わたしの幸せな結婚 二

序章

 じりじりと、肌を焼く強い日差しが照りつけている。

 モダンな大きい建物に囲まれた帝都はそれだけで暑いのに、舗装された道に揺らめくかげろうを見ると、あまりの熱気でさらにうんざりしてしまう。

 汗で肌にはりつくシャツの感触を不快に思いながら、あらたは前方へ視線を向けた。

(白い日傘……もしかして、あれか)

 夏らしい涼しげな白と青の地に、撫子なでしこの花模様がれんな着物に身を包み、日傘をさして立つ若い女性。やたらと青ざめた顔をして今にも倒れてしまいそうな彼女が、新の目的の人物に間違いなかった。

 目的といっても、今のところは別に何か用があるわけではなく、ただ話に聞く彼女──さいもりを少し見ておきたかっただけだ。

 とはいえ、どんな人物だったとしても新たちの予定は変わらないのだから、この行動に大した意義はない。本当に、単なる興味からの行動でしかなかった。

(あれだけ待ち望んだんだ。俺は役目さえあれば、それでいい)

 重要なのはあの異能を持つ人間それ自体。そして、己と一族の役目、悲願。

 斎森美世という個人がどうということはなく、できれば面倒な性格でなければいい、というくらいであって、その確認をしているだけ。

 まあ、それにしても。

(普通、というか、地味というか。陰気そうな女だな)

 一歩間違えば、幽鬼にもみえるかもしれない。どう家の当主と婚約し、外見と内面ともに変化の兆しあり、という話だったのに。

 ゆううつに嘆息したとき、こちらに向かって歩いてきていた彼女が、急にふらりと体勢を崩した。

 ──倒れる。

 どうでもいい、と冷めた心情とは裏腹に、新はなんとなく腕を伸ばしていた。

「おっと」

 偶然を装う自分の声が、やけに白々しく響く。

 見た目にたがわず、倒れこんできた彼女の身体はとても細くて、軽い。これでは、この炎天下に立っているだけでも体力がもたなくて当然だ。

「も、申し訳ありません!」

 見ていてあわれになるほど恐縮し、頭を下げる彼女。その姿に新が感じたのは、かすかな同情と、自分はこの女性を守っていくのか、という妙な納得感だった。

 なるほど、これほどまでに弱々しいなら、きっと守りがいもあるだろう。

 ──性格はやはり湿っぽく、うつとうしそうではあるが。

「ああ、顔を上げてください」

 ともあれ、すべてはもう動き出している。

 彼女を巻き込み、奪い、そうしてやっと自分に価値をいだすのだ。


 新は邪気のない笑みを顔に貼りつけ、彼女と正面から向き合った。



   ◇◇◇



 広い座敷は、しんと静まりかえっていた。

 ごうしやな装飾を施された室内には物が極端に少なく、中央に布団が敷かれているだけ。そしてそこには、ひとりの老いた男が寝込んでいる。

「忌まわしい。ほんに目障りなことよ」

 やつれ、落ちくぼんだ目をぎょろりと動かし、男は憎々しげに独りごちる。しかし男の身体は枯れ木のようにやせ細り、ただ吐息のような音が力なく流れるだけだ。

 この帝国において最も貴いと祭り上げられ、ついこの間まで男の周囲には人があふれていた。それが今、これほどまでに孤独であるのは皮肉以外になんと言えるだろう。

「陛下、よろしいでしょうか」

 ふいに、部屋の外から声がかかった。男が「よい」とだけ答えると、ふすまが開き、ひとりの品の良い青年が静かに入室する。

 男は再びぎょろりと眼球を動かし、青年のほうをった。

 三つ揃いのスーツを自然に着こなすこの栗色の髪の青年は、男にとって、やや扱いづらいが今回の件に必要な駒である。

「何用か」

「そろそろ、例の許可を賜りたく存じます」

 そうだった。この駒にはしばらく「待て」をさせたのだった。

 男は近頃よく薄れがちな記憶を掘り起こし、やっと彼がここへ来た理由を探り当てる。

「そうか」

 枕辺でこうとうする青年に、端的に返す。

 もうすぐ準備が整う。あと少し、あと少しで男が怖れるすべてを抹消してしまえる。

「どうか、許可を。これ以上はもう、待てません。あるべきものをあるべき場所へ。我々に悲願成就の機会をお与えください」

「──口が過ぎるな。言葉を慎め」

「……失礼いたしました」

 力ない一喝だったが、わずかにいきり立った青年を黙らせるには十分だった。

 身体は衰えようとも、男の生まれついての威光は依然として健在だ。

「近く、状況は動く。そなたの行動も許可しよう」

 言いながら、男は焦燥と屈辱にみする。

 なぜ、自分がたかが若造や小娘ごときを、ここまで気にかける必要がある。本来、取るに足らない存在に一喜一憂させられなければならないのは、不本意極まりなかった。

 忌まわしい。いとわしい。憎らしい。

 けれど、ここであきらめれば、すべては水泡に帰す。

 自分の血が、これから先も受け継がれていくために。何者にも脅かされないために。自分のつないだものを、残していくために。──脅威は、排除する。

「時機を見誤らぬことだ」

「……かしこまりました。では予定通り、行動を開始させていただきます」

 青年は再度一礼し、微かな足音とともに退室した。

 広い座敷はまた、静寂に包まれる。

 男は未来に思いをせた。目を閉じても、もう何もえない。

 ただ、今までに一度だって、神が男に彼の子孫の行く末を視せてくれたことはない。だからこそ、思い描く未来をつかむために自ら動くのだ。

「お呼びでしょうか、陛下」

 枕元に置かれたベルを鳴らすと、侍従が顔を出した。

「……『オクツキ』の霊どもを、里へ誘導させよ。人の生死は問わぬ」

「かしこまりました」

 侍従は感情をまったく見せず、粛々と男の命を受け入れる。

「必ずや、あの異能はつぶすのだ……」

 自分の息子が治めていくこの国に、あれは不必要なものなのだから。

 ゆっくりまぶたを下ろした男の意識は、深く深く落ちていった。




▼新作『宵を待つ月の物語 一』はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16818093085173211186

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