第26話 英語支配かマルチリンガルか
たとえそこが日本語勢力の優勢なテラトキア大陸であっても、ほかの言語をつかう人々もいる。無視するわけにはいかないのが現実だ。公共の施設では、日本語だけでなくほかの言語での説明・掲示・案内などが増えていった。
"文字がカタカナだけの支配"が消えていくにつれて、カタカナ以外の文字がいたるところでつかわれるようになっていった。もちろん、ひらがな も つかわれる。
他言語での表記がなければ、どこかに苦情やら陳情がよせられるのかもしれなかった。
よその大陸からの来客・旅行者にとっては、利便性が向上したのかもしれなかった。
他言語での表記がなかったころは、テラトキア人が外国人からいろいろ口頭で質問されて困惑することもあったが、今は外国語での案内を見せればすむ場合があるのだし、言われなくてもあらかじめさがして見るのであった。世間一般のテラトキア人の負担も軽減されたのであれば、まあいいだろう。
だが、マルチリンガル対応というのは、経費がかさむのである。すべての言語を公平に対等にあつかうことは、とてもむずかしい。実際のところ、すべての言語を網羅することは不可能である。そこで、採用する言語を選択する必要が生じる。
多くの場合、近隣諸国の言語と英語なのだろう。なかには、英語一辺倒を声高に主張する者もいた。時として、英語は、寛大さではなく拒絶の象徴たりえた。あるいは、経費や対応能力の問題なのかもしれなかった。場合によっては、労働者の出身地の言語と英語の組み合わせもあった。協同組合の文書が、ひらがなとカタカナだけで書かれたものだったりすることもあった。その都度マルチリンガル対応するのは負担なのだ。
公共の交通機関でいくつもの言語表記があったりすると、ごちゃごちゃした印象になるのもたしかだ。それで、(日本語と)英語だけにしろってつぶやく人は、たしかにいる。実際、どこかの(Kの)国では、その国の文字と英語だけでの案内なのだそうだ。(それが一般的かどうかは不明。)
英語を使わなかったという理由で、強制的に語学研修施設へと送られるかもしれないという恐怖は、ほぼない。よかった。
しかし、語学研修施設というのは厳然と存在する。シルバースクールも、そのような役割をになっていた。ただし、シルバースクールは英語がメイン。しかも、英語簡易化正書法を推進するのだ。英単語にカタカナでルビをふるのはよくないからという主張でさえも、都合のいい方便なのかもしれない。
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