心の在り処

甘雨

心の在り処

「心は何処に在るんだろう」


何の脈絡も無い僕の呟きに、君は愛おしい垂れ目を細めて笑う。


「またそんな難しいこと考えて、どうしたの」


僕のこの哲学者気取りのような思考を、迷惑そうな顔をしないで笑って聞いてくれるのは君だけ。僕は安心して話を続ける。


「僕は君のことが好きだよ」


「わかってるよ」


ここで謙遜をせずにさっぱりとした素直な返事をするあたり、特に。


「でもね、わかんないんだ」


「なにが?」


「この好きが、何処から来ているのか」


彼女は、よくわからない、という様子で僕の目を真っ直ぐに見ながら首を傾げた。

僕は続ける。


「心臓も、脳も、心じゃないと思う」


「そうだね、そう言われるとなんかしっくり来ない」


「でしょ、じゃあ、心は何処にあるのかなって」


「なるほど」


君は顎に手を当てて考える。その表情に楽しさが微かに浮かんでいるのが分かって、僕は嬉しくなる。月に照らされながら哲学の海を泳ぐ君は、怖くなるくらい美しかった。


「心は移動するんだよ」


つい見とれていたら、急に君が口を開いたのでびっくりして、情けない声が出た。

つい先程の君のように、今度は僕が首を傾げる。

彼女は満足気に続ける。


「どこかに留まっているものだって思うから、きっと分からなくなっちゃうのよ」


「どういうこと?」


「そう、例えば」


彼女は月明かりに手をかざした。オレンジ色に塗られた爪が宝石のように艶めく。


「私の心は今、爪にある」


「はあ」


あまりにも腑抜けた返事をしてしまい、少し恥ずかしくなる。君は全く気にしない。


「今、私の幸せと、自信と、ちょっとの不安、全部全部、爪にある」


「よくわかんないや」


君は少しムッとした。ごめんね、と言おうとして開きかけた唇に、君が


「じゃあ、」


と言ってそっと短いキスをした。


「え、」


「わかったでしょ」


「え、と」


あまりに突然で言葉が出てこない。そんな様子の僕を君は、面白がって笑っている。


「伝わったでしょ、私の、好きだよって気持ちも、わかって欲しい、って気持ちも」


「うん」


「逆に、ちゃんと伝わったよ、好きだよって気持ちも、驚きも戸惑いも」


「なんだか、恥ずかしいな」


思わず顔が熱くなる。君は気にせず話を続ける。


「私たちの心は、今、唇にあったってこと」


「そういうことか」


「そういうことよ」


自分が意識しているところに、心が宿る。触れ合ったところから、心が伝わる。なんとも君らしい、素敵な考えだと思った。

そしてそれを、上手く言葉にできないのもまた、君らしくて愛らしいと思った。


「やっぱり僕は、」


「ん?」


心がちゃんと僕の喉に、声に、宿るように。心がちゃんと君の耳に、鼓膜に、伝わるように。

僕は口を開いた。


「僕は君のことが好きだよ」


君が笑って、僕も笑った。

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心の在り処 甘雨 @kan_u

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