一章 義父と招待

 季節はすっかり秋になり、帝都にひんやりとした風が吹く。真っ青な空は高く、薄い雲が筆で擦ったように伸びて、蜻蛉とんぼが気持ちよさそうに飛んでいる。

 冷気にさらされながらもにぎわう街の中に、ある女性の二人連れがいた。ワンピースに薄手のコート姿の美女と、鳥の子色の地に秋らしい木の実柄の着物をまとった娘だ。

 着物姿のほう、帝国有数の名家・どう家の若き当主、久堂きよの婚約者であるさいもりは、れいに舗装された道を歩いていた。

「無事に買い物が済んでよかったわね」

 隣を歩く将来の義姉あね、久堂づきが上機嫌に言う。美世はそれに微笑んで答えた。

「はい。付き合ってくださって、ありがとうございました。お義姉ねえさん」

「どういたしまして。私ばっかり楽しんでしまった気もするけれど」

「いえ、わたしも楽しかったです」

 葉月と初めて会ってから、早数か月。いろいろと波乱もあったが、美世は今も週に二、三回程度彼女と会い、かんぺきな淑女を目指して勉強している。

 しかし、勉強ばかりしていても息が詰まってしまう。

 そういうわけで、今日は葉月いわく、将来の姉妹でデヱト──らしい。

 それは男女が会うことを言うのでは、と美世が返したところ、「いいの! だったら私が男役をやるわ」とよくわからないまま押し切られ、今に至る。

 とはいえ、美世としても葉月と出かけるのは楽しいので文句はない。

「ふふふ、よかったわ。──我が弟よ、見てなさい。今に私に泣いて感謝することになるんだから」

 葉月は美しいかんばせに、まるで悪代官のような笑みを浮かべた。

 二人でデパートに行き、買ったもの。それは、美世の着る洋服である。

 もともと洋装には少しだけ興味があったが、自分ではなかなか購入する機会も勇気もなかった。そんなとき葉月に、

『美世ちゃんがお洋服を着ているところ、すごく見たいわ。きっと可愛いもの!』

 と背中を押され、購入に踏み切ったというわけだ。

 ほんのちょっと、清霞を驚かせたい気持ちがあったのも、否定はしない。

「……でもやっぱり、緊張します。だんさまがなんとおっしゃるか……」

「平気よ。試着したときも、とってもとっても可愛らしかったんだから! あの朴念仁もだらしなく鼻の下を伸ばすはずだわ」

 美世はあの麗しい婚約者が鼻の下を伸ばしている様を想像して、それはちょっと……と内心で思った。でも、葉月の言う通りだったらうれしい。

「そうだったら、いいのですけど」

「絶対に大丈夫よ、自信を持って。そしてお洋服に慣れたら、今度はドレスに挑戦しましょう」

 二人は話しながら、自動車を停めている帝都の外れまできた。

 洋服を買うという目的は果たしたので、このあとは早めに帰って夕食の時間まで勉強の続きをする予定だ。

 春頃に出かけたときは外の世界に不慣れで、おっかなびっくりだった美世も、さすがに慣れて純粋に出かけることを楽しめるようになった。

(この辺りは旦那さまの仕事場の近くだし……)

 何度か通った道はすっかり覚えてしまって、きっとひとりでも歩けるだろう。ただし、清霞や葉月、ゆりが許してくれるかは別の話だけれど。

 そんなことを考えていたときだった。前方を歩いている、大荷物を抱えた着物姿の男性が不意によろけた。

「あっ」

「大丈夫かしら。って、あら? あの後ろ姿、見覚えがあるような」

 美世と葉月は互いに顔を見合わせる。

 そのうち、男性は道端にしゃがみこみうずくまってしまった。

 具合が悪いのかもしれない。これは放っておけないと、二人は慌てて男性に駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

 美世は男性の背に手を当てながらその顔をのぞき込み、息を吞む。

 顔色が真っ青だ。けれどもそれ以上に、男性の驚くほど整った顔立ちに目を奪われた。

 色白で繊細。そしてやや中性的。男性だとすぐわかるのに、どこか深窓の姫君のようなたおやかさを感じさせる。

(この方、似てる)

 一瞬、脳裏をよぎった考えは焦りですぐに消えた。

 男性は苦しそうに冷や汗を流しながら、美世のほうを見る。

「ありがとう、親切なお嬢さん……。でも、これはいつものことなんだ……」

「え、あの、そう……なんですか?」

 そんなことを言われても、ここでじゃあさよなら、と立ち去るわけにもいかない。

 しかし、どうしたものか、とまゆをひそめる美世の耳に、自動車を呼びに行っていた葉月の驚きの声が飛び込んできた。

「その声、まさか、お父さま?」

「ん? 誰かと思ったら、僕の可愛い娘の幻覚が見える……。ごほごほっ、もしかして僕はいよいよ死ぬんだろうか……」

 き込みながら、男性はわけのわからないことをつぶやき、急に遠い目をする。

 美世は状況がまったく飲み込めず、ぽかん、とあつにとられるほかない。一方、葉月は焦りを引っ込め、大きく息を吐いた。

「もう、何をお馬鹿なこと言ってるの。それにまさかと思ったけれど、どうしてこんなところに。……仕方ないわね。ここからなら清霞のところが近いから、行って少し休ませてもらいましょ」

「あの、お義姉さん。ええと、いいんですか?」

 病院に行かなくていいのだろうか。しかも、こんな昼間に清霞の仕事場に行って迷惑ではないか。

 不安になって尋ねれば、葉月はいいのいいの、と手をひらひら振る。

「構わないわよ。病院は行っても無駄だし、清霞だって無関係じゃないもの」



 あきれ顔の義姉の言うまま、男性の背を支えながら、美世はあれよあれよという間に婚約者の職場──たいとくしようたいの屯所へとやってきた。

「で? どうしてそうなる。私は暇ではないのだが」

 軍服に身を包んだ清霞が、こめかみを押さえてうなる。

 対異特務小隊屯所の応接室の向かいあったソファに、美世と清霞、葉月と男性で分かれて座っている。

「いいじゃない。近かったのよ」

 葉月がすまし顔で、悪びれもせず返した。

「いいわけないだろう。勤務中に呼び出されていい迷惑だ」

「あの、旦那さま……ごめんなさい」

 心底面倒そうな婚約者に申し訳なくなって謝れば、彼は「いや」と否定して微笑んだ。

「お前のせいではない。悪いのはどうせ、この二人だからな」

 鋭い視線が向かいの二人をく。

 しかし葉月はやはりどこ吹く風。男性のほうは、ぱっと目を輝かせた。

「清霞くん! 久しぶりだね、会いたかったよ! 元気にしていたかい? もう全然、顔を見せにも来てくれな──げほっ、ごほっ」

 まだ顔色の悪い男性は勢いよく立ち上がり、清霞に近づこうとして激しく咳き込んだ。

「はあ。頼むから大人しくしていてくれ。まったく、冗談ではないぞ」

 特大のため息とともに、清霞は再び美世のほうを向いた。

「そういうわけだ。美世、この顔色の悪い中年が私たちの父親。先代久堂家当主の久堂ただきよだ」

 先ほど葉月がお父さま、と呼んでいたのでもしかしてと予想はしていたけれど。

 どうりで、似ているわけである。

 はじめに男性──正清の顔を見たとき、すぐに清霞に似ていると感じた。

 正清は色白ではあるものの、清霞のような色素の薄さはない。ただ、その絶世のぼうはそっくりだ。

 というか、中年にはとても見えない。近いはずだが、どう多く見積もっても三十代だ。一見、清霞の兄弟のようにも見える。

 美世はさまざまな驚きにほんろうされつつ清霞の言葉にうなずき、正清に会釈した。

「あの、初めまして。斎森美世です」

「初めまして。僕は葉月と清霞の父、久堂正清といいます。よろしくね」

「は、はい。よろしくお願いします」

 差し出された白くて細い手を、美世は緊張しながらおそるおそる握る。

(……やっぱり、すごく細くていらっしゃるわ)

 顔の造作は清霞と似ている正清だが、よく見ると表情も身体つきも、まったく違う。

 清霞は細面でだまされがちだけれど、軍人であり、鍛えているので存外がっしりとした身体つきをしている。それに、剣を握る手のひらは皮膚が硬い。

 翻って、正清はその細面から受ける印象通りに線が細いようだ。背も清霞よりやや低く、手のひらの皮膚は透き通るくらい薄い。

「美世、すまない。面倒をかけたな。……父はこの通り、虚弱体質なんだ」

「だから病院に行っても、手の施しようがないのよ」

 ぐったりと脱力する清霞。葉月もやれやれと軽く首を振る。

 そんな二人とは逆に、正清は美世に明るく笑いかけた。

「けほっ。本当に助かったよ、美世さん。あそこで会えてよかった。ごほごほ、君のような心優しい義理の娘を持てるなんて、僕はなんて幸せなんだろう! げほっ」

「もう黙ってくれ」

「安静にしてください、お父さま」

 すかさず入った自分の二人の子からの鋭いつっこみに、しゅんと肩を落とす。

 さすがにこれでは話が進まないと思ったのか、清霞が「それで」と話題を振った。

「どうしてこっちに? 何か用があるから来たんじゃないのか」

「そう! そうなんだよ」

 また身を乗り出しかけた正清の腕を、隣に座る葉月が引いて止める。

 美世はとりあえず、知っている情報を頭の中で整理した。

 普段、清霞の両親は地方の別邸に住んでいる。これは正清が当主の座を退いて以来ずっとで、滅多にこちらには来ないのだとか。

 推測だが、それは正清の体質が虚弱だからではないか、と一連の流れを見ていて、思う。

 そして、帝都の中心部にある大きな久堂家本邸には葉月がひとりで住み、郊外の小さな家に清霞が住んでいる、というのが現状だ。

 一家は見事にばらばらだった。

「僕は君らに会いに来たんだ」

 落ち着きを取り戻した正清が、神妙に告げる。これに、清霞はいぶかしげな視線を返した。

「どうしてこの時期に? 今さらだと思うが」

「……まあ、うん。今さらなことは認めるよ。でもほら、僕、夏は暑さでやられがちだし」

「ああ……」

「かといって、縁談を持っていった僕がまったく様子を見に行かないのも、どうかと思うし。久しぶりに娘と息子の元気な顔を見たかったしね」

「それならお父さま、あらかじめ連絡くらいしてくれてもいいんじゃないかしら」

 葉月の言うことはもっともだ。体調に不安があるなら、なおさら先に連絡をいれておくべきだろう。

 すると正清はへら、と笑い、

「抜き打ちしようかなって」

 と答えた。これには清霞も葉月も口を揃えて「ただの迷惑!」と怒鳴ることになったのだった。



 とにかく、あまり清霞の仕事の邪魔をするのはよくないので、美世と葉月、そして正清は場所を移すことにした。

 やってきたのは、久堂家の本邸。まさに名家の大豪邸である。

(大きすぎるわ……)

 あまりの大きさに圧倒されてしまう。立派すぎて、もしこの家に住むことになっていたら、と想像すると、場違い感にぞっとする。

「さ、美世ちゃんも遠慮せずに入って」

 現在の家主である葉月に促され、美世は初めて本邸に足を踏み入れた。

 外観は西洋風の立派な石造りで、外壁はほのかな黄色。ところどころにつるくさ模様が彫り込まれている。

 両開きの大きな扉から中に入ると、落ち着いた深緑色のじゆうたんが敷かれた広い玄関ホールになっていた。天井が、美世が二人重なっても届かないくらい高い。

 ぐるりと見渡すと、玄関の壁の上のほうに、美しいステンドグラスがめ込まれているのに気づいた。

 以前訪れた母の実家のうす家もだが、どうも美世からすると洋風の家というのは気後れしてしまう。生家が純和風の屋敷で、今暮らしている清霞の家も和風の民家なので、おそらく慣れの問題だろう。

 おまけに、薄刃家は二階を洋風に改装してあるだけだったが、こちらは豪邸だ。余計に緊張する。

「ごめんね、美世ちゃん。なんだか急にこんな、おかしなことになって」

 葉月が申し訳なさそうに言うので、美世は慌てて首を横に振った。

「い、いえ。あの、いろいろ驚きましたけど、何も困ることもないですから。……それに、だんさまのご両親にお会いしていないことが、本当はずっと気になっていたんです」

「そう」

 清霞は、わざわざ両親にあいさつに行く必要などない、というようなことを前に言っていた。

 当主は自分であり、結婚についていちいち両親に伺いを立てることもないと。

 けれど、たとえ清霞が先代夫婦に文句を言わせなかったとしても、彼らは心の中では顔も見せず、挨拶のひとつもしない嫁候補を良く思わないだろう。清霞があまり両親と会いたがっていないのも察してはいるが、やはり快く思われないのは悲しい。

 せっかくなら、きちんと挨拶をして良好な関係を築きたい。

(そのほうがきっと皆、幸せだもの)

 だからこうして、正清のほうから会いに来てくれて、優しく接してくれるのは予想外のうれしい出来事だった。美世にとっては。

「やあ、懐かしいな」

 玄関を見回しながら、正清がうれしそうに言う。

「滅多にこっちには来ないものね」

「うん。……美世さん。あらためて、顔合わせが遅れてしまって申し訳ない。本当なら、もっと早く様子を見に来るべきだった」

「いえ。お気になさらないでください」

 美世は答えてから、はっとした。

 そう、他ならぬ正清こそ、清霞と美世の縁談を持ち込んだ張本人だ。であれば、美世にも確認しなければならないことがある。

 三人は屋敷の談話室へ移動した。

 ここもまた、とてもごうしやな部屋だ。異国情緒を感じさせる幾何学模様が入った壁と天井、花の意匠が華麗な照明。ソファは革張りで、木製の脚にまでこうな彫刻模様が施されている。

 きらびやかな室内にされながら、聞かなくともわかる高価なソファに浅く腰かける。

 香りのよい紅茶と美味おいしそうな茶菓子が用意された頃合いで、美世は自分から口を開いた。

「……あの」

「なんだい?」

 おずおずと控えめに声をかける。正清は笑顔で少しだけ首を傾げた。

「わたしで、よかったのでしょうか」

 美世の問いに、葉月が「美世ちゃん?」とまゆをひそめ、持っていたティーカップを置く。

「どういう、意味かな? 美世さん」

「わたしは──実家では、ほとんどいない者として扱われていました。斎森の娘としてわたしを認識していた方が、どれだけいたか……」

 場の空気が瞬く間に冷え切った。しかし、ひるんではいけない。美世はなけなしの勇気でもって、言葉を続ける。

「斎森の娘といえば、それは妹のことだったんです。わたしが久堂家に来たのは、ほんの偶然でしかありませんでした」

 妹は自分のほうが、清霞の妻に相応ふさわしいと言った。美世はその言葉に、清霞の隣を譲りたくないと返した。

 自分のほうが相応しい、とは言い返せなかったのだ。実際、あのとき久堂家に嫁ぐのに相応しいだけの能力を持っていたのは妹のだったから。

 誰にも知られず、何も持たなかった美世を正清が求めたとは、どうしても思えない。

「だから、実は自分はお呼びではなかったのではないか、ということかな」

「そう、です」

 あらためて正清に言葉にされると、胸が痛い。事実なのに。

 清霞は美世がいいと言ってくれる。美世ももう、何があっても彼を信じてついていくと決めた。それでも、必要ないと告げられるのは怖い。

 無意識にうつむいてしまう。

 けれど、正清がくれたのは冷たい言葉や態度ではなく。

「こんなことをしたら、清霞に怒られるかな」

 でもまあ、いいよね、と正清は美世の頭をふわりと優しくでる。

「確かにね、僕が聞いた斎森家の娘さんの噂は、君の妹のことだったと思うよ」

「……はい」

「でもね、君のことも知っていたよ」

 思わず、顔を上げた。

 目に飛び込んできたのは、正清の困ったような苦笑だった。

「といっても、斎森家の娘さんの噂を聞いてから調べたんだけど。斎森家にはもうひとり娘さんがいて、もしかしたらその子がうちに来るかもしれない、とは思ったかな」

 斎森しんいち氏が、後妻との娘をたいそう大事にしているというのは知られた話だが、もうひとりの娘の存在を見つけるのも難しくはない。

 だから、あえて誰とは指名せず「お宅の娘さんの結婚相手にうちの息子はどうだろう」と、知り合いを通じて斎森家に話を持っていったのだ、と正清は話す。

 二人の娘のうちのどちらが来るか、けのようなものだったと。

「もうね、あまりにも清霞が結婚しないから、僕も運を天に任せてみようかなとか……ほとんど自棄やけみたいになっていて」

「……自棄」

「あっ、もちろん斎森家に失礼をした自覚はあるよ。申し訳ないと思ってる」

 美世はどう反応すべきかわからず、狼狽うろたえてしまう。

「美世さん、君にも失礼だったよね。本当に、申し訳ない」

「い、いえ」

「でも、良くないことだったのは確かだけれど、後悔はいっさいしていないよ。むしろ、あのときの僕をよくやったと褒めてやりたいくらい」

 ふふふ、と正清は腕を組んで得意げな表情になった。

「だって、君が……美世さんが来てくれて、清霞は変わった」

「え?」

 美世は目を瞬かせる。

(旦那さまが、変わった?)

 あまりぴんとこない。彼は最初から優しかったし、冷酷で薄情だとかいう噂が真実でないことはすぐにわかった。

 無論、清霞の整いすぎたぼうと口下手なところが周囲に誤解を与えるのも、想像はつく。けれど、親である正清なら清霞の内面まで理解しているだろう。

 正清は、首を傾げる美世の疑問には答えなかった。

「だから美世さん、君が不安になることはないんだ。僕は君が来てくれてよかったと心から思っているし、感謝しているから」

「……ありがとう、ございます」

 胸がいっぱいになる。

 斎森家にいたとき、自分には何の価値もないのだと本気で考えていた。今でも、あの頃の自分が無価値だとは言わなくとも、空っぽでどうしようもない人間だったとは思う。

 それなのに、清霞の元に来てから皆が美世を必要だという。

 こんなに、自分だけが得をしてしまうような世界があるなんて、知らなかった。こんなに幸せでいいのかと、逆に疑ってしまいそうだ。

ちゃんも、今はちょっとへそを曲げているけれど、きっと美世さんを受け入れるはずだよ」

「……芙由ちゃん?」

「お母さまが? ないない、ないわよ」

 正清の口から出た『芙由ちゃん』とは、彼の妻──葉月と清霞の母の名らしい。

 葉月が心底嫌そうな顔をするので吃驚びつくりした。彼女がこれほどの嫌悪感を示すのを初めて見た気がする。

「まったく。葉月も清霞も、どうして実の母親をそんなに嫌うかな」

「嫌うというか、あんな、年中へそを曲げたような人を好む人はそうそういないでしょう」

「なんだか、遠回しに僕が変人扱いされている気がするなあ……。まあ、ともかくその辺りの話題は僕がこちらに来た理由とも関係するから、清霞が来てからにしよう」

 それから何度か話題があちらこちらへ飛び、気づけば日が傾き始めていた。

 他愛のない会話は楽しいものだった。しかし、美世はただ座っているだけ、というのがどうにも慣れない。

 いよいよ手持ちで落ち着かなくなって来た頃、ちょうど清霞が久堂家本邸へやってきた。

「若旦那さまがお帰りです」

 使用人から告げられ、つい、ぱっと顔を上げてしまう。

 若旦那さまとは、清霞のことだ。今の当主は清霞なので、本来なら彼が『旦那さま』と呼ばれるべきなのだが、先代の正清があまりにも早く引退したため、久堂家では正清を『旦那さま』、清霞を『若旦那さま』と呼んでいるらしい。

 美世は少しだけ救われた気持ちになりながら、勢い込んで部屋を飛び出した。

「旦那さま、お疲れさまでした」

 本邸の玄関で出迎えれば、だいぶ急いだ様子だった清霞はややくちもとを緩ませ、「ああ」と答える。

 美世がいつも通りの自然な流れで軍服の上着を清霞から預かると、彼は急に振り返って美世をまじまじと見つめてきた。

「美世、父に何かされなかったか」

「え、ええと、何か……とは」

「抱きつかれたり、手を握られたり、頭を撫でられたり、口説かれたり」

 ひと息に並べ立てる清霞。一瞬、ぎくっとした。その中のひとつにはかなり、心当たりがある。

 そして美世の、ほんのさいな表情の変化を彼は見逃さなかった。

「……されたな?」

「い、いえ、あの、その」

「そうか、よくわかった。あのどうしようもない父親を、今すぐ灰にしよう」

 無表情になった清霞の手のひらの上で、ぼ、と青い炎が燃え上がって消える。

 美世は慌てて、静かに怒る婚約者の腕を引いた。

「だ、だめです!」

「別に構わないだろう。うるさいのが消えて清々する」

「か、構います。だんさまが人殺しになるのは、悲しいです」

 せっかく、ちゃんと親子で話す機会があるのだ。無理に仲良くする必要はないかもしれないけれど、せめて話し合いで解決してほしい。

「…………」

「…………」

 美世の必死の思いが通じたのか。根負けしたように、清霞は怒りの炎を鎮めた。

「仕方ない。言い訳くらいは聞くか」

「はい」

 使用人の先導で二人がばんさん室へ行くと、すでに夕食が用意され、葉月と正清が席に着いていた。

 葉月も正清もにやにやしながらこちらを見ている。

「あら、ずいぶんゆっくりだったじゃない。玄関からここまで移動するだけなのに」

「うんうん。僕の予想では『ただいま帰ったよ、はにー』『おかえりなさい、だーりん』とか言い合っていたに違いないよ」

 はにー? だーりん……? 知らない言葉だが、外国語だろうか。

 美世が首を傾げているうちに、隣から凍土にいるかのごとき冷気が放たれた。

「その気色の悪い妄想を今すぐ取り消せ。でないと燃やす」

「気色悪いとはなんだ。僕は芙由ちゃんとそうやって愛を確かめあっているのに!」

「え、お母さまと? 本気?」

 ぷう、と子どもっぽく頰を膨らませる正清と、それに信じられないという目を向ける葉月。

 だんだん収拾がつかなくなってきたことを察し、美世は「旦那さま」と呼びかけて清霞に席に着くよう促した。

「じゃあ皆さん、いただきましょうか」

 家主の葉月によるかけ声で、各々カトラリーやはしを手に持つ。

 本日の久堂家本邸の夕食は、皆それぞれで献立が違っていた。

 料理人の配慮だろう、体調を崩しがちの正清にはのどを通りやすいかゆや豆腐を使った料理。葉月には野菜中心の彩り豊かなサラダやスープ。清霞にはいつも通りの魚や煮物などの和食。

 美世の席に用意されたのは清霞とほぼ同じものだった。

 洋風の香草と和風の調味料を用いた珍しい味付けの秋鮭。しるにはほくほくとした、甘みの強いさつまいもが入っている。しいたけやしめじ、まいたけなどのきのこをふんだんに使ったえ物は、塩辛すぎず、出汁だしがきいていて味に深みがあった。

(変わった味……だけど、すごく美味おいしい)

 さすが、久堂家の料理人だ。腕も気遣いも一流で、素人の美世では思いつかないような食材の使い方をしているのかもしれない。

 参考にできるところは参考にしようと考えながら、美世はせっせと箸を動かす。

 しばらくたち、食事も半ば進んだくらいで清霞が本題に入った。

「それで、昼間聞き損ねた件だが」

「あーうん。そうだったね。久しぶりの本邸の食事に夢中になっていたよ」

 正清がははは、と笑い、それに清霞がいらっているのがひしひしと伝わってくる。

「冗談はともかく。昼間も言ったように、僕がこちらに来たのはもちろん君たちや帝都、この屋敷の様子なんかを見たかったからなんだけれど。もうひとつの理由は、──清霞、美世さん」

 未来の義父は名を呼ぶのに合わせ、清霞と美世を順に見てから、あらためて口を開く。

「二人を、僕と芙由ちゃんが住む別邸に招待しようと思ったからなんだ」

「!」

 驚いたのは、美世だけだった。清霞も葉月もおおよそ予想していたのか、落ち着いている。

 そして、清霞の返事もまた、ぴしゃりとひと言だけ。

「断る」

 これには美世も驚かない。

 先ほどからの彼の姿を見ていれば、こうなることは容易にわかる。

 正直、美世は別邸に行ってみたい。けれど、清霞が嫌がるなら無理やり自分の要望を通すつもりもなかった。

「と、言いたいところだが」

 落胆しかけたところへ、清霞が心底嫌そうに言葉を続ける。

「そうもいっていられなくなった。……不本意だが、その招待を受ける」

「おや、いいの?」

「仕事で、やむをえない事情ができた。別邸に滞在するのはついでだ」

「お仕事、なんですか? わたしも行ってもいいのでしょうか?」

 軍の仕事として行くのであれば、美世は邪魔になってしまうかもしれない。

 不安になってたずねると、清霞はわずかに微笑んだ。

「大丈夫だ。仕事自体も直接かかわらなければさほど危険はないし、別邸も守りは万全だ。お前が来ても問題ない」

「……それなら、よかったです」

 こうして、美世は清霞とともに、正清の案内で久堂家の別邸を訪れることになったのだった。



   ◇◇◇



 食事を終え、帰り際に清霞は正清に呼び止められた。

「清霞」

「なんだ」

 つい、ぶっきらぼうな返事になってしまう。

 清霞は父親に対して、複雑な思いが自分の中にあるのを自覚していた。

 直接何かされたとか、そういうことはない。ただ、まだ家族全員でこの屋敷に住んでいた頃、あの母を野放しにしていた父に並々ならぬ不信感がある。それだけだ。

 清霞がなかなか結婚相手を決めず、正清はずいぶん長い間やきもきしていたらしかった。とはいえ、父自身が、その原因のひとつを作った母を止めなかったのだ。

 だから正直、昔はいい気味だと思ったこともある。

(……今回もさっさと追い返すつもりだったんだが)

 清霞は、ちら、と横に立って目を瞬かせる美世を見下ろした。

「さっき、言い忘れていたんだけれど」

 正清に視線を戻し、無言で先を促す。

「実はね、最近、別邸の周りに不審者が出るんだよ」

「不審者? 別邸にも結界はあるだろう?」

「まあね。だから何かこちらに被害が出るとは思っていないよ。でも気になるじゃないか。ほら、もしかしたら君の仕事とも関係あるかもしれないし、一応伝えておこうと」

「……可能性はあるが」

 清霞が請け負うことになった対異特務小隊の任務を思い返す。

 任務の内容は、とある農村とその近隣で怪奇現象が起きるというもの。怪奇現象自体は大した規模ではないが、次代のみかどであるたかいひとの指名により清霞が対処することになった。

 その農村というのが、正清たちの住む別邸のすぐ近くだったのだ。

 おそらく偶然ではないだろう。清霞を指名してきた堯人には何か思惑があるはずだ。

「あと、できればなんとかしてもらえないかな、というのが僕の本音」

「時間があれば考えておく」

 面倒だ、とため息が漏れる。

 けれどたぶん、今までなら「自分でなんとかしろ」と切り捨てて終わりだったところを、そうしなかったのは隣の婚約者のせいだ。

 美世の目が、『ちゃんと向き合え』と訴えてくるから。

「帰るぞ」

「はい」

 清霞は美世に声をかけ、きびすを返した。

 たとえ溝があろうと、親にきちんと言葉が通じて、向き合う機会が与えられていること──それが幸運なことだと、美世と会って実感した。

 ゆえに、嫌悪感を抱いている母親とももう一度だけ、会って向き合ってみようと思うのだ。




▼新作『宵を待つ月の物語 一』はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16818093085173211186

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る