第32話 髑髏亭の朝
朝日が窓から差し込みライセの顔を照らす。眩しさに顔を顰めて起き上がると、再びゴロンと寝返りを打って身体を横に向けると、隣ですやすや眠っているノアの寝顔が見えた。寝間着の裾がめくれ背中が露わになっていた。その無防備な姿に思わずライセはドキッとする。
(ノアの寝顔……可愛いなぁ……)
ふと背中に刻まれた幾何学模様に目が
行く。――ノアの聖印ってこんなところにあったんだ。
ライセ自身のそれは首筋と比較的外から見えやすい位置にあるが、ノアのそれは背中のちょうど真ん中あたりだ。そういえばギルドの受付嬢のフィオレは胸元にあると言ってたことを思い出す。案外服で隠れる場所に聖印がある人のほうが多いのかもしれない。
(……って、何ノアのことジロジロ見てるんだ私は!)
ライセは我に返り、慌てて視線を逸らした。そして昨夜の騒動を思い返す。幸い髑髏亭の被害らしい被害はガルバに蹴飛ばされた椅子ぐらいだ。しかし、あの後ガルバたちはどうなったのか。
ネーヴィアに手酷くやられたと知られれば、他のスラムのならず者たちの格好の餌食だろう。自業自得と言えばそれまでだが、若干の哀れみも感じられる。スラムの住人の攻撃性は臆病さの裏返しだ。そう、臆病な野良犬や野良猫ほど他者をすぐに威嚇するのと一緒なのだ。
「う、ん……ライセさん、おはようございます……」
そんなことを考えてるとノアも目を覚ましたようだ。むにゃむにゃと目をこすりながら身体をムクリと起こす。今日から冒険者として本格デビューだ。ライセはベッドから起き上がると身支度を整える。ノアも寝ぼけ眼で着替え始めた。
二人は身支度を整えて一階に降りる。テーブル席には既に朝食が用意されており、ネーヴィアが出迎えた。
「おはよう、ライセさんにノアちゃん」
「おはようございます、ネーヴィアさん」
「おはようネーヴィアさん」
朝食はパンとハムエッグにサラダだ。ライセはノアと並んで席につく。
――そういえばアインがいない。ライセは辺りをキョロキョロと見回すも、あの朴念仁の姿はどこにもなかった。まさかあの男が寝坊するとも思えないが。
(……本当に寝坊していたら面白いけど)
「ライセさんどうしたんですか?」
「あ、いやアインの姿がどこにもいないなって」
「アインなら外で朝の鍛練をしているわ。アンデッドの体で効果あるのかは知らないけど」
ネーヴィアは肩を竦めながら苦笑いを浮かべる。彼にとっては体を鍛えるためというよりかは勘を鈍らさないためだろう、とライセは思った。
朝食を食べながらライセは今日の予定についてノアに話す。ついに冒険者デビューだ。
「今日からいよいよ冒険者の仕事ね」
「わたし、少し緊張してきました……」
「昨夜のことを思えばずっと楽勝のはずよ。肩の力を抜こ?」
ライセはノアの不安を和らげるよう、優しく言葉をかける。昨夜みたいにスラムのならず者と対峙することに比べれば、駆け出し冒険者のクエストは易しいだろう。スラムでのやりとりは命の危険もさることながらそれ以上にに他者からまともに悪意と敵意をぶつけられるのが精神的に疲弊する。ライセ自身もああいったものを経験するのはそうそうない前世であったが、ある種――人間として生まれたばかりであるノアがそれをまともに浴びせられるのは相当なストレスだったはずだ。
「そういえば……昨日のあなたたち、変わったマナの使い方するのね」
「変わったマナの使い方?」
「二人してマナで武器を生成したことよ」
ネーヴィアの説明によるとマナによる武器の生成は出来ないこともないが、詳細な武器のイメージが必要であり、その上で非常に高い集中力を必要とするとのこと。そのためにわざわざマナを注ぎ込むぐらいなら普通に武器を使い、マナを攻撃魔法に用いた方が効率的だと。
「まあ私も血を媒介にした魔法という一般的じゃない使い方してるけど、ね?」
ならず者たちを一瞬で無力化したあの赤い陣。相手の血液を奪いつつその血液を自分のものとする一石二鳥の術はヴァンパイアならではのものだ。
「ライセさんが生成した武器って……あれ聖槍よね? これまた珍しい武器だと思うけど」
また“聖槍”という言葉だ。
ライセが作り出したのはあくまで銃であるのだが、この世界の人間にとって銃という武器は“聖槍”と呼ばれるらしい。
「教会の聖職者は天使の火を噴く槍、鉄の礫を飛ばす槍を模した武器を好んで使うんだけどね。冒険者になったばかりのあなたがそんな武器を使うのはどういうことなの?」
「あ、いやこれはその……あの形が魔法を撃つのに一番イメージしやすかったからで……」
ライセは言葉を濁す。自分にとっては杖よりもずっと銃の形が手に馴染んだだけだ。銃が一般的でない世界の住人に「私が元いた世界では一般的な武器なんです」と説明しても理解を得られるはずもない。
「ま、いいわ。あなたがそれが使いやすいと感じるならば、それがあなたにとって正しい形ということね。私だって血をイメージしたものを使うんですもの」
そう言ってネーヴィアは優艶に微笑んだ。
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