いい加減にしろよ

@wlm6223

いい加減にしろよ

 世の中にたちの悪い人間は多いもので、フリーランスのブックライターで働く私もその厄介な人物たちに頭を悩ませられている。

 その厄介さんたちがみなフリーランスかというと、実情はフリーランスの方が金と時間には律儀で、会社勤め、所謂サラリーマンの方がルーズなのだ。

 実例を挙げると、原稿の締め切りを忘れている、完成原稿の文字数の勘違い、酷いのは原稿料の未振り込みもある。

 フリーランスの立場としては、そういった理不尽も笑って注意するだけで厳重注意などできる筈もない。

 しかし、相手が新人サラリーマンだと同じ間違いを何度もし、それに付き合わされる私もいい加減に彼の上長に報告して注意勧告を要請する事もある。

「……とまあ、そんな感じでギャラの不払いが四度も続いているんですよ。なんとかなりませんか」

「分かった。こっちからも厳重注意しておく」

 私はベテランであるため、元担当編集者が社内で出世してこういった苦言を呈する事ができるのである。件の編集者は翌日にも呼び出されて説教を食らうだろう。

 こと金に関してはフリーランスには命綱とも言ってよいので、この一点はびた一文たりとも負ける訳にはいかない。ギャラの支払いが遅れて家賃を滞納してしまった、という同業者もいる。これはフリーランスならではのトラブルだ。

 翻ってサラリーマンは毎月決まった日付、大抵二十日か二十五日にサラリーが指定銀行口座に振り込まれるようになっている。経理部がどんなに多忙でも給与の遅配は決して許されない。そういったプロ組織がいるからこそサラリーマンを続けられていられるのを理解していない編集者というのも(残念ながら)いるのも確かだ。

 編集者はブックライターというクリエイターとその会社に属する営業マンとの仲立ちをするビジネスマンでなければならないのだ。その期の予算を達成させるためブックライターに締め切りを厳守させ、本を作りそれを営業マンに売らせて売上を立たせる。その売上で会社に利潤を齎し毎月のサラリーとなり、我々フリーランスのブックライターのギャラへと還元される。そういったクリエイターにとっては良きビジネスパートナーであってもらわなくてはならないのだ。

 が、その編集者が金と時間の約束を反故にするようであってはビジネスとして成り立たないのだが……。

 ここにフリーランスの弱点がある。発注元に苦言を呈する方法がないのだ。

 発注元の機嫌を損ねれば次回の仕事は回ってこないし、一応の上下関係としては発注元の方が上だ。私のようにベテランになってしまうと、甥っ子姪っ子ぐらいの若者に顎で使われるもの覚悟しなければならない。もっとも、私個人はそういったことを気にしていないが、先方は気になるようである。この点においてはこちらが幾ばくかの配慮をしてやらねばならない。「何でも頼みやすい気楽なおじさん」を演じてやらねばならないのだ。だがいくら気楽に頼み易いからといって、そこは長年のプロである。仕事はきっちりこなさねばならない。フリーランスは営業マンであり文筆業であり経理の仕事もこなさねばならない。これを疎んじてはブックライターは務まらない。

 その「原稿料未払い」の前科者の編集者から仕事の依頼が来た。

 今度の仕事は雑誌で腕時計の特集記事を組むから手伝ってくれとの事だった。私も個人的に時計の趣味の世界に惹かれた事があったので、その分野はまるで知らない訳でもなかったし、どちらかと言えば得意分野だ。

「三千文字前後でお願いします」

「いいですよ。分かりました。で、特集記事全体は何ページになるんですか?」

「五十ページです」

 文字数とページ数を勘案すると、三千文字というのはかなり少ない。それだけ沢山のブックライターに発注しているという事か?

 ここで私の勘が働いた。

 この編集者、文字数かページ数を間違えてないか?

 取り敢えず私は三千文字の原稿を用意し、他にも三千文字の原稿を四つ用意した。その計五つの原稿から特集の意に沿うものを選ばせる積もりでいた。いや、ひょっとすると、という嫌な予感もしていたのだが……。

 締め切り三日前になり、件の編集者から深夜に電話がかかってきた。

 急遽ページの割り当てが増えたので三千文字の原稿をあと三つ書いて欲しい、とのことだった。

 あーあ、こいつまたやっちまったのかよ、と私は思った。

 雑誌の発売日と今日の日付を考えれば急遽の増ページは考えにくい。恐らくこの編集者がまた間違えたか、まあ、とにかくトラブっているのは確かだ。

「いいでしょう。締め切りは守れそうです。ですが、急遽の事ですから原稿料も色を付けてもらわないとできませんよ」

「申し訳ありません。そこを何とか……」

 と言う事はコイツがまたやらかしたのであろう。

本当に急遽の増ページなら編集長が掛け合ってくる筈だ。それがないのだから間違いなくこの編集者に責があるのだろう。

「まあ、御社とは長いお付き合いですから、今回だけですよ」

「……ありがとうございます……」

 お前に礼など言われたくない。

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