その少女、聡明につき

あべのおくば

第1話

 鳥を見るのが、好きでした。

 大空を自由に滑空するその姿に、私はいつも興奮冷めやらぬ、といった様子で見ていました。

 いつか私も空を飛んでみたいって思っていました。

 だから、私は母に訊いてみました。

 

 ——どうやったら、私も空を飛べるの?

 

 母は言いました。

 

 ——ルナは人間だから、空は飛べないよ。

 

 母は答えになっているようで、なっていないことを言いました。

 

 私は人間だから空を飛べない。

 

 鳥は鳥だから空を飛べる。

 

 私が母に訊いたのは、人間ながらに空を飛ぶ方法です。

 私が人間で、鳥が鳥であることなど、さすがの私でもわかっていました。

 でも、母が答えたのは


 私が人間であること


 人間は空を飛ぶことができないこと


 この2つです。


 つまり、母は私の質問の回答から逃げたのです。

 きっと、母は空を飛ぶ方法を知らなかったのでしょう。

 それを娘に知られたとなったら、面目が立たないから逃げた。

 そう考えると、今となっては、とても愛らしく思えてきます。

 しかし、結局のところ、私は空を飛ぶ方法を知ることができませんでした。

 

 ——どうしたら空を飛べるのだろう

 

 当時の私は諦めが悪く、母に言われた後、家を飛び出して一人で考えました。

 いつも遊んでいた森の木の根元に腰掛けて、考えました。

 考えて、考えて、考え抜いた末に……答えは出ませんでした。


 当然です。


 私はその時、自分はなんて無知で、無力なのだろうと思いました。


 無知で、無力で、愚鈍で、愛らしい。


 それが私でした。


 それだけが望まれた役割でした。


 しかし、その思考の時間が全く無意味であったというわけではありません。

 一つだけ、空を飛ぶ方法対する直接的な回答ではないのですが、その方法を知っている存在に私は気づきました。

 

 それは——鳥自身です。

 

 なんて素晴らしいアイディアなのでしょう!

 ……とはなりませんでした。

 無知で、無力で、愚鈍で、愛らしい私でも、鳥から話を聞くのは無理なことくらいわかっていました。

 思い返してみると、私は案外物分かりがいい子だったのかもしれません。

 だからなんだという話ではありますけれど。

 さて、万策尽きた私は、諦めて空を見上げました。

 降参の合図だったのでしょう。

 この世界の摂理に白旗をあげたのです。

 すると、世界は優しいようで、木の葉が重なって良くは見えないながら、憧れの鳥1匹が空を円を描くようにして飛び回っているではないですか。

 

 ——いいな、飛びたいな。

 

 諦めたはずの思いにまた火がついてしまいました。

 世界はまるで優秀な教師のようです。

 勉強を諦めかけた私の背中を、気付かれないようにすっと押してくれました。

 だから私は、その勢いに乗って立ち上がり、大空を飛ぶ鳥に向かって、手を伸ばしました。

 そして、大声で叫んだのです。

 

 ——どうやったら、空を飛べるようになりますか!

 

 当然、答えなど返ってくるはずもありません。しかし、なんだか身体の底がポカポカするような感じがしました。

 そして、私はすぐに気づきました。

 自分の身体が光を放っていることに。


 びっくりです。


 私はいつから蛍になってしまったんだと思いました。

 蛍なら羽があるし、最悪空を飛べるからいいかなとも、少し思いましたが、背中を見ても羽はありませんでした。

 つまり私は、蛍ではなく、人間であるというのに身体から光を発していました。

 どうしよう、と慌てふためきました。

 しかし、そうこうしているうちに、光は収まってしまいました。

 家に帰って母に見せたかったのに残念です。

 私はもう一度空を見上げました。

 今度は降参ではなく、何にも上手くいかないなと世界に愚痴を言いたかったのです。

 だというのに、未だに鳥は円を描くように私の頭上を回っています。

 だんだんと嫌な気持ちになってきました。

 もしかしたら世界は私に嫌がらせをするために、鳥達をこちらによこしたのではないかとさえ思えてきました。

 だから、私は言ってやりました。

 

 ——もう空なんて飛びたくない!

 

 子供のささやかなる抵抗でした。

 私はしたり顔で、鳥を見ていました。

 すると、どういうことか、鳥がこちらを見ているような気がしました。

 いや、実際に見ていました。

 目と目が合ってしまいました。

 目と目が合う瞬間、私が隙だらけであることに気づきました。

 青空を円を描いて回っていた1匹の鳥が進路を私の方向に変えました。

 嘴が完全にこちらを向き、突撃してきました。

 私は必死に逃げました。

 村の方向に向かって、後ろを振り返らずに必死に逃げました。

 このままだと食われてしまう、と思いました。

 ……思いましたが、よくよく思い返してみると、その鳥は食われるほど大きな鳥ではなかったような気がしてきました。

 私は最小限の動作で後ろを振り返ると、なんとまあ可愛らしい手のひらサイズの鳥がこちらを追いかけてきているではないですか。

 私はなんだか逃げるのが馬鹿馬鹿しくなってその場で足を止めました。

 そして小鳥さんを迎えるように、おへそすら小鳥さんの方に向けました。

 さあ、おいで、と完全に歓迎ムードです。

 私は右手を小鳥さんの方に差し出しました。乗って欲しかったのでしょう。

 しかし、小鳥さんは私の意図にそぐわず、頭の上に乗りました。

 爪が頭皮に食い込んで、ちょっとだけ痛いです。

 

 ——小鳥さん、どうして私を追いかけてきたの?

 

 私はふと、小鳥さんに訊きました。

 もちろん野生動物に答えなど求めていないのですけれど、小鳥さんの行動には意思があるように思えました。

 明確に私を追いかけてきましたし、頭の上に乗ったのもそうです。不思議な鳥だと思いました。

 

 ——あなた、名前は?

 

 私は目を剥きました。


 当然です。


 だって、野生動物に名前があるはずないのですから、私から名前を訊くことなんてありえないのです。

 つまり、名前を訊いたのは、訊いてきたのは、小鳥さんなのです。

 ピーとなくはずの小鳥さんが、なぜか流暢に人間の言葉を話して、まるでお姉さんのような声で私の名前を訊いてきたのです。

 

 ——えっと……私、ルナ!

 

 私は驚いたものの、元気にそう答えました。

 無邪気で、無垢な子供だったのです。

 私はそこでやっと気づきました。

 自分はなんて不思議な体験をしているのだろうと。

 まるで自分がお伽話の主人公のようだと思いました。

 

 ——ルナ、良い名前ね

 

 小鳥さんは私の名前を褒めてくれました。

 ルナ、という名前を、私は当時あまり好きではありませんでした。

 だって、母に怒られるたびに、ルナ!ルナ!と怒鳴られるわけですから好きになるはずがありません。

 でも私はこの時から、小鳥さんに褒められたことで、ルナという名前が好きになりました。

 

 ——ルナはどうして私の声が聞こえるのかしら

 

 小鳥さんはとても穏やかな声で私に訊きました。 

 私にもわかりません。

 むしろ、私が小鳥さんに訊きたかったくらいなのです。

 でも、小鳥さんもわからないというのならば仕方がありません。

 

 ——わからないの。突然身体がピカピカ〜って光って、それで……

 

 その時でした。

 突然、まばゆい閃光が私の正面から押し寄せてきました。

 私は反応すらできませんでした。

 間もなくして耳を劈くような轟音が空気を震わせました。

 それは、まるで大地そのものが裂けるかのような、凄まじい衝撃波。

 そして今度は、油断すれば吹き飛ばされてしまいそうな豪風が、襲いかかってきました。

 木々が騒々しく騒ぎ立て、森に住む野生動物達が本能に従って逃げ惑い始めました。

 小鳥さんもきっとこの時逃げたのでしょう。

 私はそこでやっと何が起こったのか理解し始めました。

 そして同時に、這いずる虫のように、嫌な予感が全身を駆け巡りました。

 私の正面、つまり光と衝撃波が襲ってきた方向には私の住む、村が、家が、母が、いるのです。

 

 ——お母さん!

 

 私は走り始めました。

 必死に、ただがむしゃらに。

 だから、周りの声なんてちっとも気にならなかったのです。


 逃げ惑う動物たちの声など。

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