている。
「これ、絶対一コ、引っかけで置きましたよね?」
「早くしないと冷めるぞ」
「う~ん」
俺にはどっちも同じにしかみえない。まあ、二分の一ならなんとかなるだろう、と思ってテキトーに一つを取って食べようとするけど――。
「はい、ストップ、不正解」
「も~!!」
「お前が手にしたのはフィッシュナイフ。よくみろ、刃がつるっとしてるだろ。肉を食べるときはギザギザのステーキナイフを使え」
「ハンバーグくらい気楽に食べさせてくださいよ~」
「ダメだ。礼節が人をつくる」
ファミレスでわちゃわちゃやりあう陛下と俺。
そんな俺たちをみて、となりに座っていた華ちゃんがいう。
「斑目先輩、マナー指導されてるんですね」
「そうなんだよ。いつもこうなんだ」
英国屋のリビングのすみっこにはよくわからないガラクタが積まれている。地球儀や望遠鏡、甲冑、航海で使う感じのコンパスなんかだ。
俺と出会ってすぐの頃、陛下はその散らかった部屋の一角から、ステッキを引っ張りだしてきた。それでなにをするかというと、俺が猫背になっているとツンツンつついてくるのだ。お腹をひっこめろとか、胸を張れとかいって、姿勢を矯正してくる。
陛下がいうところの、『斑目真一紳士化計画』だ。
そして紳士になるためには姿勢を正しくするだけでは足りないらしく、俺が英国屋のソファーでだらだらしていると英語の勉強をさせようとしてくるし(自分はスマホで遊んでいる)、服もジャケットを着せようとして、ラビのテーラーにヴィクトリア式だか英国式だかのオーダースーツまで発注した。
たしかにフォーマルな陛下とカジュアルな俺の組み合わせはギャップがある。でもそれがいいんじゃん~って思うけど、陛下はフォーマルとフォーマルで抜け感なくキメたいらしい。
そして、そんな俺を紳士にするという目的のもと、ファミレスで食事をするときも厳しくマナー指導されているのだった。
「俺、お腹減ってるんですけど~!!」
「フォークとスプーンの名前をちゃんと覚えれば食べていいぞ」
「自分はポテトフライ手でつまむくせに~」
「そういうことをいうと、こうだ」
陛下がフォークで俺のハンバーグをとっていこうとする。俺はそれをナイフで防ぐ。するとお皿の上でナイフとフォークの戦いがはじまった。
「おい、斑目、行儀がわるいぞ」
「それは陛下もでしょ~」
そんな感じで、いつものごとく陛下とじゃれついてると――。
「むっす~!」
と、となりに座る華ちゃんが頬をふくらませていた。
「え? なになに、どうかした?」
「いえ、別に」
華ちゃんが、ぷいと横をむく。
「なんか、陛下と先輩って距離感近いなと思いまして!」
たしかに、陛下はすぐにデコピンしてきたり、俺の頬を引っ張ったりしてくるから、スキンシップが多いといえば多い。
「髪を整えろ、髪を~」
そういって、普段から俺の髪を手でさわってくるし、
「シャツにはアイロン~」
といいながら服を引っ張るし、
「靴もちゃんと磨く」
なんていいながら、俺のスニーカーをふみふみしてきたり、
「お前には教養が必要だ」
と、美術館に連れていき、俺がデカい絵をみながら「デカくてすげ~」ってアホの子みたいな感想をいってると、「こういう場所で大きな声をだすのはよくないぞ」と、俺の口元に指をあてたりもする。
細くて白い指がふわっとくちびるに当たったときは、ちょっとドキッとした。
でも――。
「そういうのよくないと思います!」
ファミレスでも同じ調子の陛下をみて、華ちゃんがいう。
「い、いえ、エリさんがわるいとかではなくて……その、エリさんきれいだし……斑目先輩がそっちにいっちゃうというか……そ、そうではなくて……勘ちがいしちゃうというか……そ、そうです! 斑目先輩は高校生で、ハンパにやさしくしたら、絶対勘ちがいして襲ってきて、体に欲望いっぱいぶつけられて滅茶苦茶にされちゃいます! 斑目先輩に不用意にさわるのはよくないです!」
「俺のことなんだと思ってんの!?」
陛下はそんな華ちゃんの様子をみて、いう。
「私は斑目を紳士にしようとしている。華もそっちのほうがいいだろ」
「俺は今のままで困ってないですけどね~」
なんていうと、陛下はつんとした顔になる。
「おい、もっとやる気だせ。大事だぞ、マナー」
「紳士になってもいいことないですもん~」
「いいことあればやるのか?」
「まあ」
すると陛下はなにやら思案するような顔をしてからいう。
「じゃあ、ちゃんとやるならご褒美をやろう」
「え?」
「なんでもいってみろ」
「なんでもありなんですか?」
「ああ。私はご褒美ちゃんとあげるタイプの陛下だ」
俺は陛下からもらうご褒美について考える。陛下は英国屋にガラクタをいっぱい溜めこんでいるが、なにやら高価そうな宝石や金貨も持っている。であれば――。
そのときだった。
なぜか頭に浮かんだのは幼稚園のときの記憶だった。
同じ組にいたイタズラ好きのガキんちょが、転んでひざを擦りむいたことがあった。そいつは、なにやら思いついた顔をすると、若くてきれいな先生のところに走っていった。痛い痛いというと、先生はそいつを抱っこしてよしよしと頭をなでた。そいつは先生の胸に顔をうずめたあと、砂場で遊んでいた俺をみてニヤッと笑った。
俺も、大好きな先生だった。
あまりの衝撃に俺は口をあけ、その場でスコップを手から落としていた。
あのときの記憶が、ありありと蘇る。
俺は陛下の胸をみる。
「ご、ご褒美は!」
「ご褒美は?」
「お、お、お――」
「お?」
「お、お、おっ、おっ……いや、やっぱキスで!」
「ちょっと~!!」
華ちゃんが声をあげる。一方、陛下は冷静だ。
「なんだ、そんなことでいいのか」
「ダメです~!! 絶対、ダメ!」
華ちゃんが両手をぶんぶんふる。
「ツッコミどころ多すぎてなにからいっていいかわかりませんけど、キスはそんなに軽々しくするものじゃないです!」
「そうか、華がそういうのなら、そういうものなんだろう」
「エリさんはちょっと浮世離れしすぎです……」
「気をつけよう」
陛下はそういったあとで、なにやら意味ありげな目つきで華ちゃんをみながらいう。
「それはそうと、華は斑目とどれくらいの付き合いなんだ?」
「え? そ、それは――」
華ちゃんが急に黙りこんでしまうから、代わりに俺がこたえる。
「この依頼からですよ。華ちゃんはかわいくて目立つから、下の学年にそういう子がいるな~、とは思ってましたけど。だから、まあ、高校から一緒って感じなのかな?」
「高校から……」
なぜか華ちゃんがすねた顔をする。
「斑目はアホだからな。変なことばかり覚えていて、肝心なことは覚えてないんだろう」
陛下はそんなことをいって紙ナプキンを手にとる。
「マナー教室を再開するぞ。ほら、ソースがついている」
陛下が俺の口元を紙ナプキンでふく。すると――。
「いたっ!」
俺は思わず声をあげる。
華ちゃんが机の下ですねを蹴ってきたからだ。
「なんで!?」
「さあ?」
華ちゃんは顔をそむけていう。
「なんででしょうね!」
結局、マナーを失敗するたびに陛下につんつんされ、そのたびになぜか華ちゃんに蹴られながら、俺はハンバーグセットを食べたのだった。
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