神様にも出来ないことはある
@wlm6223
神様にも出来ないことはある
私がこの地に根を下ろしてから大体一九〇〇年になる。第十二代景行天皇の御代だった。
日本武尊が東夷征伐に出向く時、「薬祖神二柱のご加護があった」と、この五條天神社を建立して以来、私は少彦名彦と共にここに祀られている。
もう大分昔のことなので正確には記憶していないが、元々この地は秋穂が頭を垂れる田畑だった。それがいつしか寛永寺の領地となり、その寛永寺もこの地を手放し、当時の市井の民が宮内庁に献上し、宮内庁はここを上野恩賜公園としたのだ。
そう言う由緒謂われもあり、私は少彦名彦と共に「医学の神」として長年奉り挙げられている。
参拝に来る者の多くは自身の健康や家族の健康を祈願している。中には「うちの夫が早死にしますように」などという老婆も中にはいる。
私は得てしてそういった手合いの相手はせず、少彦名彦と相談して「放っておこう」となるのだ。
参拝者は老若男女まちまちである。
若い男女の二人連れがお互いのこれからの健康を祈願するし、壮年の夫婦が来ることもある。
一番困るのが酒飲みだ。
連中は「肝臓が丈夫でありますように」だの「まだまだ飲み足りないので体だけは壊しませんように」だのと祈願する。
そう言われても私は医者でもないし、これといった神通力もないので、これもまた放っておくことにしている。
一番心掛かりなのはまだ年端もいかない子供たちの祈願だ。
「じいじの病気がよくなりますように」「おばあちゃんの癌が治りますように」といった誠心誠意の祈願を受けるときが一番心をざわつかせる。
そういった祈願者にはこちらも誠意をもってその願いを叶えてやりたくもなるものだ。
ある日、一家四人の参拝客が来た。
三十代と思われる夫婦とまだ幼い娘と息子である。
四人は祭殿の前で「親父の癌が消えますように」「お義父さんの癌がよくなりますように」と祈願した。幼い子供たちも自分たちの言葉で同じように祖父の快癒を必死に祈願した。
こちらも万能ではないが神である。
私はその一家の祖父の元へ行ってみた。
時間は深夜の二時頃、昔で言えば丑三つ時である。
この時間は昔から魑魅魍魎が跋扈する時間である。しかし、私たち神も仮のこの世の姿をもって出歩く時間でもあるのだ。
そこは九段下の病院だった。
その病院は立派な癌病棟だった。
私は祈願してきた家族の祖父が入院している病室へ入った。
確かに衰弱した老人が眠っていた。
枕元には死神が立っていた。
私は死神と目を合わせて軽く会釈した。死神も「これはこれは大己貴命様」と言って同じように会釈した。
「この老人はいつ旅立つのだ」
私が死神に言った。
「今晩でございます」
「そこを何とか曲げることはできぬか」
死神は一瞬たじろいだ。
「この者は良き夫であり良き父でありました。ですから長く病苦に曝されるよりも惜しまれてこの世を去るのが良いという閻魔様のご配慮でございます。どうかこの者は私めの手にお任せくださいませ」
私は事情を飲み込んだが、あの幼い子供たちのことが頭を過った。
「せめて今回ばかりは見逃すことは出来ぬものか」
「ものには道理というものがございます。今晩でなければこの者に余計に苦痛と残された者たちへの慚愧の念が募るばかりでございます。どうかこちらの事情にもご配慮お願い申し上げます」
神と言えども万能ではない。さらに言えば自然の摂理を曲げるのは神の為すことではない。
「で、この者をどこへ連れて行こういうのか」
「もちろん極楽浄土でございます」
「それでこの者は救われるのか」
「ええ。さようでございます。この者は生への執着よりも子孫の安泰を願っております。その望みを叶える時が今夜でございます。どうかそこは誤解なさらぬようお願い申し挙げます」
死神がそう言うと老人の魂を抱きかかえて死神は昇天した。老人は笑顔を見せていた。それは死出の旅路を祝福された笑顔だった。
神様にも出来ないことはある @wlm6223
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