第30話 放課後

 2024年5月24日(金)17時。

 その日の放課後、俺と紬麦は放課後の教室に2人でいた。夕陽が差し込む教室はオレンジ色に輝いており、エモーショナルな感傷を抱かせる。前世ではよくわからなかったが、なるほど。これが『エモい』という感情なのか。ちぃ、覚えた。


「終わったんだね」


 小さく呟く紬麦のセリフもどこか感傷的であり、エモーショナル値がべらぼうに高く感じる。……エモーショナル値ってなんなんだろうな。こういうひとりツッコミって、おっさんぽくて嫌になるな。そんな自己嫌悪に勝手に陥ってしまう。


 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 彼女が「終わった」と言っているのは、十中八九虎松のことだろう。昨日俺たちは虎松と戦い、そして勝利した。戦いが終わった頃には朝日が昇っており、そのままの脚で学校に来たので……正直、今はかなり眠い。だがそれでも、俺と紬麦は放課後の教室に残っていた。理由は虎松の件について、静かに話し合いたかったからだ。


「朝日くんのお母さんが隠蔽工作をしてくれたおかげで、私たちがレイラク様を倒したことは誰にもバレずに済んだみたいだね。お母さんにありがとうって、伝えておいてくれる?」

「あぁ、わかった」

「私も鍛えてくれたし、本当に……頭が上がらないよ。朝日くんのお母さんがいなかったら、今頃……きっとレイラク様も倒せてなかっただろうね」

「そうだな。最悪、世界が滅んでいたかもな」


 別に、過剰に表現しているワケではない。

 レイラク様の実力は確かなものであり、これまで戦った魔物の中ではトップクラスのものだった。あえて煽るために余裕ぶった態度で対応したが、正直その攻撃力には内心ビビっていた。まぁ、虎松はレイラク様の肉体にはまだ慣れていなかった様子であり、その全力を発揮できていなかったことが救いだったが。


 何はともあれ、母さんの隠蔽工作のおかげで、虎松は自然に消滅したことにされた。特殊な霊体であるが故に、その肉体を長時間保つことができなかった。と、それっぽく言いくるめたようだ。レイラク様に関する情報は退魔師業界でも少なかったようであり、退魔師たちは信じたらしい。ちょろい……とは思わないな。


 ちなみにあの後、紬麦は任務に失敗し、レイラク様に虎松が食われたと正直に報告したらしい。教師陣は仕方ないと納得してくれたが、どうやら彼女の家族はそうではなく……ひどく罵倒されたという。彼女はあまり気にしていないと言ったが、それでも……やはり多少は心を傷つけられただろう。


「紬麦はよかったのか? 自分たちの功績が称えられなくて、歯痒くはないか?」

「逃げ出した臆病者の私には、そんな功績を誇る資格なんてないよ。それに私は陽動に徹しただけで、実際には何もしていないしね」

「そんなことは──」

「ううん、そんなことあるんだよ」


 食い気味に反論する紬麦に、俺は何も言えなかった。紬麦がそれで納得しているのだったら、俺から言うことは他にない。


「そういえば、朝日くんの方こそ……指は大丈夫?」

「ん、あぁ。全然平気だ」


 無理に上級の術を発動した影響か、俺の右手の人差し指と中指は黒く変色してしまった。まるで墨汁に指を浸したかのように、ドス黒い漆黒に染まってしまったのだ。術を発動した時は激痛が走ったが、今は別に痛みなど皆無だ。色が黒くなっただけで動作に不調もないので、特に気にしてはいない。


 ただ……周りの連中はそうではなかった。

 俺の指が黒く変色していることに気付いた連中は、皆口を揃えて『災いの前触れだ』や『厄災が近いんだ』だのと陰で囁いた。一々反応するのも鬱陶しいし面倒だったので、あまり気にしないようにはしているが。ちなみに母さんにも、上級術を使用したことをこっぴどく怒られた。


「そっか……本当に朝日くんは強いんだね」

「いいや、そんなことはないさ」

「……ふふ、朝日くんらしいね」

「?」


 俺らしい、って何なんだろうな。

 寺野朝日としての人生はとっくの昔に終わり、今の俺は35歳の中年男性の魂が宿っている。それなのに紬麦は「寺野朝日らしい」と評している。今のところまるで記憶が蘇らないが、はたして寺野朝日とはどのような人物だったのだろうか。……考えども、答えは出ないか。


「……ありがとうね、朝日くん」

「いや、感謝されるほどのことじゃないさ」

「ううん、朝日くんがいたから……私は救われたんだよ。朝日くんがいなかったら、きっと私は今ごろ……それに、この世界はきっと滅んでいたよ」

「……素直に受け取るよ」


 前世の最期、俺は誓った。

 何者かになるという、ささやかな願いを。

 それを今、少しだけ達成できた気がした。


 前世では、俺は何者にもなれなかった。

 だが、今世では……少なくとも。

 少なくとも、紬麦の友人になれた。

 虎松を倒して、その実感が湧いてくる。


「……俺の方こそ、ありがとうな」

「え?」

「いいや、何でもない」


 気恥ずかしさから俺は小さく、そう呟いた。

 俺を何者かにしてくれて、ありがとう。

 前世の悔いを払拭してくれて、ありがとう。

 俺の方こそ、彼女に感謝してもしきれない。


「ふふ、朝日くんらしいね」


 夕日が照らす紬麦の顔は、どこまでも美しかった。

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