第36話 騎士

 兜の隙間から瘴気を漏らすその騎士は、明らかに異骸だった。

「フィオちゃん! 下がって!」

 リリスが魔弾を撃ち込もうと構えた。私はその射線を遮るようにして片腕を広げる。

「リリス、大丈夫。敵意はないわ」

 私はその兜に手を添えた。

「そうよね。ウィル」

 黙って私を見つめてくる。そしてゆっくりと、何かを乞うようにして私に跪いた。

「分かってる。そのためにここに来た。だからウィル、案内してくれる?」

 深く頷くと立ち上がり、どこかへ向かって歩いていく。私達は彼の後に続いた。

 荒れ果てた城下町を歩いていると、何だか懐かしい気持ちになってくる。ここらは屋台何かが出ていて、いつも賑わっていた。城を抜け出して遊びに行くと、街の人はみんな喜んでもてなしてくれた。勝手に町の人に会いに行ったものだから、衛兵達には苦労をかけたと思う。まあこの記憶も、フィオナ姫から複製されたものであって、私のものではないけれど。

 そんなことを考えていると、リリスが腕を組んでくる。

「フィーオちゃん! 疲れたでしょう? 私の魔力、分けたげる!」

「あ、ありがとう。でもちょっとくっつきすぎ」

「えー、だってこうした方が渡しやすいじゃん。まあ本当はチュウするのが一番早いけど、どうするー?」

「……じゃあこのままでお願い」

「なんだー、残念」

 偽物であることの自覚が強まったことを悟ってくれたのだろうか。何となくだけど、私の憂いを紛らわすために、場を和ませようとしてくれたのだと思う。

 もちろん、魔力を補給してもらえるのもありがたい。悔しいがリリスの魔力は、彼女の肌と同様、滑らかで暖かく、とても心地が良い。相性も良いのだろう。

 しばらくウィルについていくと、王城の正門へと伸びる石橋へとやって来た。私達が渡っていくと、巨大な鉄門がゆっくりと開いていく。おそらく城内にも多くの異骸の兵がいるはずだ。リリスに充填してもらった魔力を練り、身構えていると、その予想に反して一人の異骸だけが出てきた。まさかあの巨大な扉を一人で開けたというのだろうか。

 その異骸は、ロザリア近衛部隊の甲冑に身を包み、黒いボロボロのマントを背にたなびかせている。腰から激しく刃こぼれした長い黒金の剣を抜き出すと、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

 その姿を見たウィルは、急いで剣を抜く。アランも少し遅れて構えた。確かにこの異骸からは尋常ならざる圧を感じる。

 私を見ると、こちらを目掛けて駆け込んできたので、薔薇の結界を展開して接近を拒もうとする。しかしその異骸には全くもって効いておらず、突進の勢いだけで全てを突き破ってしまう。薔薇の結界では強度が足りないと感じた私は、代わりに高密度の防御結界をつくり上げて迎え討とうとした。しかしそれすらもただの一振りで破壊されてしまう。

 砕け散った結界を見たリリスは背に大量の魔法陣を展開し、魔弾の集中砲火を浴びせたが、その高速な球を全て剣で跳ね除けながら強引に突破してきた。

 今度はウィルが飛び出し、応戦しようとする。しかしたった三回ほど剣を交えただけで、刀身が破壊され、さらにはそのまま小手ごと腕を落とされてしまう。

 続けてアランも私を庇うようにして前に出て得意の斬撃を放った。しかしそれもものともせずに弾き飛ばし、アランの懐に急接近して斬り伏せる。

 しかし二人のおかげで時間稼ぎはできた。リリスが詠唱を終えると、巨大な魔法陣が展開され、そこから大木のように太い熱線が照射される。その熱気は石造りの橋をも沸騰させ、辺りに乱気流を起こすほどの出力だったが、その騎士はそれさえも剣で受け止め、勢いに押し込まれながらも打ち消してしまった。そしてそのまま高速で接近し、リリスの胴体を真っ二つにしてしまう。

「リリス!」

 リリスの斬られた体から、黒い影が吹き出し、空中で異形の型を成していく。

「なっ──」

 黒い雲が空を覆い、大気が震える。そして稲光と共に、真っ暗な翼を持つ悪魔が現れ、雄叫びを上げる。

 リリスのことを少女の皮を被った化け物であると言ったのは決して比喩ではない。彼女はかつて神と戦い封じられたとされるいにしえの魔人の末裔であり、普段はその魔人としての破壊衝動を、自らを人の身に封印することで抑え込んでいるという。敗北したとはいえ少なくとも神と渡り合えるほどの力であり、その怒りに触れれば人の文明なんていとも簡単に滅ぼされてしまうだろう。

 ただでさえこれほどまでにイレギュラーな敵が出てきたというのに、封印が破壊されたリリスにまで暴走されてはもう浄化どころではない。

 そう絶望しかけた瞬間、その悪魔の首はあっさりと飛ばされてしまった。

「嘘……でしょ……」

 その異骸は魔人化したリリスでさえも、一撃で屠ってしまった。

 これはもう、人の域を超えている。全くもって勝てるイメージが湧かない。

 最後に力を振り絞って練り出した結界も、ガラスのように砕け散る。結界が破られたことで後ろに倒れた私に近づき、頭を潰そうと剣先を向けてきた。

 ここまできて死ぬわけにはいかない。その騎士の顔を見上げると、彼は一瞬だけ大きく目を見開く。そして次の瞬間、私のではなく、自身の首を掻っ切り、そのまま血を吹き出しながら仰向けに倒れ込んだ。

「えっ……?」

 状況を飲み込めずに唖然としていると、アランが斬られた脇腹をおさえながら、しっかりしろと言わんばかりに叫んできた。

「フィオナ! 浄化だ! 早く!」

「う、うん!」

 祈りの言葉を早口で唱え、浄化の光を作り出す。その魔力が異骸の体を包み込むと、リリスが呼び出した暗雲が晴れ、雲間から日が漏れてくる。すると彼は一瞬だけ目に光を取り戻し、安らいだ顔をして見せた。

 浄化を通して彼の思念に触れ、その記憶が呼び起こされる。彼の名は、ユリアス・デューク・ゲンブルグ。王国最強の騎士団長であり、史上最も誉れ高いとされる剣聖の称号の持ち主。ロザリアが戦争でほとんど負けなしだったのは、ユリアスがいたからといっても過言ではない。そんな彼が異骸化し、祖国のために千年も戦い、ここを守り、絶え間ない実戦の中で剣の腕を磨き続けたともなれば、これほどまでに規格外な力を手にしたのにも納得がいく。

 自分の首を切ったのも、私のことをフィオナ姫だと思ったからだろう。異骸として暴走し、主君に手をかけかけたことを理解し、今のロザリアにとっての脅威が自分自身であることを悟り、その強靱な精神力で一瞬だけ取り戻した意識で自害した。

「……大義よ、ユリアス。あなたがロザリアに忠を尽くしたこと、決して忘れないわ」

 そう伝えると、ゆっくりと拳を胸に当て、天を仰いだまま、息を引き取った。

 私は本物のフィオナ姫ではないけれど、彼の忠道を讃え、弔うために、この時だけは本物であると心からの嘘をついた。

 その英雄を看取ってから、周囲に再生の魔法を展開させて、みんなの傷を癒した。

 中でもリリスの状態は気がかりではあったけれども、私が次に見た時にはすでにその真っ二つにされた胴体はくっつき、再生をはじめていた。多分私が魔法を使わなくても自力で元に戻っていただろう。

 ぱっちりとその大きな目を開けると、何事もなかったかのように伸びをした。

「んー! ふっかーつ!」

「はははっ……あなた、やっぱり本当に化け物ね」

「ん? そうだよ? この前に話したじゃん」

「この前って……千年前でしょ……全く……」

「んー、なになに? 心配してくれた?」

「ま、まあ、そう言われればそうね……」

「フフフッ、嬉しいー」

 その無邪気な笑顔を見ていると、化け物のものとは思えない。また流れでスキンシップをしようとしてくる彼女の頭を押さえていると、ウィルがユリアスのところへゆっくりと歩み寄る。

 彼の剣を地面に突き刺し、墓標の代わりにすると、静かにお辞儀をした。

「ウィル……」

 ユリアスはウィルの師匠でもあった。表情は見えなかったけれども、きっとその兜の裏で泣いていたのだと思う。



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