副業は探偵ですが何か? 〜タクシー運転手の推理〜
雨宮 徹@クロユリの花束を君に💐
あなたは幽霊を信じますか?
「運転手さん、あなたは幽霊がいると思いますか?」
その唐突な質問が、車内の静寂を破った。声の主は若い女性――さっきまで後部座席で、何度もスマートフォンを覗き込みながら、時折ため息をついていた。彼女は一人暮らしをしている大学生であると、これまでの会話で分かっている。昼間の出来事を振り返るように、どこか不安げな表情を浮かべていたが、この質問には意外性があった。
私はハンドルを握りながら、少し考え込む。幽霊か。仕事柄、何度か同じような質問をされたことがある。多くの場合、それは夜中の乗客が酔っているか、退屈しのぎに話しかけてくる類のものだった。しかし、今の彼女の声は本気で悩んでいるように感じられた。普段、幽霊の存在を信じることはないし、ほとんどの「幽霊現象」は見間違いや勘違いで説明がつくことが多いと私は思っている。
「私は幽霊を見たことがないので、信じていないですね」と、落ち着いた声で答えた。
「そうですよね……私も、少し前まではそうだったんです。でも、最近は違うんです」
彼女の声がかすかに震えているのがわかった。どうやら幽霊を信じざるを得ない事情があるようだ。車の外は真夏の夕方、空がまだ明るくても、彼女の心は陰ったままのようだ。
「何かあったんですか?」
「ええ……信じてもらえないかもしれませんけど、最近、私の部屋の窓がいつの間にか開いているんです。毎回、自分で閉めているのに、気づいたらまた開いていて……それが何度も続いていて怖いんです」
彼女の不安が伝わってくる。確かに、家の窓が知らないうちに開いているというのは、怖い体験だろう。私も同じ状況に置かれたら、幽霊の仕業だと考えたくなるかもしれない。
「窓には鍵をかけているんですか?」私は確認するように尋ねた。
「いいえ……マンションの上の方に住んでいるので、窓に鍵をかける必要はないかなって。高層階ですから、誰も入ってこれるはずがないって思っていました。でも、それが間違いだったのかも……」
高層階に住んでいるなら、安全だと考えるのは普通だろう。彼女が経済的に余裕があり、良いマンションに住んでいることも推察できたが、それでも、何かが気になる。彼女の言葉には、まだ何か隠されているような気がした。
「運転手さん、聞いてますか?」彼女が焦った声で呼びかける。
「すみません、ちょっと考え事をしていました。続きをどうぞ」
「……実は、最近何度も窓を見張っていたんです。まるで刑事みたいに、朝から晩まで」
彼女が部屋の中でじっと窓を見張っている姿を想像してみる。少しシュールな光景だが、彼女の不安と焦りが感じ取れた。その想像の中では、もしかしたら彼女が手に握りしめているのは刑事ドラマのようにコーヒーではなく、パンか何かだろうか。だが、その彼女の行動は、ただの勘違いでは済まされない何かを目撃した証拠かもしれない。
「そして、ある日、やっぱり窓が開いたんです。私の目の前で……誰もいないはずなのに」
私は思わず彼女の話を遮る。「やはり、窓が開いたんですね」
「そうなんです。鍵もかけてないし、誰も触っていないのに。もう、怖くて仕方なくて、どうしていいのか分からないんです。」
彼女ははっきりと怯えていた。幽霊の存在を信じる気持ちが強くなっているのも無理はない。だが、私は幽霊のせいだとすぐに結論を出すのは慎重であるべきだと思う。何か他の原因があるのではないか?
「すみません、もう少し冷房を下げてもらえますか? 今日は本当に暑くて……」
彼女は少し申し訳なさそうに頼んできた。私は冷房の温度を下げながら、ふと考えた。この異常な暑さが、窓の開閉に関係しているのではないか? 気温差による物理的な現象の可能性を頭に浮かべた。
「もしかして、窓が開くのって、決まって家に帰ってすぐとか、夜中に冷房をつけた直後じゃないですか?」私は彼女に問いかけた。
「そうです……まさにそのタイミングです。どうしてわかったんですか?」
「それなら、説明がつくかもしれません。科学的な現象ですよ」
後部座席の彼女は、ミラー越しに疑わしそうに私を見つめているのがわかる。
「暑い中で冷房をつけると、部屋の中の温度が急激に下がります。窓枠にかかる圧力も急変するので、緩んだ窓が自然に少し開いてしまうことがあるんです。これは珍しいことではなく、特に夏場に多く見られますよ」
彼女は驚いたような顔をしている。これまで幽霊の存在しか考えなかった彼女にとっては、思いも寄らない説明だったのだろう。
「つまり……幽霊なんかじゃなくて、ただの温度差のせいだと?」
「その可能性が高いですね。確かに不気味に感じるかもしれませんが、科学的に説明できることも多いんです」
彼女はしばらく黙り込んだ後、微笑んで言った。
「ありがとうございます、運転手さん。今夜は安心して眠れそうです」
彼女の笑顔には、先ほどまでの不安はまったく見られない。車が目的地に近づき、穏やかな沈黙が戻ってくる。私は彼女の悩みが解決したことに、少しばかりの満足感を覚えた。
「こちらこそ、話を聞かせてくれてありがとうございました。何かまた不安なことがあれば、いつでもどうぞ」
彼女は車を降り、軽やかな足取りで夜の街に消えていった。その姿はまるで、かつての不安を完全に忘れ去ったかのようだ。
車を再び走らせながら、私はふと考える。世の中には幽霊のような謎がたくさんある。だが、その多くは、よく考えれば解決できるものだ。次の客もまた、どんな話を持っているのか。私は街の中で、再び次の「小さな謎」を求めて進み続ける。
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