第48話 迫り来る千年前の災厄

 ――これは非常にマズい、ライセはレイモンドの警告の意味が今ようやく理解した。

 こんなものが街の地下に眠っているなんて、ライセはまさしくレイモンドと同じ反応だった。

 ライセはアインとノアにこの地下の危険を説明すべく口を開こうとした時、再び地面が揺れ出した。


「ロケットの下に見えてるの、あれ全部瘴気よ!」

「あれ全部が、瘴気だと……!? あんなものがずっと地下に溜まっていたというのか!!」

「なんて高濃度の瘴気……普通の人はもちろんわたしやライセさんとてあれを浴びて人の姿を保てるかどうか……」

「まずはこの事態を地上に戻って伝え住人の避難だ……! 今の俺たちにあれをどうこうできる力はない……!」


 アインが言うとライセとノアも同意するように頷いた。もはやあの瘴気は爆発寸前の火山だ。あれが地上に噴き上がればこの街はひとたまりもない。

 自分たちはあんなものが街の地下に眠っていることを知らず呑気に調査などしていたのかとライセは歯噛みする。

 少なくとも今の自分たちではあれをどうにかできる力はないのだとライセは自覚した。

 今は一刻も早く地上へと戻り、対策を講じるほかないのだ。


 三人は踵を返し、来た道を急いで戻る。

 地下空間を揺るがす地響きは秒を追うごとに激しさを増していく。

 通路を駆け抜ける足音と荒い息遣い、そして心臓の鼓動が耳の奥で早鐘のように響く。


 エレベーターの縄梯子を駆け上り、中央制御室の扉を開けて地下鉄の線路に。

 土砂に埋もれた箇所を迂回する時間ですらもったいない。地下空間を何度も地響きが突き上げる。

 息を切らしながら必死に走る三人。その背中に今にも瘴気が噴出し、大惨事を巻き起こしてしまうのではないかという焦燥感。

 今にも追いつかれそうな恐怖に、足に力が入る。


「はぁ……はぁ……もう、もうダメ……わたし……」


 ノアが苦しそうに呻く。小さな体にはこのハードな運動は堪えるようだ。

 ライセはそんなノアの手を握り、なんとか励まそうとする。


「もう少しだから……! ノア、しっかりして!」

「うん……ありがとう、ライセさん……!」


 南区画までたどり着く。線路の奥には暴食竜バジリスクを倒した駅のホームが見える。

 教会までもう少しだ。そしてまたも大きな揺れ。その揺れでノアは足をもつれさせ、その場に転んでしまう。


「ノア! すまん! 抱えて走らせてもらう」


 アインがノアをお姫様抱っこの姿勢で抱え、走る。

 ライセも遅れないようにと足を速める。

 ついに教会へと続く階段にたどり着く。猛然と階段を駆け上がり三人は教会の中庭に飛び出した。

 すでに夜の帳が下りた空には満天の星空と満月が浮かんでいる。月の傍らには一際明るい星――“エデンの瞳”が煌々と輝いていた。

 アインは抱えていたノアを降ろし、礼拝所への扉を乱暴に開く。

 そこには夜の礼拝の最中だったのだろうか、ルシルが驚いた表情でこちらを見ていた。


「ライセさん! みなさん! この地震、一体何が――!」

「ルシルさん、大変なことになってる! 街の地下に――」


 ライセがこれまでの事情を話そうとした瞬間、これまでにない揺れと爆発音がライセの言葉を遮った。

 ライセは咄嗟に教会の外に出て北の方角を見た。そこには上空に向かって赤黒い煙が天を穿つように伸びていた。

 ルシルも噴き上がる赤黒い闇に「この禍々しいマナの流れ……まさか、瘴気が――!?」と驚きの声を上げる。


「クソッ……! 間に合わなかったか……! いやまだだ! まだ間に合う!」


 瘴気が風に乗ってもうスラムまで到達しつつある。

 早く街の人間を避難させないと、あの赤黒い瘴気は街の全てを呑み込むだろう。


「俺たちが見た瘴気溜まりは場所的に中央広場の真下だ! 中央広場の人間を一人でも多く避難させるんだ!」


 アインの言葉にライセとノアは頷く。ルシルも「私もこの街の司祭として避難誘導に当たらせてください」と強く言った。

 ライセたちは教会を出て中央広場へと急ぐ。スラムから広場へ向かう道中、ライセたちの目に飛び込んできたのは、恐怖に怯え逃げ惑う住人たちの姿だった。


「う、嘘……でしょ……街が、瘴気で溢れてる……!?」

「なんでこんなことに……誰か、助けてぇーーー!!」


 パニックに陥った住民の叫び声が、あちこちで響き渡る。

 そんな中、ライセの視界に、見覚えのある人影が飛び込んできた。

 黒い瀟洒なドレスを纏った美しき吸血鬼ヴァンパイア――ネーヴィアの姿だった。

 この未曽有の事態にさすがの彼女とてその美貌には、恐怖と動揺の色が浮かんでいる。


「ネーヴィアさん!」

「みんな……! 一体何が起きてるの!? 急に地面が揺れ出して、外に出たらこの有様だなんて……!」

「街の地下遺跡に溜まってた瘴気が一気に噴出したの。私たちが遺跡で見た時はもう限界で――」


 ライセの言葉に、ネーヴィアは愕然とする。


「そ、そんな……逃げてくる人たちが言ってたわ。中央広場の噴水から火山のように噴き出す瘴気を見たって……」

「あれは濃縮された瘴気だ。まともに呑み込まれれば最後、たちまち精神は汚染され肉体は崩壊し異形の怪物と化する。千年前の再来だ……」


 アインが放った言葉にライセは思わず言葉を失い、ネーヴィアの顔が青ざめる。

 千年前の再来、そうなれば被害はこの街だけに留まらない。


「ネーヴィアさん……あなたスラムに顔が効くんでしたよね……! スラムにいる人たちで避難誘導をお願いします!」


 ルシルの言葉にネーヴィアは頷き、すぐに行動を開始する。


「ネーヴィアさん、気をつけて! 瘴気に飲み込まれないように!」

「こう見えても200年生きてるヴァンパイアよ。甘く見ないでもらいたいわ」


 ライセの言葉にネーヴィアは不敵に笑うと、ネーヴィアはスラムの奥に消えていく。


「ネーヴィアさん大丈夫かな……」

「ヴァンパイアなら多少の瘴気は耐えられるはずだ。スラムのことはあいつに任せよう」


 とりあえずスラムのある南地区はネーヴィアが何とかしてくれるだろう。問題は――中央広場だ。


「……私たちも急ごう。一刻も早く、みんなを安全な場所に逃がさないと!」


 ライセの呼びかけに、一同は再び駆け出した。

 目指すは中央広場。逃げ遅れた人たちを一人でも多く救うべく、一行は急ぐのだった。

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