五章 真実を知るパーティー

 あの日、きよが無事に目覚め、が戻ってから、しばらく経った。

 蒸し暑い八月も終わり、今は九月。残暑がこたえる日もあるが、ときどき吹くひんやりとした風が秋を感じさせる。

 いよいよパーティーの日がやってきた。現在、どう家の美世の自室にて準備の真っ最中である。

「あら! 似合うわよ、美世ちゃん。とってもれいだわ」

 そう歓声を上げたのは、美世の師匠であり、近いうちに義姉あねにもなるづき

 やや深めの紅の地に、ちようが舞い、白や黄の大輪の花々が上品に咲き誇るふりそで。そして金糸がふんだんにあしらわれた帯で着付けられた今の美世は、絶妙に落ち着きと華やかさが合わさった化粧とで、普段の何倍も大人っぽく仕上がっている。

 この日のために新調した振袖一式を、わざわざ久堂家まで届けてくれた呉服店『すずしま屋』の女将おかみであるけいも、彼女と一緒に着付けてくれたゆりも、大変満足そうだ。

「奥さまは淡い色もお似合いですけれど、こうして濃い色をお召しになると、ぐっと大人の女性らしい美しさが出ますわね」

「ええ、ええ、本当に。お綺麗で、ため息が出てしまいますわねえ」

 きゃっきゃとはしゃぐ、世代もそれぞれ違う年上の女性たちを、なんとなく笑いながら見ていることしかできない。

 何しろ、自分で自分の格好のよしあしはよくわからない。着物に逆に着られていないか、美世はとにかくそれが心配だ。美世の地味顔では、ともすれば着物の華やかさにまれてしまうのが目に見えている。

「美世ちゃんが振袖を着られる期間も、あと少しだもの。この初々しさと大人っぽさがほどよく混ざり合った美しさは、今しか出せないのよねえ」

「さすが葉月さま。よくおわかりですわ! まったくその通り! 今だけと思うともったいない気がしてしまいますけれど、その名残惜しさとはかなさでまた美しさが引き立つのですわ」

 葉月の発言を受けて、目を輝かせ、熱弁を振るう桂子。彼女はだいたいいつもこんな感じなので、美世ももう驚かない。

 それよりも、振袖を着られるのはあと少しと言われると、婚姻がすぐそばまで迫っていることを意識して、わずかに赤面してしまう。

「でも、葉月さんもすごく綺麗です」

「あら、そう? ありがとう、美世ちゃん」

 今日はこれから、揃って直接パーティーへ向かう予定なので、葉月もすでに準備は万端だ。

 レースに飾られたほのかなだいだいのドレスは、一般的なドレスよりも少し細身。それがすらりとした葉月によく似合っていて、また明るい色の髪を高く結い、あらわになったうなじがなまめかしい。これぞ大人の女性の美しさと言わんばかりだ。同性の美世でもれてしまう。

 用意が出来たので、四人で居間へ移動する。すると、すでに軍の正装に身を包んだ清霞が待っていた。

 この一か月ほどで、彼もすっかり回復した。美世が思っていたよりもあっという間に元気になり、身体が鈍って仕方ないと、すぐに毎日鍛錬を行っていたくらいである。

 透き通るような色白の肌は今までと変わらず、しかし病み上がりの顔色の悪さはない。

だんさま、お待たせしました」

「ああ。……っ」

 何気なく返事をして振り向いた清霞は、美世の姿を見て息を吞み、しばし固まる。

「あら、我が愚弟は婚約者にくぎけねえ。どう? 清霞。美世ちゃん、すごく綺麗でしょう?」

「……そう、だな」

 おかしそうに笑う葉月の言葉に、清霞はぼうぜんとうなずいた。

「美世。綺麗だ」

「ありがとうございます」

 そんなふうに飾り気のない言葉で褒められると、照れてしまう。ちゃんと似合っているかまだ少し不安だったけれど、この格好をしてよかった。

「……もう迎えの自動車が来ている。行くぞ」

 清霞が片手を差し出す。美世は葉月に教えられた通り、その手に自分の手を乗せた。

 そこで、言い忘れていたことを思い出した。

「旦那さま」

「なんだ」

「旦那さまも、すごく格好いいです」

「…………」

 てっきり「そうか」とひと言返ってくるものと思いきや、なぜか清霞は顔を背けて空いているほうの手を額に当てている。

 たっぷり、家を出て自動車に乗り込むところまで黙ったままだったが、やっと口を開いたかと思えば、

「お前、突然そういうことを言うな……」

 と小声でつぶやいた。

「? ごめんなさい」

「いいのよ、美世ちゃん。照れているだけだから、放っておきなさい」

 美世がわけもわからず謝罪すると、後ろからついてきていた葉月が、ばっさり切り捨てる。これには清霞もむっとまゆをひそめた。

「姉さんは黙っていてくれ」

「なによ。本当のことでしょう」

「はいはい。姉弟きようだいげんは帰ってきてからにしてくださいな」

 ゆり江が割って入れば二人はたちまち閉口した。

 それがなんだかおかしく、笑ってしまう。美世は、自分の中に前のようにせんぼうしつが浮かんでいないことに気づいた。

(以前はあまりにも家族にあこがれていたから)

 遠慮なく言い合いができる清霞と葉月を見ると、胸のあたりがもやもやしていた。けれど、今はそれがない。

 ほっとした。今の美世には、はっきり言える。自分は、この人たちと家族になるのだと。

「はあ。……では、いってくる。ゆり江、早めに帰れよ」

「いってくるわね」

「いってきます」

「はい。いってらっしゃいませ」

 美世たちはゆり江と桂子に見送られ、久堂家の使用人が運転する自動車でパーティー会場のホールへ向かう。

「美世ちゃん、緊張している?」

「はい。……かなり」

 うす家から戻ったあと、美世は適度に休息をとりながら必死に勉強を続けた。しかも家で療養していた清霞に、無理をしないように見張られながらだ。

 少しでも根を詰めたとなればすぐさま休まされたので、無理のしようもなかった。

 けれどもおかげで、身体を壊すことなく勉強もはかどった。葉月にも、教えられることは全部教えたとお墨つきをもらっている。

 とはいえ、多少の自信はついても、緊張はどうにもならない。

「心配しなくとも、今日のパーティーはそう格式高いものではない。堅苦しい決まりごとなどあってないようなものだから、姉さんと一緒にいれば、お前が前に出る機会などほとんどないだろう」

「そ、そうですよね」

「そうそう。きっとあいさつ以外は話すことだって、あまりないはずよ」

 せっかく学んだ作法をすべて生かしたいという気持ちも、あることにはあるが、なにしろ初めてのパーティーなので、無難に終わらせることを第一に考えたほうがいい。

 それこそ、今日はおとなしく見学に徹するつもりでいてもいいかもしれない。

 会場は、帝都内の小さなホール。

 ダンスパーティーではないので、そこまで広い会場でなくともいいらしい。外国ではよくあるという立食形式で料理や酒が振る舞われ、招待客はそれを楽しみつつ歓談する、という形だという。

「とにかく、私が今まで教えたことができていれば難しいことは何もないわ。そんなに気負わないで」

「はい。がんばります」

 美世はこぶしを握り、気合いを入れる。

「……だから、それが気負っていると言っているんだが」

「まあ、なるようにしかならないわよ。ここまできたら」

 話しているうちに、会場に到着した。

 自動車から降り、建物を見上げ、絶句する。

(これが、小さい……ホール?)

 想像と全然違う。

 二階建ての立派な洋風の建造物は、とても大きく、ごうしやだった。

 真っ白な外壁に、観音開きの重たそうな扉。ところどころに金細工の装飾が施され、よく磨かれた大きなの窓は、光を反射して輝く。足元にはふかふかのじゆうたんが敷かれ、天井からは触れたら壊れてしまいそうなほど繊細な意匠のシャンデリアがり下がっている。

 何もかも美世には見慣れないものばかりで、話には聞いていても実際に目にすると気後れしてしまう。

「ほらほら、美世ちゃん。ここはもうパーティー会場よ。私が教えた通りにやってみてちょうだい」

 葉月に軽く背中をたたかれ、はっと我に返った。

 そうだ、ほうけている場合ではない。周りには他の招待客もいて、もう美世は見られているのだ。

(胸を張って、背筋を伸ばして)

 動作はゆっくりと。自信を持って。

 他者からの視線などものともせず、堂々と歩く清霞の半歩後ろを、焦らずすまし顔でついていく。

 ただ歩いているだけなのに、ちゃんとできているか不安になる。けれど、時折ある段差を上り下りするとき、清霞が励ますように優しく手を握ってくれると、ほっとした。

「いくぞ」

「はい」

 清霞の声にはっきりうなずき、美世は一歩、会場内に踏み込んだ。

(すごい……)

 そこには別世界が広がっていた。

 天井が高い。外からは二階建てに見えたけれど、中に入ると二階などなく二階分の空間が広がっていたのだとわかる。正面にはどんちようの開かれた舞台があり、それ以外の三方にぐるりとバルコニーが設置されている。

 そこかしこに、純白のテーブルクロスを掛けた、見たこともない豪華な料理や上質な酒の並ぶテーブルがあり、招待客たちは各々すでに食事を楽しんでいた。

 そして、会場に入った美世たちは、一気に視線を向けられる。

「美世。大丈夫だ」

 大丈夫。あれだけ頑張ったのだから。教えられたようにすればいい。

「じゃあ美世ちゃん。あなたたちがあいさつ回りをしている間、私も自分の挨拶をおおかた済ませてしまうから少し離れるけれど、しっかりやるのよ?」

 葉月と離れるのは心細いが、仕方ない。

 美世は強くうなずいた。

「は、はい。──お義姉ねえさん」

「!」

 美世が上目遣いにおそるおそる口にした呼び方に、葉月は頰を染めて微笑んだ。

「うれしいけれど、た、確かに突然だとくるわね……。ちょっと清霞、絶対に美世ちゃんをひとりにしないのよ? いい?」

「はあ。わかっている」

 まくし立ててから、ひとりでもさつそうと歩いていく葉月をしばし見送っていると、

「あ、隊長~」

「……どう

 先に来ていたらしい五道が手を振りながら近づいてくる。

 ゆるい雰囲気の五道と、彼に呼びかけられて苦々しい表情になる清霞は相変わらずだ。

 こんなときでも、口元が緩む。

「おぉ。美世さん、れいですね~」

「ありがとうございます」

「いえいえ、見たままの事実ですし。いいなあ、隊長。うらやましい」

「……まったく、お前は」

 五道はやはり清霞の言葉など気にもせず、「あ、そうだ」と手を叩いた。

おおかい少将にまだ挨拶してませんよね? あっちのほうで見かけましたよ」

「そうか。助かる」

「あ、あと、あいつ見ませんでした?」

「あいつ?」

 話を聞きながら、美世は首を傾げた。が、清霞はすぐに思い至ったようだ。

たついしか?」

「ああもう、その名前を出さないでください! あいつが聞いていたら、どうするんですか!?」

「……お前たち、本当に仲が悪いな」

 そういえば、二人が取っ組み合いをしていたのは記憶に新しい。

 美世が知る限り、やや軟派な印象の二人はどちらかというと、気が合いそうに思えたのだが。いわゆる同族嫌悪、というやつだろうか。

「あいつ、人をいらつかせる天才なんですよ。あんなやつが解術の専門家とか、噓に決まってます」

「そう言うな。これからは一緒に仕事をする機会も増える」

「勘弁してくださいよ~」

 情けない声を出す五道をその場に残し、美世と清霞は大海渡がいるという方向に歩いていく。

「大海渡少将閣下のことは、確かお前も知っているな」

「はい。以前、五道さんからお話だけ聞きました。だんさまの上司に当たる方なんですよね?」

「ああ。たいとくしようたいのお目付役のようなことをしている人だな。今回のこのパーティーの主催者でもある」

 このパーティーは軍人を多く輩出している名家、大海渡家が主催しているのだという。美世もつい最近、葉月に教えられて知ったばかりだ。

 そして大海渡家当主、大海渡まさしは、清霞と公私ともに関わりのある人らしい。だから何かあっても融通が利くのだとか。

「き、緊張します」

「まあ、あの人は見た目がいかめしいが。穏やかな人だから、心配はいらない」

「……うぅ」

 そんなことを言われても、なかなか緊張は解けそうにない。

 そうこうしているうちに、どこからか、子どもの声が聞こえてきた。

「清霞おじさん!」

 おじさん。

 清霞がそんなふうに呼ばれているのを初めて聞いたので、美世は驚いて声のしたほうを見る。

 小走りに近づいてきたのは、十歳くらいの少年だ。身なりがよく、黒いブレザーと半ズボンを子どもながらに着こなしている。そして、その大きなひとみをきらきらと輝かせながら、清霞を見上げていた。

(……あら? でも、誰かに似ているような……)

 誰だったか。

 すぐにはわからず、少しもやもやとしてしまう。

「ああ、あさひ。久しぶりだな」

 どうやら間違いなく清霞の知り合いであったようだ。彼には珍しくかすかな笑みをたたえ、かがんで旭と呼んだ少年の頭に手を置いた。

「お正月ぶりだね!」

「そうだったな」

「旭! パーティーでは走るなと言っただろう!」

 旭の背後から、まゆを釣り上げた軍服姿の大男が追いかけてきた。おそらく旭の父親だろう。顔はあまり似ていないけれど。

「──大海渡少将閣下」

「清霞。すまん、旭が何か迷惑をかけなかったか?」

「いえ、まだ少し話しただけですので。こちらこそ、あいさつが遅れ申し訳ありません」

「気にするな、まだ来たばかりだろう」

 美世は目の前の大柄な男性をしつけにならない程度に、清霞の後ろから眺めた。

 年齢は四十前後だろうか。とにかく背が高く、肩幅も広くてがっしりとした体格のため、かなり目立つ。顔立ちは美男というほどではないが、せいかんで男らしい。

 なるほど、怖いという女性がいるらしいのもうなずける。

「閣下。こちら、私の婚約者の、さいもり美世です」

「はじめまして」

 清霞の紹介を受け、美世はゆっくりと丁寧にお辞儀した。

 どうやら厳しい人ではなさそうだが、もし粗相をして清霞の上司に悪印象を持たれてしまったら悲しい。

 と思ったものの、どうやらそれはゆうだったようだ。

「頭を上げてくれ。私は、相手の顔が見えないのは嫌なのだ」

「は、はい」

「はじめまして。私は大海渡征。これは私の息子の旭だ。──旭、挨拶を」

「こんにちは。大海渡旭です」

 子どもらしい、少し高い声で自己紹介をする旭は、先ほどとは打って変わって落ち着いていても可愛らしく、つい和んでしまう。

「斎森美世です。……よ、よろしくね」

 あまり子どもと交流したことのない美世は、ややぎこちなく微笑んだ。

 子ども相手にはさほどかしこまらなくていい、と葉月には教えられていたけれど、いざとなると加減がわからない。

「ふむ。ずいぶん美しい女性ではないか。よかったな、清霞」

「……何がですか」

 からかうような大海渡の言葉に、清霞はむすっと返す。

 このやりとりをそばで聞くだけでも、二人がかなり親しいことが鈍い美世にもわかった。

 とはいえ、二人とも口が上手うまいほうではないようで、会話は驚くほど細切れだ。

「清霞。その後、体調はどうだ?」

「おかげさまで、もうすっかりいいですよ」

「直接見舞いに行けず、すまなかった」

「いえ。見舞いの品はいただきましたので、十分です。ありがとうございました」

 そう、清霞の療養中、思いのほか大量の見舞いの品が家に届いた。差出人はばらばらで、軍の関係であったり、家の関係であったり、清霞の個人的な付き合いであったりといろいろ。

 しかしとにかく数が多く、処理には困ってしまった。

 確か、大海渡からの見舞いの品は、洒落しやれた柄の手ぬぐいだった。水菓子などの食べ物のたぐいより、よほど実用的だ。

 ありがたい気遣いに、さすが立場のある人だと感じたのを覚えている。

「そうか。……君も復帰してから忙しかっただろうが、私も、いつにもまして忙しくてな。このパーティーの開催も一時は危ぶまれた」

「……それは初耳です」

「なかなか、おおっぴらにはできんことも多かった。私から君に事情を話してしまってもいいが、それは怒られそうだな。まあ、あとで聞くといい」

 やれやれ、と大海渡は肩を落とした。

 美世には何が何やら、という会話の内容で、清霞もそれは同様らしい。思わず、二人で顔を見合わせてしまう。

 そこでふと、旭が声を上げた。

「あ、母さまだ!」

「おい、待て」

 再び駆け出そうとした息子の首根っこを大海渡がつかむ。強制的に足を止められた旭は唇をとがらせ、不満げだ。

「父さま、あっちに母さまが」

「わかったから、走るな。小走りもだめだぞ」

「……むぅ」

 大海渡は旭の首根っこを掴んだまま、「やんちゃで困る」とため息を吐いた。

「まったく、誰に似たのやら」

「そんなもの」

 清霞がふっと目を細める。

「決まっていますよ。旭の母親の──」

「あら、何の話?」

 唐突に、美世もよく知る声が会話に割って入った。

 振り返ると、にこにこと美しい笑みを浮かべた葉月が立っている。

「母さま!」

(え?)

 大海渡の手から逃れた旭は、うれしそうに迷わず葉月に抱きつき、葉月も抱きしめ返している。

「旭、いい子にしていた?」

「うん。僕、勉強もけいもちゃんとやっているよ」

「そう。偉いわね」

 葉月が母で、旭が息子で。ということはつまり──。

 そういえば、最初に旭が誰かに似ていると思ったけれど、二人が並ぶといちもくりようぜん。これは、まさしく。

(そうか。葉月さんの元の旦那さまが、大海渡さまなんだ)

 そして、生まれた子が旭。葉月から聞いていた話とも一致する。

 しかし葉月が母親というのは正直、あまり信じられなかったが、こうして実際に目にすると不思議とすんなり納得できた。

「……旦那さま」

 美世は大海渡たちに悟られないように、少しだけ清霞のそでを引いて、小声で話しかけた。

「なんだ?」

「葉月さんと旭くん、とても似ていますね」

「ああ。……旭がやんちゃなのも、間違いなく姉さんに似たからだな」

 確かに、葉月が子どもだったらやんちゃそうな気がする。今でも時折、無邪気で元気すぎるような人なので。

「その、なんだ。葉月、息災だったか」

 大海渡がどこか所在なげに問うと、葉月は目をまばたかせてから、にっこりと笑った。

「ええ、もちろんよ。でもあなたこそ、ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと寝ているの? 忙しくするのはいいけれど、身体を壊したら元も子もないのよ」

「心配してくれるのか?」

「当たり前でしょう。私、そんなに薄情な女に見える?」

「いや、そういうことではなく」

「母さま、父さまのことなら僕がしっかり見ているよ」

「あら、ありがとう。旭は頼りになるわね」

 ぽんぽんと軽快に交わされる親子三人のやりとりは、ごく自然な家族のものだ。何の問題もない、幸せそうな家族。とても、大海渡と葉月が離縁した元夫婦だとはわからない。

 葉月が自身の過去について言及した際、そういえば元夫のことが憎いだとか恨めしいとは口にしなかった。むしろ、よほど相手のことが大事だったからこそのあの後悔だったのだろうと、今ならわかる。

「美世、どうした?」

 黙り込んだ美世を案じてくれる清霞の優しさが、不意打ちでじんわりと染み渡った。

 理由もなくにじみそうになった涙をこらえるのに必死だ。

「なんでも、ありません」

「そうか?」

「ただ、皆、幸せでよかったと……」

 葉月たちの表情を見たら、よくわかる。

 あの三人は、普通の家族とはやはり少し違っているのかもしれない。でも、それが三人にとって最高の家族の形なのだろう。

 夫婦の結婚が上手くいかなくても、家族とのきずなはそんなことでだめになったりしなかった。それはきっと、きちんと互いが思いあっているから。

『よほどでなければ、家族の絆は壊れたりせん』

 ああ、本当に。

 家族とは、そんなにやわなものではなかった。こうしてその証明を目の当たりにして、どうしようもなく胸が熱くなった。


 パーティーは大いに盛り上がり、酒が入ったこともあって招待客たちは皆、陽気に談笑をしている。

 途中、舞台で余興なども披露され、宴もたけなわとなってきた。

 清霞や葉月にくっついてほとんど話の聞き役に徹していた美世も、ずいぶん場の雰囲気に慣れて、だんだんと楽しめている。

「どう? パーティーも悪くないものでしょう?」

「はい。慣れたら楽しいと思います」

 葉月と並んで水の入ったグラスを傾けつつ、美世はふわふわとした心地でうなずく。

 しかしそうはいっても、まだまだ葉月のようにひとりで堂々と会場をかつできる自信はない。

 雰囲気を理解すると同時に、山積する課題に気づくいい機会だった。

 それに、知らない男性に予想していたよりもよく話しかけられて、困ることも多かった。

「あら、清霞がこっちへ来るわ」

「本当ですね……」

 しばらく男性同士の会話に混ざっていたらしい清霞が、こちらへ近づいてくるのが見えた。

 小さく手を振ると、清霞はふい、と目をそらしてしまったが、照れているだけだと思えば腹も立たず、ちょっと面白い。

「美世。どうだ、パーティーは」

「それ、今ちょうど私が美世ちゃんにいたことと同じよ」

 あきれ顔の葉月。本日何度目か、微妙な空気を漂わせ始めた二人に、美世は笑う。

「心配してくださって、ありがとうございます。──ちょっとずつ楽しめているので、平気です」

「そうか、よかった。……姉さん、少し美世を借りてもいいか?」

「いいわよ。いってらっしゃい」

 美世は再び清霞に連れられて、会場内を移動することになった。

「どこへ行くんですか?」

「いろいろと、詳しいことを知っている方に会いに行く」

 いろいろ、の内容が、今回の薄刃家やオクツキにかかわる一連の出来事についてだと、すぐにわかった。

 でも、それらすべてに通じている人物とは、いったい誰だろう。大海渡であれば、あいさつをしたときにひと言あってもよかった気がする。

 もしや、大海渡が言っていた、彼が忙しくしていた理由についてだろうか。

 考えながら、どこへ向かうのかと思えば、いったんホールを出て建物の裏のほうへと進んでいく。

 しばらく歩くと大きな窓に突き当たり、その外がテラスになっていた。

(ここは……)

 すでに日は落ちているが、ガス灯に照らされたテラスは、ほのかに明るい。

 そこに設置された長椅子に、人影があった。腰かけているのがひとり、そばに控えているのがひとり。ここからでは後ろ姿しか見えない。

たかいひとさま」

 清霞が呼ぶ名は、例によって美世に心当たりはない。どこかで聞いた名のような気はしても、残念ながら美世はたいそうな世間知らずだった。

 けれど、ゆったりとした場はかすかに緊張感をはらんでおり、ただごとではないことだけは確かだ。

「よく来た。まあ、近う寄れ」

「はい」

 長椅子に座り込んだ人影が手招きする。

 徐々に暗がりに目が慣れ、近づくと長椅子に座っている人物の顔がはっきり視認できた。

 ひどく、現実味のない美しい容姿。体格は大きくも小さくもなく、少年にも少女にも、男性にも女性にも見え、圧倒的な存在感に目を奪われる。かろうじて、まとっている簡素ながらも上等な着物で男性なのだとわかった。

 この世のものではないかもしれない。そんなふうにを抱かせるその方は、微笑みながら酒杯を傾けていた。

「そちらは、斎森家の娘であろう?」

「ええ。私の婚約者の、斎森美世です」

「は、はじめまして」

 今日すでに、何度も繰り返した初対面の挨拶だというのに、舌が上手うまく動かない。無意識のうちに、すっかり緊張感にまれていた。

 清霞がそばにいてくれるので、なんとか息ができている状態だ。

 その清霞がそっと、美世の耳元でささやいた。

「この方はみかどの二番目のご子息──天啓の能力を持つ、堯人さまだ」

「陛下の……!?」

 なんということだ。どうりで名前を聞いたことがあるはずである。

 この国の人間であれば、雑誌や新聞でその名はよく見かけているに違いないのだから。

 美世の顔色が、目に見えて真っ青になっていたのだろう。

 堯人は「よい、よい」と言って、うっすら笑みを浮かべた。

「そうかしこまる必要はない。見ての通り、今の我は帝の息子ではなく、清霞の幼なじみのただの堯人ゆえな」

「で、ですが……」

「美世。大丈夫だ」

「は、はあ」

 そうは言っても、やはり不慣れな自分では、知らず知らず無礼なことをしでかさないかと不安しかない。

 極力黙っていようと、美世はひそかに心に決めた。

 そこでやっと、堯人の背後に立ったまま控えている人物の顔を見る余裕ができた。

(大海渡さまだったのね)

 今日知り合ったばかりの大柄な軍人と、目線だけで会釈する。

 この時間だし、旭は先に帰したのだろう。大海渡は軍人なので、堯人の護衛をしているのだと予想がついた。

 それにしても、手薄すぎる警備だが。とはいえ、お忍びならば仕方ないかもしれない。

「二人とも、こちらにきて座れ」

 堯人に勧められるまま、清霞は彼の隣に、美世は近くのひとりがけの椅子に腰かけた。

 恐れ多いけれども、勧められて断るのも悪い。とにかく心臓に悪い展開だ。

「清霞、一杯どうだ」

「いただきます」

 清霞は恭しく杯を受け取り、そそがれた酒を口に含んだ。

「斎森の娘、おぬしはどうする?」

「あ、え、あの、わたしは──」

 葉月に酒は飲むなと注意を受けている。しかし断りにくい。

 困惑して言葉を詰まらせると、すかさず清霞が助け舟を出してくれた。

「堯人さま。彼女は酒に慣れていないので、別のもので」

「そうか。では、何か甘い飲み物でも用意させよう」

 なんとか危機を脱し、ほっと息をつく。

 飲み物はすぐに運ばれてきた。

 グラスに、ややとろみのあるはくいろの液体が入っている。一口飲んでみると、どうやら何か、甘みと苦みのある濃厚な果汁を水で薄め、はちみつを加えたものらしい。甘くて、疲れてきていた身体に染みる。

「さて、どこから話したものか……」

「堯人さまは、すべてご存じなのですか」

「一応、ほとんどはな。個々人の胸の内まではわからぬから、すべてとは言わぬが」

 そう口にした堯人は、ちらりと美世に目を向けた。

「……おぬしには、迷惑をかけた。薄刃家、斎森家──皆、我が父によって進むべき道を乱された」

 あまり、ぴんとこない。

 堯人の父は帝だ。帝と取引をしたという薄刃家はともかく、斎森家までも乱されたとはどういう意味だろう。そして、美世に迷惑をかけたとは、いったい。

 清霞もわずかにしゆんじゆんしているようだった。

「つまり、こう言っては不敬にあたりますが、すべての黒幕は……帝、であったと?」

「そういうことになる。本当に、情けない」

 黒幕が帝とは、なんとも途方もない話だ。規模が大きすぎて、にわかには想像もつかず、信じがたい。

 堯人は手の中で酒杯をもてあそびながら、どこか遠くを見ているようだった。

「父は、夢見の異能をことさら怖れておったのだよ。それこそ、皇太子時代からずっとな」

 夢見の異能は、使い手の才能や熟練度次第で天啓をもしのぐ。

 薄刃家で美世も清霞も聞いた話だ。

 天啓が夢見に劣るとなれば、自らも一族も今の地位を追われるのではないか。その危機感が帝の中に昔からあった。

「とはいえ、夢見の異能者が生まれさえしなければ、脅威ではない。父も薄刃を怖れはしても、実際に何か行動しようとは思わなかったかもしれぬ。だが、薄刃家に薄刃が生まれた」

 澄美が精神感応に目覚めたことで、その子どもが夢見の力を持って生まれるのではないかと、薄刃家では大いに期待した。

 しかし逆に、帝の中では、本当に夢見の異能者が生まれてしまったら……と、これまでただの不安にすぎなかったことが、まるで実体を得て襲いかかってくるように、急に現実味を帯びたことだろう。

 美世は、まさか、と思った。

 まさか、そんなにも昔から、すでに今回の件につながっていたというのか。

「おそらく父はそれまで以上に、薄刃の力をいでしまおうと画策したのであろうな」

 ようは、たとえ夢見の異能者が生まれても、完全に薄刃家が廃れていればたいした脅威にはならない。それまでも十分、薄刃家の力は抑えられてはいたが、それでは足りないと思ったのだ。

 はっと、清霞が軽く目をみはった。

「もしや、一時期、つる貿易が傾いたのは──」

「どうも、父の仕業のようだの。裏から手を回し、鶴木貿易が上手くいかなくなるように仕向けたらしい。徹底的にな」

「そして思惑通りに、薄刃家は食うや食わずの生活になるまでに落ちぶれた、ということですか」

「そうらしい」

 帝が期待したとおりに、滅亡寸前まで追い詰められた薄刃家。けれども、帝はそれだけでは満足しなかった。

「さらに父は、薄刃澄美が薄刃の一族の者と結婚し、薄刃の血の濃い子どもが生まれることを怖れた」

「血が濃ければ濃いほど、夢見の力を持つ子どもが生まれやすい、と?」

「少なくとも、父はそう考えておった。ゆえに、なんとしても一族内での結婚は阻止せねばならぬと」

 ただ、さすがに薄刃の血を異能と何の関係もない家に流出させるほど、帝も愚かではない。そこで浮上したのが、異能者がほとんど生まれなくなり、落ち目になる未来が見えていた、斎森家。

「そこで、斎森家に夢見の力のことを明かし、多額の金を渡して、薄刃澄美を手に入れるよう唆した。彼女さえ引き離してしまえば、もう薄刃が消えようが立ち直ろうがどうでもよかったのであろう。あるいは、最初からすべて計算尽くだったのかは分からぬが。……我が父ながら、その執念には感服するほかない」

「薄刃よしろう氏は、斎森家の資金のどころがわからないと言っていました。それはつまり、陛下だったから──」

 斎森家にしてみれば得しかない。

 金も貴重な血も手に入り、しかも持ちかけてきたのは帝とくれば、乗らない手はないと誰でも思う。

「それからは、おぬしらも知っての通りよ」

 薄刃澄美は斎森しんいちと結婚し、美世が生まれた。そして、美世の夢見の異能はいんぺいされ、澄美以外の誰もが、彼女が無能であると思い込んだ。……帝すら。

 堯人は言葉を切り、手酌で注いだ冷酒をあおった。

「だいたい、わかりました。美世が斎森家を出され、封印が解け、陛下も美世の持つ異能に気づいたのでしょう。オクツキの件、狙いは私ですか」

 ため息を吐くように言うと、清霞も杯に残った酒を一気に流し込む。

 そうさな、と堯人は三日月型に薄い唇をり上げた。

「おぬしらの婚約が成立し、父の標的に清霞、おぬしも加わった。久堂家に夢見の力が結びつけば、父にとってこれ以上ない脅威となるからの。オクツキの解放は、物理的におぬしらの距離を離し、罪を対異特務小隊に押しつけ失脚させ──あわよくば、おぬしの死までも狙ってのこと」

「……実際に、危うかったですが。薄刃あらたに協力させたのは、どういうことです?」

「おぬしらを引き離すため、一時的に利用したにすぎない。薄刃と久堂を上手く対立させ、共倒れになればいいとでももくんでおったのであろうよ」

 少しだけ、違和感があった。

 どうも堯人の話を聞いていると、みかどはひどく焦っているという印象を受けるのだ。意図的に一石二鳥、三鳥を狙っているように感じられる。

 その違和感については、皆が抱いていたものらしい。

「そう。父は、焦っておった。──これは、ここだけの話にとどめてほしいのだが」

「……?」

「父は、今上帝は、すでに天啓を失っておる」

 場は、きようがくに包まれた。

 天啓を持つことは、帝であるためにひつの資格のようなもの。それをすでにくしているとなれば、単なる醜聞では済まない。

 とてもではないけれど、外では口にできない内容だ。

「病も重く、もはや起き上がることすら難しい。ただ床の中で命を永らえているだけよ」

 天啓を失い、身体も衰え。

 当然、焦るはずである。地位と命と、どちらも失う瀬戸際なのだから。

「譲位は認められておらぬゆえ、これからも父が帝位を降りることはないが。天啓については我が代役を務めるしかあるまいよ」

 美世は、ふと己の従兄いとこの言葉を思い出していた。

 あのとき確かに、新は、対異特務小隊が多忙になることを帝が天啓で予知しており、それを教えられたと言った。なるほど、実際は天啓が失われていたとしても、黒幕が帝自身であるなら不思議はない。すべてのつじつまが合う。

 同時に、新は何も真実は教えられていなかったことも、はっきりした。

「……あの」

 急に声を上げた美世に、堯人と清霞の二対の目が向けられる。

「堯人、さま」

「ふむ。何用かの?」

 すっかりぬるくなったグラスを置く。

 美世には、難しい話はよくわからない。ここまでの内容も、おそらくあまり理解できていない部分があるだろう。けれど、これだけは言っておかなければならない。

「……薄刃家や、わたしの従兄に何か罰はあるのでしょうか」

「罰か」

「はい。特に、従兄は陛下と取引をし、その指示に従って行動しました。ですが、最後には指示に背き、わたしに協力してくれたんです。……陛下の命令に背くのは、はんぎやく、なのですよね……?」

 帝はこれからも、崩御されるまで帝であり続ける。それはまた、権力も持ち続けるということ。その命令に従わなかった事実は、ずっと残ってしまう。

 堯人は「確かにの」とうなずいた。

「薄刃は、悪くないんです。わたしが、わたしが勝手なことばかり言って、無理やり動こうとしたから……だから……」

「わかっておるよ」

 ぼうの皇子はその整った顔で、くすり、と笑う。

「心配せずとも、おぬしも薄刃も罪には問わぬ。第一、薄刃はどう考えても被害者よ。父の身勝手な行いのな。ましてや被害者を罰し、その貴重な血を損なうなど愚の骨頂。そんな馬鹿げた話はあるまい?」

「で、ですが、陛下がお許しにならなかったら」

「案ずるな。もうすぐ、我が正式に皇太子となる。これからは帝の役目も、すべて我が負うことになろう。父はすでに療養の名目で外界との連絡を絶っておるから、何もできはせぬ」

 罰はない。

 堯人が言い切ってくれたので、美世はほっと胸をで下ろした。

 しかしそこへ、清霞が口を挟んだ。

「薄刃家を罪に問わないのは当然のことと思いますが、陛下のことは……事実上の幽閉でしょう。不満を抱く者も出てくるのでは?」

「ふむ。事情を知る者の中には、そういう者もおったな」

「ならば」

「──清霞。我はこれでも、今回の件にははらわたが煮えくり返っておるのだよ」

 その瞬間、堯人から発されたてつく冷気に、美世も清霞も──大海渡すら息をんだ。

「父の独りよがりな行動で、の民が意味もなく犠牲になった。民あってこその国だというのに、それを忘れ、私利私欲のためにないがしろにしたのだ。そのような者に、帝位に就き続ける資格があるわけがなかろう」

 はっきりと断じた堯人のひとみの奥に、激しい憤りを見た。

 けれども、堯人はまばたきのうちにその炎を隠し、元通りの薄い笑みを浮かべて立ち上がる。

「すまぬ。どうやら熱くなりすぎたようだの。そろそろ帰るとしよう」

「お送りします」

「ふむ。主催者が会場を離れてよいのか?」

「また戻りますので、ご心配には及びません」

「では、頼もうか」

 大海渡が堯人の背後にぴたりとついていく。

 数歩進んだところで、美しき貴人は何も言えずにいる美世と清霞を振り返った。

よいは話せてうれしかった。また、会おう」

「はい。必ず」

 清霞の隣で、美世は黙って頭を下げた。




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