サプライズ理論

@shk_spring

ある男の夜明け

 満点の星空、砕ける波の音、鼻腔に抜ける潮の匂い。一台の漁船が明かりも付けずに海の上を漂っていた。


「ち!またハズレだ!」


 図体が一際デカい男は釣り上げたボラを苛立ち混じりに船の甲板へと叩きつけた。50cmに満たないくらいのボラが甲板の上ではねる。


「俺はこんなことするためにヤクザになったんじゃねぇぞ!!」


 険悪な空気が船の上を支配していた。怒りに任せて喚く男を尻目に黙々と釣り糸を垂らす同船者たちも、釣竿を握る手に力がこもる。

 軟弱な見た目の男は、この場に一人も居ない。手首や首筋から入れ墨が覗く者も少なくはない。だが野心に満ちたギラついた目をしてる者は図体のデカい男を除いていなかった。


「喧しい!!お前らのアガリが少ないのが悪いんじゃ!!マグロ釣れるまで家に帰れるとは思うなよ!!」


 顔まで墨を入れた男が船の中の、比較的とはいえ快適な場所からがなり立てる。自分たちより立場も力も上の兄貴分に言われては返す言葉も出ないのか、男は渋々といった表情で釣り糸をまた海に垂らす。



 北海道某所の港から出て数時間の場所、船の電灯もつけず夜闇に紛れてマグロ釣りを目論む奴らが真っ当なわけがない。

 船長含めて乗組員全員が反社会組織の人間だ。それもほとんどが下っ端で、仮に海に落ちても探してくれる人が居ない様な奴らだ。


「ち、何も食いつきやしねぇ」


 男は怒られない様に小声でぐちぐちと毒を吐く。そして釣り糸の先、水面に反射した月光の輝きに過去の栄光を垣間見る。一体、どこで自分は間違えたというのか。

 暴走族を率いていた頃は良かった。この星空より輝くネオンの街並みを走れば誰も追いつけない。腕っぷしで誰彼構わず黙らせ、どいつもこいつ恐れ慄いて金品を差し出してきた。

 背中に彫った入れ墨は誰に見せても鯔背だ、粋だと尊敬の眼差しを集めた。なのにだ。ヤクザの仲間入りをした途端、自分の扱いは世間知らずのオボコだった。

 ヤクザはしがらみが多い。他人のシノギだの、恐喝や暴力は親ごと捕まるから駄目だの何だと。得意な事が出来なくなって、男は見る見るうちに落ちぶれていった。そして上納金が足りなくなってこの有様だ。



「さっきから似たようなのしか釣れねぇよ」


 釣りを続けるが誰もマグロは釣り上げられない。月が雲に隠れて暫くした丑三つ時、マグロの禁漁期間とはいえ朝の早い漁師連中なら出始める頃合いだ。

 何度も掛かったボラが甲板に転がっている。死んだ魚の生臭さと船の揺れが相まって気分も悪くなって、深いため息を吐いた。

 もう少しで一度、撤収するとはいえ時間一杯は釣る努力をしよう。そう思って男は釣り針に餌となるスルメイカを通す。昔から細かい作業は——細かいことが、男は大の苦手だった。チクリと指先が痛む。指先を針で刺したのだと遅れて気付く。

 誰かに当たり散らしたいが、持ち場を離れたら兄貴分に怒鳴られる。奥歯を噛み締めて怒りを腹の中に納めこもうとして、つい泣き言が漏れてしまった。


「腕っぷしなら誰にも負けねぇのによ……!」


 その時だった!!船が何かに衝突したかのように大きく揺れる!見れば船の左右から二匹のトドが体当たりを繰り返しているではないか!


「なんだ!何が起きてやがる!」


 男は視界の端で、揺れに耐えきれず船から転落する人影を見る。ライフジャケットのおかげで海に浮くはずだったが、海に落ちた奴は茶色の大きな影に海の底へと引き摺り込まれていく!!

 中からおっとり刀ならぬおっとりトカレフで駆けつけた兄貴分が、幅寄せしてくるトドに拳銃を向ける。破裂音が水面に響き渡る。

 硝煙に隠れて当たったかまでは見えなかったが、左右からの揺れは治ったのを見て男は思わず言ってしまう。


「や、やったか?」


 直後、強風が吹き荒れた!雲が退き、水面を月が輝かせる!それも男が過去の栄光を懐かしんでいた時よりも遥かに眩く!そしてその水月から何かが飛び上がる!

 あまりにも現実離れした光景に銃を握った兄貴分も男もあんぐりと口を開けて、その何かが船に着地するのを見ているしか出来なかった。


「オマエらやな?近頃、このワイの縄張りを荒らしとるんわ」


 船に着地した人影は二人に背を向けながら、腹に響くような声で問いかける。


「だ、誰だお前は!どこの回しモンだ!」


 問いかけを無視して兄貴分はソレに拳銃を突きつける。男はいまだにその光景を茫然と眺めていた。

 ソレはぴっちりとした半袖の黒シャツとチノパンツという場にそぐわない格好をしている。

 ソレは何故か首周りにシルバーの大きな鎖を巻いている。

 ソレはスキンヘッドで、筋骨隆々で、3m近くあって、トドみたいな顔をしていて、ソレハソレハソレハ。


「お前!しっかりしろ!こんな変態に飲まれるな!」


 あまりの異常事態にパニックを起こしかけた男の肩を兄貴分が片手で揺する。その声掛けで正気に戻った男は、腰を低くして構えを取った。

 しかしソレは拳銃も男も意に介していなかったのだ。


「躾がなっとらんの……。まぁええわ、ワイはトド、いやトドの王トドオカか。全く、ボラたちが可哀想やないか」

「トドオカ!?訳分からないことを言うな!」


 足元に転がるボラの死骸に触れようとトド王はしゃがみ込む。その動きを見咎めた兄貴分は躊躇いなく引き金に指をかけ、複数回の銃声が鳴り響く。


「コイツなんて後少しでトドにれたんに、勿体無いわ」


 トド王は傷つかない!今度は拳銃の力を知る兄貴分が目を見開き、恐怖に失禁する!

 恐怖に濡れた兄貴分は拳銃がカチカチと弾切れの音を鳴らしても、引き金を引き続けた。誰がそれを見っともないと咎める事が出来るだろうか。


「往生せえや!見っともない!」


 そう!咎めるはトド王である!

 トド王は両手に持ったボラの死骸で兄貴分の身体を打ち付けて腕や脚をへし折る!兄貴分は汚い悲鳴をあげながら床に転がった!

 

「止めろトドオカ!俺が相手だ!」

「向かってくるとは、面白いやないかい!」


 男は咄嗟にトド王に突進する。どんな手品かは判らないが、拳銃さえ効かない身体に打撃を入れようとは思わなかった。

 だが如何に強靭な肉体をしていようが、濡れた甲板と揺れる船体なら崩し、そして締め上げることは出来る。においては歴戦無敗だった男はそう判断した。


 ぶつかり合いは一瞬だった。子供が大人に高い高いと遊ばれる様に男は受け止められて、腕の力だけで容易く投げ飛ばされたのだ。


「がっ、っは!」


 甲板に背中から叩きつけられた男は肺から空気という空気を吐き出し、涎を垂らしながら呻く。そして朦朧とする男の耳にはトド王の高笑いが響いていた。


「ナーハッハッハッァ!!トドのつまり、人間じゃ自然には勝てへんのや!!」


 どすん!どすん!と、わざとらしく大きな足音をさせながらトド王は男に近づきしゃがみ込む。その手には男が釣っては捨てていたボラが握られている。

 男にはトドの王を名乗るナニカが自分に何をするのか判らなかった。だが、暴力がヤクザの立場や拳銃を蹴散らした事が何処か気持ち良く感じられていた。

 自分が取り柄にしていた暴力も磨き上げれば無敵になれたのだと。あの頃、自分が目指していたテッペンは間違っていなかったのだと。

 何より自分が弱くなる前に暴力に屠られる事が本望で、思わず男は微笑んでしまったのだ。


「なんやその面、面白ないわ。お前は直接は殺さん。生きてたらまた挑んでこいや」


 トド王は男の口にボラを詰め込めるだけ詰め込んで海に放り投げた。

 

 そして漸く太陽が昇りはじめ、夜が明けるのだった。

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