ランニング・ストーリー

那須茄子

ランニング・ストーリー

 これで一通り、簡単な部活紹介は終わらせた。

 後はどれも、実践的なこと。



 私は再び、ランニングの準備体操を始める。

 

 今日は顧問の安達田先生が休みだから、一学年上の吉野部長が各部員のトレーニングメニューを指示している。

 そんな訳もあって、私は新入部員の海徒君に付き添い――正確には、ランニングフォームだとか呼吸の仕方だとかを教える――教育係みたいなことを任せられていた。

 

 どうも吉野部長は、私のことを変に誤解しているらしい。

 というのも吉野部長は、こう言っていた。「そーだ。世話好きなお前なら、一年の後輩の指導とか適任じゃないか?」、と。全くどこをどう見て、私が世話好きだと判断したのか問い詰めたいものだ。

 

 まぁ部長から任せられたのだし、やるにはやる。

 けど、私はまるっきり人に教えることが出来ない質だ。



「先輩。いつまで柔軟体操しているつもりですか」

「あ、ごめん。後ちょっとで終わるから」



 ん? 何で私が謝っている?



「あ、あのね海徒君! 柔軟体操は、身体を動かす前準備だよ。丁寧に時間を掛けてやることは、私たち陸上選手においても大事。

いきなり走ったりしたら足の健が千切れちゃうこともあるから。身体の筋肉をほぐしたり伸ばしたりしないと」

「そうですか。分かりました」

「ぇ、あっ、うん」



 素直に頷いてくれた。根は素直な子だな。ちゃんと敬語も使ってくれるし、有り難いけど。



「では、先に走ってきます。先輩も後からゆっくりついてきて下さい」

 


 かちん。

 前言撤回、ただの生意気な後輩でした。私が馬鹿でした、すいません。

 完全に私のこと、舐めているよね。これは見返さなきゃいけない。


 いざ決闘だ。



「おらー、ちょっと待て! 競争だー! あの三角コーンが立っているところがゴールね!」

「まぁいいですけど。無理はしない方がいいと思います」

「あのさ。私が一番部の中で足が遅いことを知っていての台詞だよね、それは」

「あっ、今知りました」

「言わなきゃよかった」

「墓穴を掘るとはこのことですね」

「うるさい!」



 こうなったら、全力で潰しにかかろう。そして、ぎゃふんと言わしてやるのだ。

 いくら体格差があるとはいえ、海徒君は走ることにおいては初心者。その分、私は経験と知識があるわけで――最低でも引き分けぐらいには持っていけるだろう。 



「ほらほら、海徒君。私もっと本気出すよ。必死でついて来な」

「先輩、前です」



 嘘でしょ。はっや。

 本当に経験者じゃないよね?



「正真正銘、僕は中学までずっと帰宅部でしたから」

 


 心を読まれた。

 しかも、ドヤ顔だったような。



「ま、負けてらんね〜~」



 私だって、やる時はやる女!



「ダッシュ! ダッシュ! ダッシュ!」

「そんなに声出したら、すぐ息上がりますよ」

「これが、私の走り方だから!」



 そうは言っても、着実に距離が離れてきている。三角コーンまであと少ししかない。私は今、無我夢中で走っている。

 先輩たちから教わったランニングフォームは、とっくに崩れていた。

 それほど、必死になっている私がいる。


 ヤバい。無理だ。

 追いつけない。


 今持っている私の実力では、あの子には届かない。先輩としては、やっぱり悔しい。

 けど、楽しいという気持ちが勝る。

 

 全力で走ることは、こんなにも気持ちがいいことだって、改めて思うことができた。

 私って基本、走るのが大好きだ。誰にも負けないぐらいに。



「――負けた」  



 最後の方は、かなり引き離された。

 海徒君がペースを上げたからというのが影響している。本当に、意地の悪いやり方だよな。  



「先輩からは教わることなさそうですね」

「はぁ…生意気。あー! こんな奴に負けたなんて悔しい!!」

「それにしては、やけに楽しそうですけど」

「まぁね、結果としては負けたけど、楽しかった気持ちの方が勝ったかな。ほら私、走るのが大好きだから」 

「変わっていますね」



 くすくす。

 隣にいる誰かさんが、くすりと笑う。


 見ると、海徒君の横顔には、なぜか笑みがこぼれていた。

 思わず魅入るような優しい笑みで、さっきまでの海徒君とは全く違う雰囲気を感じる。  


 不思議な気持ちだ。

 私の知らない海徒君を、間近で見ている。それはなんだか、とても重要なことのように思えて、私の身体を火照らせた。



「……入学式の日。早朝のグラウンドで、一人の上級生の女の子が走っていました。その先輩は僕から見ても足が遅くて、何度も何度も靴紐が解けて転ぶような人でしたから。何がやりたいんだろうって、馬鹿だなって眺めていました。

けど、しばらくする内に分かりました。あの先輩は、純粋に走ることを楽しんでいるって。淡い空の下に映えたあの眩しい笑顔を見たら、誰だって走りたくなるように。

この無気力な僕でも、その後を追いたくなりました」



 気付けば、海徒君の目が私を見ていた。

 真っ直ぐなその瞳の中に、いつもとは違う私が映る。その私はまるで、熱を帯びた夏風邪のように赤く頬を染まらせている。



「っていうのが、僕が陸上部に入った理由です」

「そぉ、そうなんだ。私びっくりしちゃって、なんて言えばいいか分かんないな」

「引かれましたか?」

「えっと」 



 いえ。寧ろ、惹かれています。



「私はう、嬉しいよ! 誰かのきっかけになれたならさ!」

「きっかけ……そうですね。それはあくまでも、きっかけでした。

今の僕は、先輩の為だけに走りたいと思っちゃいましたから」



 ――その時。 



 鼓動が一気に最新記録を更新したことを。

 声にならない言葉が募るこの気持ちの在り処を。

 私は感じた。

 

 今確かに。


 見つめる先に海徒君がいて、想いがある。

 きっと海徒君の言葉が本当の意味持つのは大分先のことだろう、と。

 遠い夢想を描いた。

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