掌編集

早緑いろは

賢者のクリスマスプレゼント

 わたしは同棲している恋人・奥寺鷹介への誕生日プレゼントを買いに、百貨店を訪れた。


 百貨店はすっかりクリスマス一色だった。表玄関には子供の背の高さくらいのツリーや、サンタ人形が置いてある。入ってすぐにある洋菓子屋も、クリスマスケーキ予約受付中、と大きな広告が壁に貼り、店員にサンタ帽をかぶせる意識の高さだ。


 多分、どの売り場で何を買っても、ギフト用の包装は緑か赤の、いかにもクリスマスな彩りだろうと考えた。……もう時期柄、仕方ないのだろう。こればかりは、あきらめてもらうほかないだろう。それに、当人が一番理解しているだろう。


 贈る相手が真っ先に顔をしかめる想像をして、わたしも苦虫を噛んだ心地になる。

 エスカレーターを使って、四階の紳士用品の売り場のところに来たが、やはり包みはそういう彩りのものらしい。ちょうどその売り場から出てきた老婦人が、夫宛かはたまた息子宛かはわからないが、金色のシールが隅に貼られた赤色の袋を後生大事そうに抱えていたからだ。


「いいか、俺はクリスマスが大嫌いなんだ」


 そう言っていた奥寺の誕生日が、皮肉にもそのクリスマス――――――つまり十二月二十五日というのは、神のいたずらなのだろうか。


「俺はモテなかった。後はわかるな」


 昨日、誕生日プレゼントの探りを入れようと、まずクリスマスが嫌いだと言っていたが、それはどうしてなんだと聞いたところ、上記の返答があった。


 てっきりクリスマスと誕生日をひとまとめにされた恨みからだろうか、と思っていたのだが、そうではないようだ。


 彼は学生時代、女子生徒からモテなかったそうだ。バレンタインにチョコがもらえない、という次元ではないくらいに。その上、彼のクラスメイトに、たいそうモテる男がいたらしい。クリスマスシーズンになると、女子の上ずった声とそれをにこやかに受け止めるモテる男、それを歯ぎしりしながら見る奥寺を筆頭としたモテない男子たち……。以降、クリスマスと言えば己の誕生日であると思う前に、暗黒のスクールカーストを連想させるものになってしまったというのだ。


 今の彼を知っていると、あまりスクールカーストなど気にしそうにもないが、少年の頃の奥寺には、思春期特有の意識があったのかもしれない。


「今はわたしにモテてる。いいじゃないか」


 そういうと、奥寺は被りを振った。奥寺は髪を後ろで一本縛りにしている。無精髭と妙にぎらついた眼が、野武士みたいだとひそかに思っている。仕事内容はともかく、フリーランスで仕事をしているというのも、浪人っぽさがある。


「一人にモテるのはモテるとは言わない」


 言葉の意味を考えれば、奥寺の意見はごもっともだ。だが、言われたわたしの心情としては正直気分がよくなかった。暗に、お前なんかと付き合うはずじゃなかったのだと言われたような気になったのだ。


「複数の女にモテたいなら、アラブ人になって、石油王にならないと無理だぞ。日本は一夫一妻制だ。それか、死んで生まれ変わって種馬になるかだ」


 思わずムキになって言い返してしまった。『奥寺はわたし以外の女性から好意を持たれたいという願望を持っている』という事実がそれだけ腹立たしかったのだと思う。


「種馬は御免だが、石油王はいいな。需要がある限り、消えない富だ」


 別に今は君だけだからなどと言われたかったわけではないのだが、石油王の方に食いつかれたのはショックだった。


「なら今すぐアラブに行って油田を掘って来い。徳川埋蔵金よりは現実味がある話だ」


「今すぐは無理だな。パスポートを持っていない」


 そして彼はそういえばこの部屋の更新をどうするのだと話題を変えた。わたしたちが住むマンションは、来春が更新時期だ。


「君がわたし以外とも住みたいなら、新たな部屋を探さなきゃいけないだろうね」


「確かに、二人以上では住めないなこの部屋は」


 嫌味すら不発だ。私はよく周囲から、皮肉屋だの女らしくないと言われてきたが、奥寺から見ると歯牙にもかけないものらしい。そもそも奥寺にそういう機微を期待する方が間違っていたのだ、と己を反省した。そういう機微の分からないところが、好きで一緒に暮らしているのだろう、と。


 更新に関してはして問題ないと答え、私は探りを入れるのをあきらめた。


 いっそ単刀直入に、誕生日に何がいるのかを聞いたほうがいいのだろうか。と思ったところで、そういえば彼の財布がずいぶんよれよれだったことを思い出した。


 別にそれをだらしないと思うわけではないが、あんなのだと使いづらいだろうと、財布売り場を物色することにした。皮財布なら、丈夫で長持ちする。


 そう思っていると、携帯電話が鳴った。奥寺からだ。


「今、松島屋にいるな?」


 松島屋とはこの百貨店の名前だ。


「ご名答だが、何故分かった」


 特段、奥寺にその予定を伝えた覚えはない。言い当てられて、まさかこいつは超能力が使えるのか、と一瞬考えてしまった。


「今俺もいるからだ。悪いが五階に来てくれないか」


 五階に何が売っていたかを考えながら、いったん奥寺との通話を切ってエスカレーターを上がった。上がる際、フロア紹介をぼんやり眺めた。五階は婦人服売り場がメインらしい。その隣に、宝飾品、呉服、商品券と文字が並んでいた。


 奥寺は背広だった。武士みたいな長い髪を結わえたスタイルは変わらずだが、浪人から主人に仕える侍くらいにはランクアップしたように見える。無精髭もきれいに落としていて、少し見違えた。


「随分綺麗にしたな。大きな仕事でもするのか」


 背広を着ているということは結構大きな案件――――――例えば大企業からの依頼でも受けたのだろう。わたしはそう考えた。しかしわたしを何故呼びつけるのかがわからなかった。


「そうだな、かなり重大だ」


 そう言って彼はずんずんと歩いていく。向かった先は宝飾店だ。確かに、それなりに名のある店だが、わたしを連れてくる理由がよくわからない。


 まず入り口で、少し待っていてくれと言われ、奥寺だけがフロアに足を踏み入れた。一番近くにいた店員に、何かを話すと、また戻ってきた。


「普通はこっそり測って、渡すものだとは思うが、俺にその芸当は無理だ。だから直接連れてきた」


 何のことだ。そう思っていると女性店員がご用意ができましたのでご案内しますねとやってきた。そのままカモの親子のごとく店員について行き、用意された椅子に座る。


 そこにあったのは、シンプルな――――――しかし、高級だとすぐにわかる――――――指輪が何種類か置いてあった。そしてこのデザインのものを、世間一般的に何と呼ぶかくらいは、私も心得ている。


「飯田繭子さん」


 改まった顔の奥寺に、フルネームで名前を呼ばれて、思わずどきりとした。そして、こんな男を好きにならないなんて、ずいぶん損をしたなと、過去彼に見向きもしなかった女たちに、言ってやりたい気持ちになった。


「今からあなたの薬指に合う指輪を作ります。それを受け取って、俺と結婚してくれますか。」


「……よろこんで」


 するりとその言葉が出た。奥寺は、さっそくデザインを決めようと楽しそうだった。わたしはぐるぐると、そんなにあっさり返事をしてよかったのかと考えた。


 結婚となると、まずわたしの親に報告がいるし、友人にも伝えるべきだろうし……と考えたところで、手を出してくれと言われた。


「サイズを測ってもらうんだ、手を出してくれ。指輪のサイズはよくわからん」


 わたしは恐る恐る、左手を出した。女性店員が、細い糸を薬指に巻き付ける。赤色なのは運命の糸にかけているのだろうか。


 ぼうっとしている間に、奥寺と店員は話を進めていた。誕生日プレゼントを贈るはずが、思わぬものをわたしが受け取ることになった。だが、それが不快でないのは、やはり奥寺だからだろう。


 先ほど糸をつけられた指をまじまじと眺めた。この指に、あのプラチナの指輪が近い将来はめる。あまりにあっさりと決まりすぎて、内心奥寺がドッキリを仕掛けているんじゃないだろうかと思うが、そうでもないらしい。


「そういえば、なんで松島屋にいたんだ。しかもあそこは紳士服の売り場だろう」


「君に財布を買おうと思った。ボロボロだったから、皮の上等のなら長く使えるかと思って」


 驚きすぎて馬鹿正直に話してしまった。こういうところが粗忽なのだ、と嫌になる。しかし奥寺は、気をよくしたようだ。


「そうか、俺もぼちぼち変えようと思っていたんだ。後で一緒に見よう」


「しかし、君は本当に、わたしと結婚するのか。アラブで石油王になって、ハーレムを作りたいんじゃないのか」


「そんな思春期のジャリンコでも考えないことを言うのはやめてくれ。石油王になったら、金に困らなそうでいいなとは思うが」


 言われてみれば、彼は種馬は御免だとも言っていたことをいまさら思い出した。


「改めて言っておくが、お前以外の女と結婚する気はないし、男女の仲になるつもりもない。それだけは誓っていうぞ」


 こう面と向かってはっきり言われて、わたしは顔が熱くなるのを感じた。店員が、仲が良くてうらやましいです、とニコニコしていってくるのが、余計に恥ずかしかった。

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