第20話 裏通りの闇、手繰り寄せる光

 屋台での一件のせいでライセリアはすっかり気落ちしてしまい、足取り重く歩いていた。

 アインに対する差別の現実、アンデッドに対する偏見と差別というのは彼女が思っていたよりもずっと根深いものだった。

 さっきまでにこやかに応対していた店主の表情が、アインに向けられるとまるで汚いものを見るかのような冷たい態度に豹変し、またライセリアへの応対に戻ると愛想よく接する。

 そのシームレスな切り替わりが忘れられない。ライセリアは人ごみの中をとぼとぼと歩く。


「ライセさん……」


 ノアが声をかけてくれるがライセリアは無言だった。

 今は誰とも話したくなかった。


「あれ……? ノア? アイン?」


 ふと我に返ると、人ごみでごった返す雑踏の中でいつの間にかアインとノアの姿を完全に見失っていた

 周囲を見渡すとどうやら人通りの少ない裏通りに迷い込んでしまったようだ。

 まずい……はぐれてしまった。

 薄汚れた路地にはゴミが散乱し、壁には乱雑に描かれた無数の落書き。

 所々に見える不審な影が路上で蹲り、鼻を突く悪臭が漂っている。


 明らかに、ライセリアが今まで生きてきた日本ではあまり見られない光景。彼女は思わず顔をしかめた。


 ライセリアは不安を感じながらも、とにかくこの場所から出ないと危ないと思い、オロオロと辺りを見回した。

 出口はどこだろう…早く見つけないと……


 しかし、その時だった。


「おっと、どこ行くんだいお嬢ちゃーん?」


 見るからにガラの悪い男たちが、ニヤニヤと笑みを浮かべてライセリアの前に立ちはだかった。

 数は三人、その姿はこの町で少なからず見かける風貌をしていた。


 一人は狼のような頭をした獣人。服の間から覗く素肌は厚い体毛に覆われている。

 一人は尖った耳をもっており、頭からは羊のような捻じれた角が生えていた。

 そして最後の一人、三人の中でリーダー格と思しき男はフードを目深に被っており、その下に見える顔は――茶色く乾燥した肌が貼りつくだけのミイラだった。


(アインと同じ――アンデッド!?)


「おう、“生肌フレッシュ”のお嬢ちゃん、こんなところをウロつくのは危ねえぞ? なあ送ってやるからちょっと遊んでいかね?」

「おいおい“鼻無し”が女と遊べるわけねーだろがよぉ~」

「うるせえっ! こういうのはノリだろノリ?」

「俺とこいつは優しいけどよ、この鼻無しのお兄さんは怒らすと怖いからな? 大人しく一緒に来たほうが身のためだぞ」


 異形の男たちがライセリアを取り囲み、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 彼女は彼らを刺激しないように「すみません……急いでますので……」と踵を返して去ろうとした――


「おい、何無視しんてんだ? あ? “鼻無し”なんぞに興味ねえってか!?」


 アンデッドの男のニヤけた声色が、恐ろしく冷たく聞こえたと思った瞬間、ガツンと重い衝撃が後頭部に響いた。


(嘘……殴られ――殴られた!? )


 棒のようなもので殴られ目の前が一瞬真っ暗になり、チカチカと点滅したような光が視界を飛び交う。堪らずライセリアは両手と両ひざを地面につき、うずくまってしまう。

 ここの治安の悪さを甘く見ていていた。こういうところの女性の一人歩きは危険だというのは理解していたつもりだったが、問答無用で殴り倒されるとは思っていなかった。

 後悔の念に苛まれながら顔を上げると、三人の男たちはげらげらと下品に笑いながらライセリアの髪の毛を掴んで無理やり立ち上がらせた。


(ああ……駄目だこれ、詰んだわ……こいつら人を殴ることに何のためらいもない場慣れした連中だ)


「おっと、こいつ意外と頑丈だな? 一発でおねんねすると思ったけど案外タフじゃねえか」

「なっさけねえの、女一人転がせられねえとは貧弱だなあっ。あ、お前に筋肉なんて無かったわ。ギャハハハハ!」

「うるせぇよ、さっさと連れてけ」


 ライセリアは懸命に抵抗しようとするが、男たちの力は圧倒的だった。

 髪を掴まれ無理矢理に引っ張られ、ゴミの散乱する路地の奥へと容赦なく引きずり込まれていく。


「助けてっ……! 誰か……!」


 このまま連れ去られたら何をされるかわからない――いや何をされるかなんて火を見るよりも明らかだ。恐怖のあまりパニックに陥ったライセリアは必死に叫んだ。しかしその声は虚しく響くだけで誰も助けには来てくれない。

 必死に男たちに抗おうとするが、彼らはそれを楽しむかのように笑っている。汚れた路地裏へと連れ込まれながら、ライセリアの頭の中は真っ白になっていった。

 最悪の事態を予感させる男たちの卑猥な視線、恐怖で気が遠くなりそうだった。


「ほら、大人しくしろ。そうすれば痛くはしねえからよ」

 

 羊角の男が笑いながら言う。ふと、腰に下げた護身用のショートソードが目に入る。

 駄目だ、碌に剣術も知らない人間がこんな短い剣一本でどうにかなるわけがない。

 下手に抜いてしまえば男たちは逆上し、間違いなく殺される。


 流れに身を任せてひたすら耐えれば命だけは助かるかも――


(嫌だ。そんなの絶対に嫌だ! そんなことになるぐらいならいっそ死んだほうがマシだ!!)


 ライセリアは必死に何か別の方法はないかと頭を巡らせる。


(何かないの? 何かこの状況を打開する方法は……!?)


 その時だった。ふと、ノアの言葉が脳裏によぎる。


 ――魔法とはイメージです。自らが行いたい現象をマナに問いかけるのです。


 出会ったばかりのノアは確かにそう言っていた。

 そしてライセリアの体は普通ではない。

 高密度のマナで形成された特別な身体なのだ。


 それに気づいた瞬間、ライセリアの全身を熱い奔流が駆け巡った。

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