風の国のゼファ(Ver,2.0)

山内 剛

プロローグ:滅びのダム

 黒雲が空一面を覆い尽くし、稲妻が山々を照らし出す。風は冷たく、湿った空気が肌にまとわりつくようだった。遠雷が響く中、闇の神の軍勢が黒い波のごとく山を駆け上がってくる。その数は圧倒的で、大地が彼らの足音に震えていた。


 山頂に立つ三人の戦士たちが、その光景を見下ろしていた。魔法剣士クローヴィスは剣の柄を強く握りしめ、鋭い眼差しで迫り来る敵を見据える。彼の心には覚悟と葛藤が交錯していた。


「ここで食い止めなければ、全てが終わる…」。クローヴィスは低く呟いた。その声には揺るぎない決意と、微かな焦燥が滲んでいた。


 隣に立つ戦士エリナは、長い銀髪を風になびかせながら、冷静に戦況を見渡していた。彼女の瞳には強い意志と憂いが宿っている。「クローヴィス、準備は整っているわね?」その声は静かだが、芯の強さを感じさせた。


「もちろんだ」。クローヴィスは短く答えた。


 背後では、魔導士ピッピが複雑な呪文を詠唱していた。小柄な彼からは想像もつかないほどの魔力が溢れ出している。彼は目を閉じ、全神経を集中させていた。


 エリナは一瞬、遠くの空を見上げた。黒雲の隙間から微かに星が瞬いている。「この戦いが終われば、本当に平和が訪れるのかしら…」


「迷っている暇はない」。クローヴィスが彼女を見つめる。「俺たちがやらなければ、誰がこの世界を救うんだ」


 エリナは頷き、視線を前方に戻した。「そうね。私たちの使命を果たしましょう」


 クローヴィスはピッピに目を向けた。「ピッピ、頼んだぞ」


 ピッピは目を開け、鋭い光を放つ。「任せてくれ。ダムの弱点は完全に把握した。あとはタイミングだ」


「俺が仕掛けた楔が効果を発揮する」。クローヴィスは険しい表情で頷いた。


 彼らの計画は大胆かつ危険なものだった。上流のダムを破壊し、敵軍を一気に押し流す。しかし、その被害は敵軍だけに留まらない可能性があった。それでも、彼らはこの方法以外に道はないと信じていた。


「行くわよ」。エリナが鋭く言い放つ。


 ピッピが最後の呪文を唱え終えると、彼の杖先から眩い光が放たれた。「大地の力よ、我が願いに応え、滅びの奔流を解き放て!」


 その瞬間、ダムに巨大な亀裂が走り、轟音と共に崩壊が始まった。膨大な水量が堰を切ったように溢れ出し、怒涛の勢いで山を下っていく。


 クローヴィスはその光景を見つめ、胸の奥で何かが軋むのを感じた。「これで…全てが終わるのか」


 敵軍は水の壁に呑み込まれ、為す術もなく流されていく。彼らの叫び声が風に乗って届くたびに、クローヴィスの心は重く沈んでいった。


 エリナは目を閉じ、一筋の涙が頬を伝った。「私たちが選んだ道…本当にこれで良かったの?」


 ピッピは拳を握り締め、自分自身に言い聞かせるように呟いた。「これで風の国は救われる。犠牲は無駄じゃない…」


 しかし、彼らの胸には拭いきれない罪悪感が広がっていた。無数の命を奪い、その代償に平和を得ることが本当に正しいのか。誰も答えを持っていなかった。


 遠くの地平線から朝陽が顔を出し、暗闇を薄明るく照らし始めた。その光は新たな始まりを示すはずだったが、彼らにはただ虚しく映った。


「戻ろう」。クローヴィスは剣を鞘に収め、静かに言った。


 エリナとピッピは黙って頷き、彼の後に続いた。彼らの背中には、決して消えることのない深い傷が刻まれていた。


 山を下りる途中、クローヴィスは足を止め、振り返って崩壊したダムと荒れ果てた大地を見つめた。「この光景を、一生忘れることはないだろう…」


 エリナは彼の隣に立ち、静かに問いかけた。「これから、私たちはどうすればいいのかしら?」


 クローヴィスは答えず、ただ前を見据えた。「答えはこれから見つけるしかない。だが、もう二度と同じ過ちは繰り返さない」


 ピッピは二人の背中を見つめ、小さく呟いた。「希望はまだある。きっと…」


 彼らは再び歩き出した。足元の大地は湿って重く、その一歩一歩が彼らの罪の重さを物語っていた。しかし、その歩みを止めることはできない。彼らには、まだ果たすべき使命が残っている。


 空には黒雲が晴れ、澄んだ青空が広がり始めた。風が優しく彼らの頬を撫でる。その風は、まるで新たな旅立ちを促すかのようだった。


「行こう」。クローヴィスが静かに言う。


 エリナとピッピは力強く頷き、彼の横に並んだ。三人の戦士たちは、希望と絶望を胸に抱きながら、新たな道を歩み始めた。


彼らの物語は、まだ始まったばかりだった。




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