守破離

とりたろう



 俺は、その人を常に詐欺師と呼んでいた。勿論心の中だけでの話だ。

 

 彼の職業は弁護士。それだけで社会的な信用が証明されているようなものではあるが、加えて既婚者で息子が2人、人柄も仕事の実績も申し分ない。でも、それを鼻にかけない。常に誠実。彼が持つありとあらゆるものが、彼を聖人君子へと形作る。聖人君子と辞書を引けば、きっと彼のことも載っているに違いない。

 うんざりするほど完璧。それが逆に嘘くさい、だから詐欺師。人生のハッピーセットよろしく彼の魅力は簡単に人の心を掌握してその心へと入り込める。聖人と詐欺師。バカと天才は紙一重とは言うが、そのような用例はこの男にも適応されるに相違ないのだ。

 

「嬉しいよ、また君に会えるなんて」

「アンタがハガキ送るのやめないからだろ」


 視線だけ動かして、嬉しそうに微笑む目の前の男を見た。自然と眉間に力が籠った。多分、シワがよっているとおもう。

 だから彼は目をパチパチと瞬かせているんだと思う。

 

「縁を切るのは簡単だ。でも、また紡ぎ直すのには倍くらいの時間がかかる。だから、少しでも繋ぎ止めておきたい。そう思ってね。それに……この関係は、もはや私と君だけの問題では無い。そうだよね?」


 俺は正論が好き。好き、というか理にかなっている言い分を通すことは自分も周りも生きやすくなる。何かを大きく変える必要も無い。できるだけ素直に、でも面倒なことは触れない。そうやって生きてきた。

 でも、彼……いや、コイツといる時だけは調子が狂う。

 正論に則って生きることが、出来なくなる。


「……そっすね」

「そうだろう。君、今ここにいることを他の従兄弟には話したかい?」

「まあ、その、アイツら興味ないっぽいし」

「それはちゃんと確認したのかい?」

「あー……なんつーか……」


 隣にいる男は不思議そうに見ている。まっすぐに。俺の思考を分厚く覆うように。

 苦手だ。この男にハッキリと「嫌だ」ということが。どうも、苦手だ。

 上手く口が動いてくれない。言葉流暢に出てこない。手足を縛られながら共に踊ろうと誘われているようなあべこべ感。


「……ん?」

「確認しては……ないっすけど」

「だと言うのに、君は”興味無いっぽい”と言ったのかい?」

「はあ、まあ……聞いてこないってことはそういうことでしょ。一々聞くことでもないし」

「そうやって確認を取らないことがすれ違いを生むんだよ、栄くん」


 彼は、先生のような語り口で俺を諭す。

 困ったように眉が八の字になっているあたり、腹を立てている訳ではなさそうだ。

 そんで、俺は叱られてる生徒みたいに不貞腐れている。肩を竦めて視線を下に送れば、さらにそれっぽい。


「正直、確認取ってちゃんと聞くべきとかそういう話じゃないんですよ」

「というと?」

「前から言ってる通り、俺はアンタらとの交流をやめたい。それで、無視決め込んでみたらアンタ、ウチに乗り込んできたじゃないですか。わざわざ東京から島根に」

 

 俺は大袈裟に目を細めて相手を見る。少し大振りだが、当時の自分の気持ちを思い返すとこれくらいしてもいいだろう。

 

「……そこまでだったかい?」

「俺にとっては不快でしたね」


 今度は向こう側が視線を下に落とす番だった。申し訳なさそうにしているのを横目で捉える。さっきまで良い気に説教していたとは思えない。

 心の中が少しスーッとしてきた。


「君たちの家族は今どう過ごしてるんだい」

「前話した感じと変わりませんよ」

「そんなことないだろう」

「ありますよ。アンタらみたいに目まぐるしく生きてないんですよ、こっちはさ」

「目まぐるしく、なんて関係ないよ。何かしらの変化はある。一年間変わらない方が変だ」

「…………」

「……話したくないか。わかった。聞いて悪かったよ」


 そうやってまた困った様に彼は――十前篤は微笑む。スッキリした心がまた曇り始めてきた。

 

 聞かれたことに答えるだけでいい。だというのにこんな子供地味た態度をとってしまう。心の隙を与えたくないのが全面にでていて、なんというか、自分でも恥ずかしい。

 

 でもそれほど、俺はこの人を、この人達を信じていない。信じられるはずがない。

 

 ただそれだけの話だ。









 ――――





 




 あの話を聞いたのは確か17歳の冬だった。

 鋭い寒さが末端を冷やしていく、そんな日だった。



「栄、話がある」

 


 屋敷の中で一人ぼっちだと思っていただけに、結構びっくりしたのを覚えている。

 

 昼夜問わずにいつも一緒にいた弟の進は、叔父と叔母と共にどこかに行った。従兄弟達も気がついたら靴がないし。きっと外へ出ていることは自明の理だった。


 何かおかしいな。そう思ってた。皆、まるで何かを察するみたいにそそくさと姿を消したようにも見えたし、たまたまだったようにも見えた。

 

 本当のところは今も尚わからない。


 そんな時に、父親が自分を呼び出した。


 

「えー。急になに。俺課題したいんだけど」

「課題を始めるようには見えなかったが」

「今からするとこなのー」

「茶化すな栄。大事な話だ」



 父親は険しい顔つきでそう言う。言いたくないことをこれから言わなければいけないというのが滲み出ていた。通知表が酷い有様の時の俺みたいだった。

 

 大事な話とか、そういう固いのは息苦しい。できるだけ明るく楽しく話すのが好きだった。

 父親を尊敬していたかと聞かれると分からない。ただ、嫌いでは無いのは確か。

 でもこんな風に声をかけるのは珍しかった。


「え、ほんとに何なの。怖〜」


 渋々立ち上がって、父親の後についていく。


「いいか栄」

「何が」

「今から部屋で話すことは、他の皆には言うんじゃないぞ」

「……え、なんで」


 廊下を靴下一枚で歩いているせいだ。

 だから、今俺の足はこんなに冷えている。

 別に怯えてなんかいない。

 

「話の内容を聞けば、きっとわかる」

「そんなに重い話なの?なに、俺なんかやった?割と真面目に生きてきたと思うんだけど……」

「違う。これはこの家の話だ」


 ただの家。普通の家。そうだと思ってた。

 御札が張られていたり、家の中に神棚が複数個あることは何も関係がない。不穏な空気を感じるのは雰囲気にのまれているだけだ。

 事実、父親の兄弟とかそこら辺の人達がそういうマニアだとか聞いた気がする。それだけだ。


「入れ」

 

 父親の部屋に着いた。やけに片付いている。

 座布団が2つ置いてある。父親が片方に座るので、もう片方に俺が座る。自然と正座になった。


「まあすぐ終わる話でもある。でも、人によっては整理が難しい可能性があるから」

「そんなに重い話なの」

「……ああ。少なくともオレはそう感じてる」


 父親は――十前勝は、少し頷きながらそう答える。

 なんだ。俺って隠し子だったりするのか?怖。でも俺、父さん、というか母さんにも似てるし。絶対違う。


「これから話すのは、曽祖父、っていうとややこしいから……そうだな、俺のおじいちゃんたちの世代である十前勝利と十前正義、っていう2人の話になる」

「結構前だね、大正……くらい?」

「そうだな、それくらいだ」

「で、その人たちが?」

「ああ。単刀直入に言うと、その勝利という人は、正義という人に殺されたという話がある」


殺された、という言葉の重みがダイレクトに伝わる。

 それでもまだどこか非現実的に感じている。そんなのテレビとか、小説みたいな媒体を通してしか聞かない。

 

「ええと……それは、家督争い的な……?」

「理由は分かってないらしい」

「ますます怖!」

「暴漢に襲われて2人とも血みどろになっていたんだが、もう勝利さんは助からなくて」

「襲われたフリして、本当は殺してたってこと?」

「まあ、あくまでそういう風に語り継がれてるって言う話だけどな。2人とも仲が悪かったし、事実勝利さんは正義さんに道場燃やされてたらしいし。それに正義さんは正義さんで、勝利さんと折が合わずにストレス溜まってたみたいだしさ」

「ふーん……なんか凄い物騒だけど、根本は昔も今も変わらんね。それでそれで?」

「ああ、話はこれでおわりだ」

「え!?そうなの!?これだけ!?」


 居直り直して聞いてたというのに、まさかこれから先がないとは。意外とあっさりと終わったことに俺は驚いた。

 

「血族が殺しあっていた――もしくは、そんなきな臭い噂がついているほどのことがあった。オマケに、我々は殺された側の血族。それを嫡子にだけ伝えるのが習わしみたいになっててな」

 

 俺たちは殺された側。

 じゃあ、殺した側の血族も生きているのだろうか。

 

「なんで?みんなにも言えばいいのに。」

「正直な、父さんもそう思うよ」

「言ってないの?」


 

 父親はちょっと俯いて、それからこう言った。




 

 

「ああ。言ってない。他の兄弟や従兄弟に伝えたら、不安がるかもしれないだろ。でも、きっと忘れてはいけないこと。だから嫡子がこの家と今の話を、習わしとして引き継がないといけないと思ってな」








 



 

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