終夏

終夏

 蝉がひっくり返っている。いや、ひっくり返っているのは僕と、僕たちと、世界、なのかもしれない。取り巻いている全てなのかもしれない。今日を9月6日とは言わずに8月37日と意地でも延長してしまう程、しがみ付いていたいような季節になってしまった。それが9月になり、暑い秋、秋になるのである。今まで僕が経験してきた夏という季節は、ただ色が濃く、その鮮明さに惹かれることしかできなかったが、今回の夏は一味も二味も違った。

 季節の立ち上がりから思い出すためにも、カメラロールをはじきながら記憶に入り込んでみる。そう、まずは記憶に入り込めるだけの奥行きがある。奥行、広さ、記憶が僕を占める割合のかつてない大きさと自信を持っている。つまり濃いということだ。思い返せば恋人と渋谷を走り抜けて観た映画から夏が始まる。疾走感から始めるこの季節の思い出は、時に立ち止まり、時に駆け抜け慌ただしく移り変わる。青に向かって伸びる散歩道の線路、十人十色に聳え立つ雲の城。毎年更新される夏のプレイリストは2時間をとうに超え、水はけの悪いコンクリートに溜まるゲリラ的な夕立は、不安と興奮を孕んでいる。扇風機の人工的な風に薙ぐ風鈴の音色。見つからないカブト虫は結局のところ見つからず仕舞いで、去年から見かけるヤモリは大きく育って今年も顔をのぞかせる。停電と雷。エアコンが止まって初めて聴こえるヒグラシの声と、祭りから救い掬った金魚たちは救い切れなかった。首を垂れる向日葵の群れの寂しさ、河原の緑の自転車。山下達郎と小沢健二が歌う夏について。恋人は見逃し続けた特大の流星群。ゆっくりと自然と混じりあう故郷の強かさと風に乗る潮の匂い。ディーゼルで駆けるJR銀河鉄道。進む月日と対象に進まない研究。炒飯に向かう足並みと昼過ぎに漂うカレーの香り。泣いてしまう程の音楽と文学。気付けば大きいサイズになっていたアイスコーヒーのグラスと、エレキギターの間抜けな音色。アナログで所有する音楽体験。

 そして、こうして過ぎていった僕の夏を洗い流す雨と、海岸を歩く人たちが付けた遠く長い足跡。

 その全てに在り続けてくれた恋人という季節。自分より好きになった人。自分が見つけ、感じた幸福の様々をつい伝えたくなってしまう人。全く苦にならずに片時も忘れなれない人。正しく人を好きになって、まさしく今、僕が生れたということ。

 長く、そして短く、1つ1つの瞬間がすごい速さで何度も何度も夏を紡ぐ。あっという間に過ぎていく1つの季節にしては、やはり今年は濃いようだ。

 さて、秋も来ることだし、そろそろ記憶からゆっくりと体を引き離しながら起き上がろうか。蝉が今、ひっくり返った。

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終夏 @untilyouth

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