影の真実

シュン

謎の失踪

深夜の街は静まり返り、冷たい風がビルの隙間を通り抜けるたびに、暗闇が不気味に揺れ動いていた。東京の繁華街に位置する人気のない路地裏で、一人の男性が足早に歩いていた。彼の名前は佐藤健一。普通のサラリーマンとして平凡な日々を過ごしていたが、この日、彼の人生は一変することになる。


時計の針は夜中の2時を回り、疲れた顔でアパートに戻る途中だった。仕事帰りの彼にとって、この時間はいつものことだった。だが、この夜は何かが違った。背後に感じる微かな足音、かすかな視線――佐藤は不安を感じ、振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。ただ、暗闇だけが彼を見つめ返す。


「気のせいか……」


そう呟き、再び歩き出す。しかし、違和感は消えなかった。まるで、何者かに追われているような感覚が佐藤の心に広がっていく。自分の部屋に辿り着くまでの数分が、永遠のように感じられた。


アパートのドアを開けた瞬間、彼は凍りついた。部屋の中は荒らされ、家具は倒れ、床には割れたグラスや散乱した書類が広がっていた。佐藤はすぐに警察に連絡しようとポケットからスマートフォンを取り出す。しかし、その瞬間、背後から突然何者かに襲われ、視界が暗転した。


数時間後、佐藤は冷たいコンクリートの床の上で目を覚ました。周囲を見渡すが、見覚えのない薄暗い倉庫のような場所だった。手足はロープで縛られ、身動きが取れない状態にあった。頭痛と共に、意識を取り戻した彼は、何が起こったのかを必死に思い出そうとするが、記憶は曖昧だった。


「ここは……どこなんだ?」


その時、倉庫の奥から足音が聞こえてきた。ゆっくりと近づいてくるそれは、重く響き、明らかに1人ではない。数人の人間がいるようだった。佐藤の心臓は鼓動を早め、恐怖が全身を駆け巡った。


「おい、目を覚ましたか?」


声の主は、顔の見えない男だった。暗がりの中から現れたその男は、無表情で冷酷な目をしていた。彼の背後には、もう2人の男が控えている。


「お前、佐藤健一だな?」


「……ああ、そうだが、一体何のつもりだ?」


佐藤は震える声で返すが、男たちは無言のまま佐藤を見下ろしている。


「お前、誰かに追われてるって自覚してたか?」


「追われてる?俺はただのサラリーマンだ。何のことだ?」


「本当にただのサラリーマンか?」


男は冷ややかに問いかけ、佐藤の顔を覗き込む。その視線は氷のように冷たく、佐藤は何も言えなくなった。


男は薄笑いを浮かべながら、ポケットから一枚の写真を取り出した。それを佐藤の目の前に突きつける。


「これを見ろ。お前、こいつのことを知ってるだろ?」


写真には、見覚えのある女性が写っていた。彼女の名前は中村絵里。佐藤の高校時代の友人だったが、数年前に突然連絡が途絶えたまま行方不明になっていた。


「絵里……どうして彼女が……」


佐藤は困惑し、言葉を詰まらせた。彼女の失踪が自分に関係しているとは思ってもいなかった。


「お前、ずっと彼女のことを無視してきたな。だが、彼女はお前を探していたんだ。お前が知っていることを教えてほしかったんだよ」


「知っていること?俺は何も……」


佐藤は頭を抱えた。彼には絵里の失踪について何も心当たりがなかった。高校を卒業してからというもの、特に接触があったわけでもなく、彼女がどこで何をしていたのかすら知らなかった。


「嘘をつくな」


男は一歩前に踏み出し、佐藤の顔に近づけて冷たく言った。佐藤は恐怖に震えながらも、必死に言い訳を考えようとした。


「本当だ!俺は何も知らない。絵里とは、ただの友達だっただけだ。彼女のことは、ずっと気にかけていたが、連絡が取れなくなって……」


「それが本当なら、なぜお前がこの件に巻き込まれているんだ?」


男の目は疑念に満ちていたが、佐藤は本当に何も知らなかった。その事実だけが彼の中で確かなものだった。


「待てよ……。もしかして……」


佐藤は突然、あることを思い出した。それは、高校時代に絵里が語っていた奇妙な出来事だった。彼女はある日、自分の家に忍び込んだ何者かが、部屋の中を物色しているのを見たと言っていた。そして、それ以降、彼女の周りで不審な出来事が続き、常に誰かに監視されているような感覚を抱いていたという。佐藤はその話を冗談だと思い、深く追及することもなかった。


「そうだ……絵里が、高校の時に誰かに監視されているって言ってた。それが関係しているのか?」


「ほう、やっと思い出したか」


男は満足げに頷くと、再びポケットからもう一枚の写真を取り出した。そこには、暗い路地裏で誰かと話している絵里の姿が写っていた。だが、その相手の顔は黒く塗りつぶされていた。


「この写真は、彼女が消える直前に撮られたものだ。お前は、この黒く塗られた男を知っているか?」


佐藤は目を細めて写真を見つめたが、その黒い影の男が誰なのか、全く心当たりがなかった。


「分からない……一体これは何なんだ?」


「お前が知らないことは理解できた。だが、絵里の失踪には深い闇がある。それに関わる何者かが、今もお前を見ている」


佐藤は男の言葉に動揺を隠せなかった。絵里の失踪に自分が巻き込まれていること、そして彼女が何か重大な秘密を抱えていたことに、恐怖と不安が入り混じった感情が湧き上がった。


「誰が俺を見ているんだ?一体、どうして俺がこんな目に……」


男は答えず、佐藤を無視して別の男たちに指示を出した。すると、2人の男たちが佐藤の体を抱え上げ、無理やり立たせた。佐藤は抵抗しようとしたが、手足はしっかりと縛られており、自由が利かない。


「待て、どこへ連れて行くんだ!?」


佐藤は声を張り上げたが、男たちは無言のまま彼を倉庫の奥へと引きずっていった。薄暗い廊下を通り抜け、鉄製のドアを開けると、そこには古びた階段があった。男たちはその階段を佐藤と共に降り始めた。


「おい、答えろ!俺をどこへ連れて行くんだ!?」


佐藤の叫び声が、廃墟のような建物の中で虚しく響いた。やがて、階段を降り切った先に、さらに大きなドアが現れた。男の一人がそのドアを開けると、冷たい地下室のような部屋が広がっていた。


部屋の中央には、奇妙な装置が置かれており、そこには無数のケーブルが繋がっていた。佐藤はその異様な光景に恐怖を感じた。


「ここは……一体何なんだ?」


その瞬間、後ろから現れた男が佐藤に向かって冷たく言った。


「ここは、お前の記憶を探る場所だよ」


「記憶を探る……だと?」


佐藤は何を言われているのか理解できなかった。だが、男たちは強引に彼をその装置の前に座らせ、ケーブルを彼の頭に取り付け始めた。佐藤は抵抗しようとしたが、完全に動きを封じられ、何もできなかった。


「これでお前が何を知っているのか、全て分かる。お前が覚えていないこともな」


男は冷たく笑いながら、装置のスイッチを入れた。すると、佐藤の頭に強烈な痛みが走り、彼の視界が一瞬にして真っ白になった。


佐藤は気が遠くなるような感覚に襲われながら、過去の記憶が断片的に蘇ってくるのを感じた。高校時代の思い出、絵里との会話、そして彼女が語っていた不安な出来事――全てが鮮明に浮かび上がってきた。しかし、そこには彼が知らなかった新たな記憶も含まれていた。


彼は忘れていた。いや、無意識に封じ込めていたのだ。絵里が自分に託した言葉を、そして彼女が失踪する前夜に彼に打ち明けた重大な事実を。


「健一、もし私が消えたら……君が頼りなんだ」


それは絵里が最後に佐藤に告げた言葉だった。彼女は何かに追われていた。そして、佐藤にその真実を託そうとしていたのだ。


「なんで……俺はこんな大事なことを……」


佐藤は混乱と後悔に押しつぶされそうになった。彼女の失踪は、単なる事件ではなかった。そこには、巨大な陰謀が絡んでいたのだ。


突然、佐藤の体に再び痛みが走った。装置が彼の記憶をさらに深く掘り起こしていた。彼の頭の中に次々と映し出される映像は、彼が知るはずのない光景だった。暗い部屋で何者かが取引をしている姿、大量の紙幣がやり取りされ、絵里の姿がその場にあった。


「これは……一体……?」


佐藤は理解できなかった。しかし、その瞬間、装置が突然止まり、視界が元に戻った。目の前には、冷たく笑う男たちが立っていた。


「お前は何も知らないと思っていたが、どうやら思い違いだったようだな」


「……俺は、何を見せられたんだ?」


佐藤は震える声で問いかけた。だが、男たちは答えず、ただ冷たく彼を見つめていた。


佐藤は、体中が震えるのを抑えながら、男たちを見つめ返した。脳裏に焼き付いた映像が離れない。絵里が暗い部屋で誰かと取引している姿、紙幣が乱れ飛び、何か重大な秘密がやり取りされている瞬間――それが何を意味するのか、彼にはまだ全くわからなかった。


「どういうことだ?あれは……絵里なのか?何が起こっているんだ……?」


佐藤は混乱し、男たちに問い詰めようとしたが、彼らは相変わらず無言のままだった。突然、一人の男が口を開いた。


「お前にはもう一つ、思い出してもらうことがある。お前の過去だ」


「俺の過去……?」


佐藤はさらに困惑した。彼が思い出している記憶は、自分が体験してきたものばかりのはずだった。だが、男の口ぶりは違う。彼は何か隠されているものがあるような言い方をしている。


「どういうことだ?俺の過去に何か関係があるのか?」


「お前自身が気づいていないだけだ。これから、その真実を見せてやる」


男は冷笑を浮かべ、再び装置のスイッチに手を伸ばした。佐藤は反射的にその手を掴もうとしたが、拘束されているため身動きが取れない。スイッチが入ると、再び頭の中に鋭い痛みが走った。


「ぐっ……!」


視界がぐにゃりと歪み、記憶の中の映像が次々と押し寄せてくる。今度は、自分の知らない記憶が蘇ってきた。幼い頃の自分、そして絵里と共に過ごした日々。だが、その中には不自然な断片が混じっていた。彼の記憶の中に、全く覚えのない場所や出来事が次々と浮かび上がる。


その中でも、特に鮮明だったのは一つの映像だった。彼が子供の頃、ある施設に閉じ込められていた記憶。それは、今まで一度も思い出すことのなかった、封じ込められていた過去だった。


「これは……俺が子供の頃……?」


佐藤は、自分がその施設で何をしていたのか、そして誰と一緒にいたのかを知りたくて必死に記憶を辿った。だが、頭の中に走る痛みによって、記憶の断片は途切れ途切れになり、全てを把握することができなかった。


それでも、彼は確信した――自分の過去と絵里の失踪には、深い繋がりがあるのだと。そして、自分自身がその秘密を無意識のうちに封じ込めていたことを。


装置が再び停止し、佐藤は息を切らしてその場に座り込んだ。頭の中は混乱し、何が真実で何が虚構なのか、全く分からなくなっていた。


「どうだ?少しは思い出したか?」


男の冷たい声が耳に響く。佐藤は頭を抱えながら、ゆっくりと顔を上げた。


「俺の過去……俺と絵里の関係……一体何が起こっているんだ?」


「お前の記憶の中に答えはある。それを全て引き出せば、お前は自分が何をしたのか、そして何を知っているのかが分かるだろう」


男はそう言い残し、無言で立ち去ろうとした。だが、佐藤は最後の力を振り絞って叫んだ。


「待て!俺は……俺は何をすればいいんだ?どうすれば絵里を見つけられるんだ?」


男は立ち止まり、振り返らずに冷たく答えた。


「お前自身が真実を見つけ出すしかない。絵里を救えるのは、お前だけだ」


その言葉を残して、男たちは部屋を後にした。佐藤は一人、冷たい地下室に取り残され、過去と向き合うことを余儀なくされた。

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