第8話 解毒魔法

 リーンハルトの方は体をはりながら魔力の充填を完了させる。その刀身は眩いほどに輝いていた。

「ゆくぞ!」

 再び目にも止まらぬスピードでアランに斬りかかる。先ほど飛ばした斬撃は私達を攻撃しつつ、私の薔薇の結界を破壊し、進路を確保するためのものだったのだろう。

 アランはその突進を受けきれず、衝撃で後方へと飛ばされる。背後にあった時計塔の壁に体を叩きつけられたと思うと、体勢を立て直す隙もなくリーンハルトが目の前に現れ、顔を潰しにかかった。

 間一髪で頭をずらしてそれを避けると、剣で斬り返して反撃する。リーンハルトが横に身をふってそれをかわしたところで、アランが顔を上げて

「いいのか? 避けて」

 振られた剣の刀身からは、あの黒い斬撃が放たれていた。本来ならこんな至近距離で使う技ではない。

「何!?」

 その斬撃の狙いはリーンハルトではなく、ラメリアの方であった。ラメリアは自身を守るために防御魔法を発動させようとしたが、もちろん先ほどと同じ手筈で私が結界に干渉し、無効化する。

「クソッ!」

 それを見たリーンハルトは、放たれた斬撃をその神速で追い越し、身を呈してラメリアを守った。

「グッ……!」

 鎧の背中側が砕け、鎖帷子くさりかたびらから血が滲み出ていた。

「ハルト!」

 ラメリアが治癒魔法をかけようと近づくが、私は薔薇の結界でその行く手を阻む。リーンハルトに向けて伸ばした手は指先から傷ついていった。

「ラメリア! 危険だ! そこを動くな!」

「……ごめんなさい」

「大丈夫だ。私には加護がある」

 背中の傷も神技の治癒能力で治して、こちらに振り返る。

「どこまでも卑劣な……」

 怒りをあらわにしながら、剣を強く握りしめ、魔力を練り上げはじめた。さらにポケットから小瓶を取り出し、中身の液体を刀身にかけていく。おそらくは聖水だ。先ほどよりもさらに神技の出力が高まっていく。

 今度こそ私もろとも一撃で決めるつもりだろう。最大限に強化した斬撃を飛ばそうと、剣を両手で握りしめ、大きく振り上げた。大気を震わせるほどの魔力の波動が空間を歪ませる。


「異端の聖女よ! 覚悟しろ!」


 そう勇んで、刀身から光を放とうとした瞬間、彼の足元が少しふらついた。

「ウッ……」

 その場で脱力しながら、頭をおさえる。

「何だ……これは……」

「アラン。今よ」

「ああっ!」

 アランは右手をかざすと、手の平からどす黒い霧を放った。その霧は直撃し、しっかりとリーンハルトの体を飲み込んでいく。

「ガハッ!」

 霧が通り過ぎると、喀血かっけつしながら膝をつく。

「ハアッ……ハアッ……クソ……瘴気……か……」

 剣を地面に突き立て、何とか姿勢を維持していた。

「何だ……この目眩めまいは……何をした……」

 憎しみに満ちた目で私を見上げる。

「解毒魔法よ」

「解毒……だと……?」

「酸素中毒って知ってる? 酸素も濃度が高すぎると毒になるの」

「どういう……」

「この辺りにある空気中の酸素を解毒した。オイゲンが結界で密閉してくれていたから、とてもやりやすかったわ」

 息が上がっていたリーンハルトに続いて、オイゲンやラメリアも膝をつく。私とアランには再生の魔法を施し、身体を安定させていた。

 アランが放った瘴気は、リーンハルトの体を蝕み、肌の色がじわじわとくすんでいく。

「……神託の力を……そんな……貴様はどこまで……神の奇跡を愚弄する気だ……」

「言ったじゃない。使えるものは使うって」

「この……異端めが……なぜ神は……こんな者に──グッ!」

 喉をおさえ、息を詰まらせる。

「……この私が……こんな……ところで……ガハッ! すまない……メリー……」

 酸素が足りなくなったのか、血を吐き出し、そのまま白目をむいて正面に卒倒した。

 純白の剣が、血だまりに倒れ込む。

「ハルト……? そんな……ハルト……!」

 思わずラメリアが駆け寄るが、勢いで薔薇の結界に引っかけた片足が切れてしまう。

「キャッ!」

 そのまま前に倒れると、地面に展開されていた不可視の薔薇に血が滲み、色づいていく。

「ハル……ト……」

 それでも彼女は、その花々を咲かせながらリーンハルトの元へと這っていった。

 ようやくたどり着くと、傷だらけの手をしきりに伸ばして治癒魔法をかける。

「お願い……目を覚まして……」

 何度も治癒を試みるが、リーンハルトの意識は戻らない。

「ハルト……ハルト……」

 酸欠の上、瘴気に蝕まれたその体は、私の再生の魔法でもなければ回復は不可能だろう。彼女もそれを悟ったのか、私に向かって懇願してきた。

「聖女様……お願いです……ハルトを……ハルトを助けてください……私、何でもしますから……」

 薔薇に血を吸われながら、傷まみれの顔で、涙を浮かべて訴えてかけてくる。

「今までのことも全てお詫びします……ですからどうか……どうかハルトを助けてください……」

 何とも哀れなものだ。少しはその愚かさに免じてやるとしよう。

「分かったわ」

「本当ですか!?」


「ええ、浄化くらい、してあげる」


「えっ……浄化……?」


「ヴッ……ヴヴッ……」

 それは呻き声を上げながら、ゆるりと立ち上がり、ラメリアに影を落とした。

 束の間の希望を捉えた彼女の瞳は、一気に光を失う。

「ハルト……? そんな……ウソ……だよね……? だってハルトは……私を守ってくれるって……」

「ガアアアアッ!」

 牙を剥き、ラメリアに襲いかかった。

「やめて! ハルト! 私だよ! メリーだよ! やめてってば! 目を覚まして!」

 そのまま彼女を組み伏せると、首元に牙を立て、容赦なく喰らっていく。

「い、痛い! 痛いよハルト! やめて! やめ──アアアアッ!」

 腹は裂かれ、腑を貪られ、その体は解体されていく。

「キャアアアッ! イタい! イタいイタい!」

 血と涙に塗れたその目が一瞬だけ私と合った。

「そういえば、私に民を喰わせたの、あなただったわね……」

「イヤだ! こんなの! こんなのイヤ! 助けてハルト……助け──」

 血飛沫とともに上がる叫びに耳を澄ませながら、私は浄化の祈りを唱えはじめた。

しゅよ、どうかかの者を蝕む穢れを祓い、迷える魂をお導きください」

 真っ赤に染まった薔薇の花園。その中心で恋人を喰らうその異骸の前に立ち、浄化を施す。

 身体から瘴気が祓われ、元の姿へと戻っていく。すると浄化によって少しずつ体が灰になりながらも、その瞳に再び光が戻った。そしてラメリアを見下ろすと、彼は目を剥きながら声を漏らす。

「メ……リー……?」

 もちろん返事はない。

「ゴフッ……!」

 口をおさえながら喉に詰まっていた彼女の血肉を吐き出す。

 手の平を見つめ、自分がやっていたことを自覚する。そしてラメリアを抱き抱え、その場でのけぞりながら叫び声を上げた。

「ウアアアアアアアアッ!!!」

 私を見上げ、血と憎悪で真っ赤に染まった眼を向けてくる。

「許さん! 許さんぞ! 貴様だけは──貴様だけは──!」

「そう……気が合うのね……私も、あなた達を許さないわ」

「この呪われた聖女め! いつか貴様を、地獄の底へと引きずり下ろしてやる! 例え悪魔にこの魂を売ってでも、私は貴様を──貴様を──」

 その騎士は、恨みつらみを重ねながら、塵となって消えていった。


「さようなら、リーンハルト」

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