第15話 秘められた弱さ
恐らく、巡葉は昨日のオーディション結果の連絡で、落選を知らされた。
今日はそれが理由で学校を休んでいる。
多少の憶測はあるが、粗方はこんな感じだろう。
話を聞いてみれば真相に至るのは実に容易だった。
巡葉は一切そんな事を口に出さなかったが、ここ数日の態度を注意してみれば気付けたはずだ。
長い時間を共にし、さらには時を遡ったことで未来を知っているのにも関わらず、無様な体たらくだと思う。
オーディションの当落や詳しいレッスンの話は、これまであまり聞いて来なかった。
今思えば、あいつはその手の話題を振るのを避けていたのかもしれないが、俺は何も気づかずにただ呑気に過ごしていた。
表面的な明るい振る舞いに違和感も覚えず、常日頃から基本的には大きく落ち込むような仕草は見せない巡葉に、『強い奴だな』なんて思っていたくらいだ。
だが実際は多分、俺が知らなかっただけ。
今日みたいに落選のショックで、学校を欠席したことも多くあったに違いない。
思い出すのは高校二年のとある日の事だ。
巡葉と付き合う事になった日。
……そして、巡葉がアイドルを諦めると決意した日。
屋上に俺を呼び出して、夕暮れの中、巡葉は俺にいつものような顔を向けていた。
彼女は辛そうな表情一つ見せなかった。
ただ笑いながら『私アイドルになるの、諦めようと思うんだ』なんて言っていただけだ。
実にカラッとした笑みだったのを覚えている。
もしかして、全て俺への気遣いだったのだろうか。
ネガティブな発言や態度は、周囲の人を不快にさせかねない。
だからあいつは、身近な俺にすらそれを見せないよう、努めていたのかもしれない。
昨日のクラスマッチの時の甘え仕草みたいに、たまに発散しながら、普段は独りでプレッシャーと向き合っていたのかもしれない。
アイドルを諦めた後も、巡葉がアイドルに未練を残していた事を知っている。
無意識にアイドルギャルゲーを勧めてくるくらい、アイドルというコンテンツ自体にのめり込んでいた。
本人はずっとその気持ちを否定していたが、行動は矛盾していた。
それはもう、傍から見ても断言できるほどに。
可愛いだけで務まらないのがアイドルという存在だ。
巡葉は可愛い。
どこのグループでもセンターを任せられる程の容姿と魅力を持っている。
実際、彼女は中学時代に大手のアイドルグループのオーディションを突破し、アイドル候補生として最終選考を兼ねた研修を受けていた事もある。
中学時代のその当時はクラスも違ったしお互いに関わりがなかったから、噂程度にしか巡葉のオーディションの話を聞いていない。
俺は、オーディションを抜けて候補生になったのにトラブルを起こして離脱した、という概要しか知らないのだ。
実際、中学では真偽の不明な心無い噂が溢れていた。
あいつと付き合っていた時期、俺はその話を聞こうとはしなかった。
巡葉自体が話そうとしなかったし、何より本人が触れない領域に土足で踏み込もうとは思えなかった。
恋人同士でも踏み込んではいけない領域というものが存在すると思うが、俺にとってはその話題がそれだった。
思い出して、胃が痛くなってくる。
昼食から教室に帰る途中、俺は校舎を出て中庭に出た。
なんとなく風に当たりたいと思ったからだ。
随分憶測と勝手な妄想で話を進めていたため、一度頭を整理するためにも巡葉にラインをしてみることにした。
もしかすると本当にただの体調不良かもしれない。
無人のベンチに座ってから当たり障りなく体調を訪ねる連絡をする。
と、暇だったのか秒速で返信がきた。
曰く。
『腹痛でトイレとお友達中。昨日の夜に作った辛いラーメンのせいかも💩』
らしい。
「ふざけてんのかお前はッ!」
思わず吹き出すのを通り過ぎる生徒に不審に見られた。
勘弁してほしい。
というか、なんだこの最後のスタンプはと突っ込みたくなる。
女子高生ひいてはアイドル志望の美少女が、送って良いメッセージじゃないだろうこれは。
だけどなんだか少し、考え過ぎて重くなっていた頭が軽くなった。
「放課後、様子見に行ってみるか」
会って話さない事には何も始まらない。
仮にそれを拒まれれば帰るだけだ。
どのみち、澤湊音に話を聞いた時点で俺の行動は一つしかない。
あいつもそれがわかっていたから、最後に含み笑いで意味深な事を言ったのだろう。
◇
学校が終わった後、俺はすぐに巡葉の家は目指さずに、一旦学校で課題を済ませてから向かう事にした。
夜遅くまで用事が長引いて課題をする時間が無くなるかも……というのは建前で、若干あいつと顔を合わせるのに緊張して、時間稼ぎをしたかったというのが本音だ。
女子の家に行くというのは、そのくらい覚悟のいることだった。
巡葉の実家マンションに顔を出したことは何度かあるが、付き合う前に訪れたことはなかったはずだ。
ちなみに中学時代から家の位置は知っていたため、俺が彼女の家を知っているのは不自然なことではない。
学校を出た後、いつも通り駅に向かおうとして、俺は首を振る。
なんだか土産も無しに行くのは憚られたのだ。
というわけで、多少大回りにはなるが俺は通りの本屋に寄ることにした。
駅近くにある大型の本屋はなんだか懐かしく、独特な紙の匂いに惹かれるように俺の足は店内に吸い込まれた。
巡葉の趣味は知っているし、早速それっぽいコーナーに目を向ける。
ギャグ漫画なんか、良い息抜きになるかもしれない。
仮にあいつの所持品と被っても、それなら俺が持って帰れば良い。
そんな事を考えながら漫画コーナーに行くと、本の整理をしていた店員と目が合った。
「あ、雲井君じゃん」
「木下さん、だよな。こんな場所でバイトしてたのか」
「まーね」
いたのは同じクラスの女子高生だった。
名前は確か
先程まで教室に居たのに、既に制服に着替えて仕事をしている事に驚く俺。
彼女はそんな俺に笑いかけた。
「漫画買いに来た感じ?」
「あぁ、まぁそんな感じ」
「ふーん。で、今からめぐめぐのお見舞い行くの?」
「ブッ! ……な、何言ってんだ!? そんなわけないだろ!」
つい声が上ずった俺に、ゲラゲラ木下は笑う。
「冗談だって。まぁそんな仲良くはないか」
「お、おう」
「うちはめぐめぐと雲井君、お似合いだと思うけどね」
「……勘弁してください」
学外で陽キャ女子に弄られるのは慣れていない。
恐らく引きつった笑みを浮かべているだろう俺に、木下さんはグッと近づいてきた。
嗅ぎ慣れない、柔軟剤のいい香りがした。
これは植物系の匂いだろうか。
「お目当ての物、探してあげるけど何買うの?」
「まだ決めてない。なんか良いのないかなって」
「ジャンルは?」
「ギャグ系が良い」
「うーん」
コミュ力が高いのか、随分サクサク会話が進む。
呆ける俺を横に、あっという間に木下は本を一冊取ってきた。
「ほいこれ」
「これは……?」
「最近Twitterで流行ってた作品の書籍版。人気だしお勧めだよ」
「あ、ありがとう」
言われて表紙を見ると、俺もなんだか懐かしさと若干の記憶が蘇る作品だった。
そうそう、四年前くらいにこんな感じの作品が流行ってたっけ。
なんだか感慨深い。
まじまじ表紙を眺めていると、木下はまたも距離を詰めてくる。
「それ、昨日めぐめぐも読みたいって言ってたから」
「え?」
「よかったら貸してあげたら? それをきっかけに距離が縮まるかも?」
あくまでこの木下は俺と巡葉をくっつけたいらしい。
顔には年相応のお節介な笑みが張り付いていた。
正直俺としては、これ以上巡葉と恋愛的に親密になるのは避けたいのだが、ここまでしてもらって否定するのも忍びない。
結局俺は苦笑いをしながら、その本を持ってレジを済ませた。
店を出た後、再度気合を入れ直す。
思わぬ出会いはあったが、今日の本命はこれからなのだ。
「じゃ、行くか」
俺は駅を目指して歩き始めた。
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