おもひで

 涙というのは、都合よく流れてはくれないのだ、とわたしはぼんやりと考えた。


 お坊さんはお経をよどみなく唱えている。当然なのかもしれないが、わたしは素直にすごいと思った。おまけに木魚を鳴らしながらだ。木魚の形がちょうど、少し前に流行ったアマビエの横顔みたいに見えるな、ということを考えた。


 こんなことを考えているが、今わたしがいるのは実の父親の葬儀である。本来さめざめと泣いているべき立場だしシチュエーションなのだが、びっくりするくらい涙が出ない。むしろ余計なことを考えていないと、お通夜でばたばたとしていたせいか寝そうになる。


 薄情者だ、と自分でも思う。けれど、涙があふれてしまうほど、父との思い出がないのもまた事実だ。


 父は単身赴任が多く、ほとんど家にいなかった。たまにお土産を持って帰ってきて話すくらい。多忙だったから、ほぼとんぼ返りだった。だから家族旅行というのは父抜きでしか行ったことがない。


 でも、お父さんが持ってきたあのお菓子はおいしかったな。なんて名前だったっけ。


 そんなことを考えていたら、いつの間にかお経は終わり、故人様と最後のお別れにお花を棺に入れてくださいと葬儀社の人がアナウンスしていた。慌てて父のもとに行き、手渡された花を棺の中の父の顔の横に添えた。


 お父さん、こんなに痩せていたっけ。そう思ったら、少し鼻の奥がつんとしたけれど、涙にまでは至らなかった。


 父が灰になるのを待っている間も、その骨を拾う時も。父の身体が収まった骨壺を墓に収めるときも。


 涙は出なかった。薄情だ、と自嘲する人はいない。わたししかいないから。


 泣いてる場合じゃないから涙が出ないのだ、と自分で結論付け、自宅に戻った。元から一人、ここに父の位牌が増えるだけ。


 そんなことを考えていたら、テーブルにお菓子が置いてあることに気付いた。いつ買ったっけ、と思ったそれは昔父が持ってきたお菓子だと気づいた。


 袋を開けて、一口かじる。口の中に甘さが広がるのと一緒に、不思議と目に熱いものがこみあげて、ポロリと涙があふれた。


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掌編集 早緑いろは @iroha_samidori

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