第16話 艱難辛苦 1/4【紬麦視点】
【紬麦視点】
「ちッ……なんで俺が、このクソ女と一緒なんだよ!!」
まったく、こっちのセリフだ。そう言いたかったが、無用な争いを避けるために飲み込む。私だって人でなしの虎松と一緒に依頼を受けるなんて願い下げだったし、できるなら朝日くんと組みたかった。でも、退魔師業界は陰湿で、そんな願いが叶うことは難しいのだろう。ため息が漏れる。
深夜2時。私と虎松は、神奈川県蔵前市にある『あけみやアパート』に到着した。今回の依頼は、行方不明になったTBtuberの捜索と怪異の調査だ。数日前、このアパートに訪れたTBtuberとそのカメラマンが、行方不明になったという。そのTBtuberは動画を投稿しており、私もその動画を確認したけれど──。
「まったく、どうして俺がこんな下等な依頼を受けなきゃいけねェんだよ……」
「下等って……そんな言い方はないんじゃない? 実際に人が──」
「うっせェな。下等は下等だろ。どうせ今回の事件も祭狸とか、その辺のザコ魔物が引き起こしたに決まってんだよ」
祭狸──ある特定の空間を祭り場に変える魔物だ。確かに、動画内で聞こえた祭囃子や最後のシーンに映っていた屋台を見る限り、祭狸の仕業かもしれない。けれど──
「……多分、祭狸の仕業じゃないよ」
「あ゛ァ?」
「虎松、ちゃんと動画見てないでしょ。逆さに植えられた卒塔婆や、エクトプラズムを思わせる写真、それに祭狸は弱い魔物だから、人に危害を加えることなんて──」
「ゴチャゴチャうるせェな!!」
その怒号に、思わず口を閉ざしてしまう。
「テメェ……調子に乗るなよ?」
「そ、そんなことは……私はただ──」
「確かにテメェは退魔師業界の重鎮の娘かもしれねェが、俺とテメェじゃ格が違うんだよ!! 虎松家の次男である俺と、江崎家の五女であるテメェとはよォ!!」
「……」
「だから、一々口を出すんじゃねェ!!」
「……でも」
「俺の言うことだけ聞いてりゃいいんだよ!! クソが!!」
虎松の怒号が怖いわけじゃない。
ただ、もうこれ以上話しても無駄だと感じた。
だから私は、深いため息で返事をした。
江崎家と虎松家はどちらも退魔師業界の重鎮だが、私が江崎家の5女で虎松が次男だ。退魔師業界は基本的に考えが古くて、生まれた順番などを重要視する。だからこそ、私の言葉はきっと虎松には届かない。令和の時代に生まれた順番で立場を決めるなんて、古臭い考えの男と話すなんて、こんなに無益なことはないだろう。
「……いざとなれば、逃げればいいだけだよね」
虎松を気絶させてでも、逃走を図ろう。私の刻印術があれば、可能なはずだ。そう自分を鼓舞しつつも、拭えない不安を抱えながら、私は虎松に続いて室内に足を踏み入れた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
動画で見た通り、室内は散乱していた。なぜか点いているテレビがぼんやりと照らす部屋には、昭和前期の家具や古いおもちゃ、服が無造作に放置されている。そのテレビには、裏拍手をしている女性が延々と映されており、彼女の表情は長い前髪で見えない。しかし、それ以上に不気味なのは、その女性が白無垢を着ていることだ。縁起の悪い裏拍手をする白無垢の女性──異質で、不快感が胸にこみ上げてくる。
他にも、大量の日本茶の袋が机に置かれていたり、例のエクトプラズムの写真が飾られていたりと、異様な物が散見される。特にエクトプラズムの女性は、表情こそ見えないものの、テレビに映る女性と同一のように感じる。そんな異質な物があふれる部屋の中で、ひときわ目を引くのは逆さに植えられた卒塔婆だ。いったい何を意味しているのか、私にはわからない。ただ、嫌な予感だけが心を蝕む。
「……ちッ、気色悪ィな!!」
「……」
「さっさと帰りてェな!!」
「……」
「祭狸!! さっさと姿を現せ!!」
「……」
そんなに叫んでも、何も解決しないのに。
心の中で呆れつつ、ため息を吐いた。
その瞬間だった。
「……は?」
「……え」
私と虎松の感情が、初めて一致した。
そう、“困惑”という感情で。
気づけば、私たちは祭り場に立っていたのだ。
夜空には無数の提灯が並び、温かみのあるオレンジ色の光が一面を照らしている。心地よい風が吹き抜け、提灯の小さな炎が揺れるたびに、幻想的な雰囲気が一層深まる。賑やかな音楽が遠くから聞こえ、太鼓の音が胸の奥に響いてくる。お祭りの広場には、たくさんの露店が並び、焼きそばやたこ焼きの香ばしい匂いが漂っている。不気味なほど、居心地のいい空間が広がっていた。
そして何よりも異質だったのが、祭り場の中央にあるやぐらの周りだ。一見、普通のやぐらに見えるが、その周囲を何十人もの人が盆踊りを踊っている。しかも、その中には行方不明になったTBtuberとそのカメラマンの姿があった。彼らは半透明で、既にこの世を去っていた。そして彼らは一様にして、「助けてくれ」と救済を求めていた。
「……なるほど、ようやく祭狸のお出ましかァ!!」
嬉しそうな虎松。
だけど、これは──。
「……違う」
祭狸は祭り場に人を誘う魔物だが、こんなふうにワープさせる能力は持っていない。仮にこれが祭り場へのワープではなく、突如として祭り場を形成する能力だとしても、祭狸は12時間の時間を有さないと祭り場を作り出せない。だから、これは祭狸の仕業じゃない。
頭をフル回転させて、この空間を作り出した魔物が何なのか考えるけど、答えは出てこない。そもそも短時間で空間を作り出す魔物や、作り出した空間にワープさせる魔物は、基本的に強力な存在だ。学生である私たちが対処できる相手ではない。だからここは、逃走するのが最善策だ。
「虎松、逃げないと」
「はァ? テメェ、祭狸にビビってンのか?」
「これが祭狸の仕業じゃないことくらい、わかってるでしょ? 祭り場という点以外、祭狸の要素が一つもないでしょ?」
「だから逃げるって言ってンのか?」
「そうよ、一旦引いて──」
「……クソ女が!!」
刹那、右頬に熱が走り、私は地面に倒れた。
見上げると、虎松は憤怒の表情で立っていた。
「と、虎松……?」
「このヘタレ女が!!」
祭囃子にも勝る虎松の怒号が、祭り場に響き渡る。
「たかがF級の祭狸にビビるなんて、とんだクソ女だな!! 恥を知れ!!」
「な、何を言ってるの……?」
「初めての任務で逃げるなんて、そんな恥さらしなことができるワケがねェだろ!!」
「と、虎松……?」
「俺が虎松家の次男だ!! わかってンのかよ!!」
……ダメだ。虎松は冷静さを失っている。
もう気絶させて無理やりにでも──
「████」
その時、私の視界に異様なものが映り込んだ。
虎松の背後、暗がりの中から、ぬるりとした動きで1つの影が現れた。その影は、まるで闇そのものから形をとったかのように滲み出てくる。影の中から、白無垢を纏った女性がゆっくりと姿を現した。彼女の顔は長い前髪で覆われ、表情は見えない。しかし、その隙間から覗く一対の白目だけが、闇の中で不気味に光っていた。
その身体は、まるで血液が通っていないかのように血色がなく、骨ばった指がゆっくりと裏拍手を打っている。指先からは濡れたような滴が垂れ、地面に触れるたびに、何とも言えない悪臭が立ち込める。彼女が動くたびに、まるで空間そのものが歪んでいるような感覚が押し寄せ、見る者の心を締め付けるような異質さがあった。
彼女はまるで、虎松の背後に浮かぶ影の一部であるかのように、彼のすぐ後ろに立っている。そして、まるで彼の耳元に囁くかのように、不規則な呼吸音が響き渡る。その音は低く、湿った喉から搾り出されるようで、まるでこの世のものではないかのような響きを持っていた。
「虎松……その、背後……」
かすれた声で警告を発しようとしたが、喉が凍りついたように動かない。ただ、恐怖と絶望が私を支配していた。虎松の背後に立つその女性は、間違いなくあのテレビに映っていた存在だ。しかし、彼女がただの幻や映像ではなく、ここに実在していることが、肌で感じられる。
気づけば、祭囃子は止んでいた。
無音の中、彼女の裏拍手だけが虚空に響いていた。
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