第9話喪女、欲求を満たす
喪女、欲求を満たす。
心地よい眠りから意識が浮上する、徐々に周りの音や空腹を刺激する美味しそうな匂いがはっきりと知覚され、朱璃は目を覚ました。
グキュル……キュルキュル
(…お腹が空いた)
久しぶりに食欲を感じた。
囚われていた時、常に苦しい程の飢餓状態だったが、不思議と食べたいと思わなかった。その原因は、盲目になったという事実や得体の知れない周囲の人々の存在、理不尽な行為を受ける毎日に、心と体が疲弊していたのかもしれない。
「タッキオ、カプジョーイダ?」
穏やかなあの子の声だ。
顔にかかる髪をかきあげられ、頬に彼の手が触れる。その手をガシっと掴み自分の頬で彼の体温を探った。
昨夜は、状態の悪い彼をさし置いて、いつのまにか昏倒してしまったため、彼がいまどんな状況なのかがわからなかったのだ。
(温かい。声の調子からにして、元気そうだ)
朱璃はほっと息をつく。
……昨日は本当に色んなことが起きた。
意識のない彼から無理やり離され、よくわからない競売?にかけられ売られそうになった。けれど間一髪彼に助けられ、あの監禁場所からようやく逃がることができた。だけど、本調子じゃなかった彼は逃げている最中に、倒れ動けなくなってしまう。
自分のせいで彼に負担をかけてしまったという申し訳なさと逃亡中で誰にも助けを求めることもできない状況下、何の役にも立たない自分に悔し涙が溢れたのを思い出す。
そこへ誰かが通りかかった。男の声だった。
男は彼と少し話した後に突然彼を抱き上げた。攫われると恐怖した私は泣き叫びながらその男を叩きまくり、至る所を噛んだ。しかしそれは勘違いだったようで、彼に頭をポンポンと優しく叩かれ、ようやく自分の思い違いであることに気づき男への暴行を止めた。しかしその男を完全に信頼することはできず、警戒しながらも男の家へついていった。
けど今、彼の調子が良さそうなところを見るに、あの男は親切な部類であることが伺えた。
「イダッテンヤ」
女の声だ。昨日、警戒しながらついて行った男の家には女もいた。この声の持ち主だ。
見知らぬ男と女の住まう家で無防備にも自分は眠ってしまったようだ。自身の体を触れる限り、着衣に乱れはなく危害や理不尽なことを受けていないのようだ。
(むしろ安眠できた…)
監禁場所でいつも感じていた疲労感や眠気がなく頭はスッキリ冴えている。
寝入ってしまったベッドは粗末なものではあったが、石のように冷たく固くもないし、体に掛けられていた布団もフカフカで温かった。
物思いに耽けっている朱璃の頬から彼は自分の手を引き抜くとベットから降りるよう朱璃に催促し丁寧な仕草で靴を履かせた。そして彼に手を引かれ座らされた場所は椅子であり、彼も自分の隣の椅子に座ったようだった。
間も無くすると、目の前にコトリと器が置かれる音がした。食欲を掻き立たさせる匂いが朱璃の鼻先をくすぐり、口には唾液が溢れる。美味しそうな匂いの根源はこれだったのかと理解した。
今すぐにでも食べてしまいたかった。
(けれど……)
見知らぬ相手から見えない何かを差し出されるものほど、恐ろしいものはない。彼らと言葉も通じないから、目の前にあるこの食べ物に手をつけていいのかさえ朱璃にはわからなかった。
そう朱璃が悩んでいると、横でズルと飲む音がした。
(飲んでる?)
隣の少年が出された食べ物に口をつけ、咀嚼する音が聞こえてきた。
(食べてもいいの?)
グゥーキュルキュルキュルキュル
盛大にお腹の虫が鳴った。
ぐっとお腹を抑え顔を真っ赤にさせた朱璃の口に、突然無理やり何かが突っ込まれる。彼の仕業だ。
強制的に何かを口に突っ込んでくる動きには既視感があった。
口に含まれたものから汁が流れ、舌で塩味と甘味を感じる。口に含まされたものが食べ物だと確信すると、朱璃はゆっくり飲み込んだ。
(お、美味しい…野菜のスープかな?)
シンプルな味付けだけど、野菜の甘みが汁に溶け出し美味しい味付けになっている。またスープに含まれる野菜も柔らかくてほろほろと舌で崩れる。最近硬いものしか食べれなかった朱璃にとって久方ぶりのまともな食事に目尻に涙が滲んだ。
朱璃は隣の彼から匙のような物をを受け取ると夢中になって、ご飯にありついた。
その間、見知らぬ男と女が朱璃の食事を奪ったり邪魔してくる様子はなかった。
その日、朱璃は一カ月ぶりの食欲と睡眠である三大欲求のうち二つを満たすことができたのだった。
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