第一章 英国屋①
俺の名前は
学校は長期自主休校中。きっかけは親父。
俺は子供の頃からスーツをビシッと着こなす親父をかっこいいと思ってて、漠然と将来はまあ、あんな感じになれればいいな、くらいにふわっと考えてた。
でもある日、街中で親父が頭をぺこぺこ下げているのをみてしまった。取引先に怒られて謝罪してたらしい。
「かっこわるいとこみせちまったな」
俺に気づいてた親父は、その晩、家に帰ったところで声をかけてきた。
「真一、お前は自由に生きろよ」
親父はなにげなくいったんだと思う。
でも俺は頭がシンプルだから、それを男の約束みたいに受け取って、さっそく次の日から学校を休みはじめる。
俺はちょっとボケっとしたところがあって、これまで将来の目標とか一日のルーティンとかタイパとかコスパとか考えたことがなくて、ハンバーガーおいし~、ゲーム楽し~、みたいなテンションだけで生きてきた。
でも、考えなしに生きてたら、なんとなく大学いって、みんながそうしてるからって就職して、サラリーマンになってしまう。
自由に生きるためには、場合によってはそういうレールから外れる可能性も考えなくちゃいけないんじゃないの? そう思って学校を休んでみたんだけど、じゃあなにをしたらいいのかといわれたらよくわからない。
時間だけはいっぱいあって、映画が好きだったから、とりあえず俺は単館系の映画館に毎日通ってみる。
でもそんなことしてるとすぐにお金は尽きる。それでこの生活をもう少しつづけるためにバイトでもしようかなって思ったところで俺は気づく。
好きなことして自由に生きてくためにはお金が必要だ。
そしてお金を稼ぐためには働かなきゃいけない。
つまり、俺は自由に生きようとして、そのためにはお金が必要で、お金を稼ぐためにはバイトをやらなくちゃいけない。バイトしてお金をためたら、また自由に生きられるかもしれないけど、お金が尽きたらやっぱり働かなくちゃいけない。
「悪の無限ループ、完成しちゃってるじゃん……」
俺はそんな世界の真理にたどりついてしまった。
「ライト兄弟が電球を発明したときもこんな気持ちだったのかな……」
映画館の前で、からになった財布を握りしめ、捨て犬にみたいな気持ちで途方にくれていたら、人形のような顔立ちの女の人に声をかけられた。
「ライト兄弟が発明したのは飛行機だぞ」
それが陛下だった。
「電球はエジソンだ」
それが俺と陛下のファーストコンタクト。そこから陛下に誘われて、陛下がやってる便利屋、『
英国屋があるのは
東京都内、山手線の少し外側に位置する街だ。レンガ造りの博物館が街のシンボルで、歴史の香りがする。そしてカフェとレストランがたくさんあって、美大生や外国人が多い。陛下は物語からそのままでてきたようなゴシック調の格好をしてるけど、異国情緒あふれる天文町だとそれがけっこう似合っていた。
陛下は地元の人たちからけっこう愛されていて、エリちゃんと呼ばれている。いつも澄ました顔をしてるんだけど、猫が歩いているとどこまでもついていったり、商店街のくじ引きに外れるとめちゃくちゃ悔しがったりするお茶目なところがあるのだ。
でも、陛下にはとんでもない野望があった。
「私はかつて七つの海を支配した国の女王だった」
陛下は商店街にある珈琲店の二階を間借りして英国屋をやっている。そのアンティーク調の家具がいっぱい置かれた小さな部屋で、陛下はソファーに腰かけながらいった。
「理由あって力と地位を失っているが、またここから国をつくるつもりだ」
「ここから?」
俺が部屋をみまわすと、うむ、と陛下は真顔でうなずいた。
「間借りしてる部屋しかないですけど」
「天文町はもう私の領土だ」
「日本政府にとって超迷惑な存在じゃないですかぁ……」
陛下は英国屋にくる依頼の報酬を、少しの金銭と、陛下の国民になることを条件にしている。だから依頼をこなすたびに、着実に国民が増えていると胸をはる。でも依頼した人たちは陛下のいってることを全然本気にしてなくて、国民になるというのも、お友だちになるくらいのことだと思っている。
でも、俺は知っている。
陛下は『女王陛下の名の下に』といいうフレーズを使って強制的に、他人にいうことをきかせることができるし、首にガラスが刺さっても死なない超不思議存在だ。
不老不死だったら、本当に歴史上のどこかで女王陛下をやっていたかもしれない。
部屋にある銀の食器も、机の上にある燭台も、全部レトロで高級そうなものばかりだ。
俺はそんな陛下の正体を知りたくて、陛下の下で働いている――。
なんてことはない。
ただ普通に、陛下が美人だから一緒にいる。
◇
朝早く、俺は天文町通りにある商店街にやってくる。
冬の寒い空気のなか、小走りでテーラーに立ち寄り、陛下お気に入りのシャツを受けとって、個人経営のコーヒーショップ、木下珈琲店に入っていく。
店内では開店の準備が始まっていて、コーヒーの香ばしい匂いがした。俺は店長に挨拶をしてから、二階にあがっていく。
英国屋として依頼を受ける執務室兼リビングを通りすぎ、その奥にある陛下の私室の扉をノックする。
「陛下、朝ですよ。起きてください」
返事はない。この程度で陛下は起きないのだ。だからいつものごとく、部屋のなかに入っていき、ベッドカバー越しに陛下の体をゆすった。
すると陛下は、「うむ」といって、半開きの目でベッドからでてくる。
俺はちょっと目をそむけながら陛下の足下にスリッパをぽんぽんと投げる。なぜ目をそむけるかというと、陛下は下着姿で眠るからだ。
陛下の下着はいつも超大人っぽい。色は赤とか黒が多くて、生地はレースだったり、つるつるした光沢のあるサテン地だったりする。陛下の白い肌をきわだたせる派手な下着を横目でみるたびに思う。
陛下、いつも冷静な顔してるけど、夜はえっちな可能性あり……。
えっちな可能性あり!
なんてことを考えつつ、陛下に服を着せていく。ドレスシャツの胸元のボタンを留めるときはドキドキするけど、ヴェルヴェットのジャケット着せてリボンタイをするころには、着せ替え人形を美しく着飾っている気分だ。
それから俺は陛下の髪を櫛でとかす。
いつもの陛下のビジュアルが完成したところで、俺は台所で朝食をつくる。トースターにパンを入れて、コーヒーを湧かして、フライパンで目玉焼きとベーコンを焼いた。
できた朝食をトレーに載せて、陛下お気に入りの木製の丸いテーブルの上に置き、俺も一緒に食べる。こうして英国屋の一日は始まる。
そのあとは執務室兼リビングで依頼がくるのを待つ。
こういうとき、だいたい陛下はスマホゲームをしている。陛下は服装も言動もトラディショナルだけど、ポップカルチャーがかなり好きなのだ。
俺は陛下がゲームをしている横で、同じソファーに座り、マンガを読む。
しばらくすると、陛下が「口が寂しい」というので、俺はマンガを読みながら、ポッキーの袋をあけて、一本、陛下の口っぽいところ突きだしていく。
「おい。そこ、ほっぺだぞ」
俺はマンガが面白すぎて目が離せない。だからテキトーにポッキーを動かす。
「不敬だからな、そういうの。とっても不敬だからな!」
結局、依頼が一件もくることがないまま昼になり、スマホゲームに飽きた陛下が立ちあがっていう。
「巡幸にいく」
陛下は本気で天文町を自分の領土だと思っているので、おでかけすることを、やんごとなき身分の人が街をみてまわる『巡幸』という表現を使う。
俺は立ちあがった陛下の肩にコートをかける。陛下が手をだすので、白い手袋をその手にはめる。さらにひざまずいて靴も履かせる。チョコレートでべたべたになったほっぺもしっかり拭いてあげた。
外にでて通りを歩くと、道ゆく人たちはみな陛下をみる。陛下は本当にモデルとか女優みたいで、とにかく人目を惹く。そんな陛下のとなりを歩くのはちょっと誇らしい。
なんて、思っているときだった。
「おい、なんだあれは」
陛下が驚いたようにいう。その視線の先には女の子がいた。
「なぜ王冠をしてる!?」
女の子は頭に金色の王冠を載せていた。
「あの子はコスプレをしてるんです。そういうキャラなんです」
「ダメだろ。私は国民の文化を尊重するが、王冠はさすがにダメだろ」
さらに陛下は目を細めて女の子をみる。
「なんか、頭も高い気がしてきた」
「変なところで絶対君主感だしてこないでくださいよ~」
俺は陛下の背中を後ろからおしてさっさと歩かせた。
そして昼ご飯を食べるため、商店街にある中華料理店に入った。客は全然おらず、中央がくるくる回る大きな中華テーブルに陛下とふたりで座る。
「エリさん、いらっしゃい」
チャイナ服を着た店員のお姉さんがメニューを持ってやってくる。
「陛下と呼べ、陛下と」
お昼の定食セットを頼むと、店員のお姉さんは、「イエス、ユアマジェスティ」と笑いながら厨房へと引っこんでいった。
ほどなくして四川料理が運ばれてきて、俺たちは行儀よく食べはじめる。
「そういえば、ワイドショーは全部あれでしたね」
俺は朝、テレビで報道されていたことを思いだしていう。
「SNSもこの話題で持ちきりですよ。テロだとか、他国の侵略だとか」
俺は食べながらスマホの画面をスクロールしていく。
「へえ~宇宙人の仕業かもしれないんだ。たしかにそういわれると、なんかそんな気がしてきますね」
それは昨夜、陛下の指示で潜入し、俺が巻き込まれた事件でもある。
「陛下はどう思います?」
そして、俺はその事件の名前をいった。
「東京都庁爆破事件」
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