第10話 巡り廻る世界

 意識が戻るや否や、俺は跳ね起きた。

 ベッドのバネのせいで勢い余り、転げ落ちそうになりつつ、自分がその場にいること・・・・・・・・を確認した。


「……生きてる」


 昨日の7月11日(火)の晩、セミボブの髪の女に首を絞められていた。

 巡葉に酷似した容姿の女が、俺に跨って俺を殺そうとしていたのだ。

 すぐに確認しようと、俺はスマホのカメラで首元の跡を見ようとした。

 しかし、その前におかしなことに気付く。


「日にちが巻き戻ってるんだけど」


 スマホのホームに表示された日付がおかしい。

 そこには7月10日(月)と表されていたのだ。

 今日はタイムリープして二晩経過したから12日になっているはずなのに、何故か二日前の、この奇妙なタイムリープをした月曜日に巻き戻っている。

 何かの間違いだろうと実家の部屋を見渡して、さらに異変に気付く。

 昨晩閉めていたはずの窓が開いているのだ。

 やけにデジャブ感のある、湿った風を頬に受けながら俺は首を振る。


「もう意味が分かんねえ」


 この呟きが今の複雑な心境の全てだ。


 重い頭を抱えながら思考を巡らす。

 俺は昨日・・、殺されたのだろうか。

 それで時間が巻き戻ってループした、と?

 そしてそこで気になるのはあの女の正体だ。

 あれは本当に巡葉だったのだろうか。

 俺の記憶にあるあいつは、そんなバイオレンスな気性ではなかったはずだが、その前のやり取りを鑑みるとあり得なくもない。

 ギャルゲーに例えるなら、夕星との関係にキレた攻略ヒロインである巡葉が、嫉妬に駆られて俺を殺すバッドエンドと言ったところか。


 いや、何がバッドエンドだよ。


 自分でツッコみながらため息を吐く。

 今生きているという事実もそうだが、首を絞められていた時の感覚がかなり朧気であるため、正直夢だったのではないかと思え始めていた。

 どのみち考えても仕方の無いことだし、今生きているからそれでいい気もする。

 その場合、何故時間が巻き戻ったのかという問題には、別に向き合わなければならないが。


 不思議なくらい冷静なのは、寝起きの低血圧のせいだろうか。

 よくわからないが、そんな事を考えていると刻一刻と始業時間が迫っていた事に気付き、俺は支度を始める。

 怪奇現象に苛まれても日常から逃れられないのが高校生だ。



 ――ちなみに、首に何者かが絞殺しようとした跡は、残っていなかった。





 ひょんなことから始まった、人生三度目の2020年7月10日。

 家を出る時間が遅くなったせいで、玄関先で脅威と遭遇してしまった。


「う、わ」

「えっ!? なんでそんな嫌そうな顔するん!?」


 俺の反応に目を見開いて抗議してくるのは笹根夕星である。

 毎朝遅刻ギリギリに登校している女と遭遇してしまったのだ。

 正直こいつとは会いたくなかった。

 こいつとの関係を否定しなかったせいで、前回巡葉に殺されたという可能性がある以上、あまり慣れ合いたくない。


 とはいえ、若干顔見知りにあって安堵もした。

 『この世界で、俺一人が、別の時間軸に!』なんて言うSF好きも顔面蒼白になる鬼畜ワールドに放り込まれているわけで、心細かったのだ。


 母親とのやり取りで察してはいるが、一応間抜け面の幼馴染にも聞いてみる。


「なぁ夕星」

「呼び捨てはやめな? アタシのことはゆずn――」

「この世界、時間が巻き戻ってないか? 具体的には二日くらい」

「普通に無視すんのやめてもらっていいですかぁ?」


 身に覚えのあるやり取りが始まりそうだったので無視させてもらったのが、不服なようで夕星はポニーテールをぶんぶん回しながらガンを飛ばしてきた。

 断固としてそれも無視して、ただ同じ質問を何度か続けると、彼女は今度はジト目になり、そのまま眉を寄せて笑みを浮かべる。


「ふっふっふ~。もうあんた高校生でしょ? そういう中二的なのは卒業しな?」

「その反応だけで状況が飲めたからもういいよ」

「自分から聞いといてなんでだよ! ほんっともう、衣乃もあんたもなんか思考が痛々しいというか」

「姉の事は良いが俺の事は馬鹿にするなよ。女に手なんかあげないけど、お前の事は躊躇わずに殴るぞ」

「普通逆じゃないの? なんでそんな身内に厳しく自分に甘いん? 怖いよヒロちゃんの倫理観が。……あと普通にアタシなら殴ってもいいみたいなのは何なのっ!?」


 名前が出たので説明しておくと、衣乃というのは雲井衣乃くもいいのの事であり、血を分けた俺の愚姉である。

 現在はプチ家出中で夕星の家にお泊りしている。

 長くなるので今は省くが、定期的に縁を切りたくなるくらいには俺と仲が悪い。


 俺に対して中二病と煽り散らかしている夕星だが、一応遅刻が迫っているため下半身はチャリのペダルを漕ぐのに全力だ。

 次第に言葉数も減り、二人で必死に通学路を往く。

 なんとか駅に着き、そのまま発車寸前の電車に滑り込んだ。

 これを逃すと確実に遅刻していた。


「はぁ~っ。あっぶね」


 席に座って、おっさんみたいなため息を吐く夕星。

 こいつは忘れてはいけないが有名TikTokerであり、インフルエンサーだ。

 主にダンス動画を投稿してバズっているのだが、その活動を続けるために学校に提示された条件が、品行方正な学生態度となる。

 現在あり得ない制服の着崩しと髪弄り、それとアクセまでつけている生活指導常連女と言えど、遅刻はギリギリの生存ラインとして回避しなければならないらしい。


「髪型と服装も校則守ればいいのに」

「人生100年時代の中の3年間だよ? こんな輝かしい時間を芋生活で潰すとか馬鹿でしょ~? 何よりアタシ可愛いし、おめかししなきゃ損じゃん」

「まぁ確かに、年金が満足にもらえるかもわかんねえ老後だし、そんなもんに賭けたくないよな。刹那を生きるのも時には大事か」

「ヒロちゃん、生々しいのは萎えるからやめろ。いいね?」


 真顔で言ってきたので肩を竦めた。

 

 ちなみに、俺はこいつには勿論、巡葉や他の人間にも自分がタイムリープやタイムループをしているとは打ち明けないつもりだ。

 理由は単純に、そんなの絶対誰かの口から他の人に伝わり、やがて大問題になるに決まっているからである。

 特異な存在として世界中に拡散され、そのまま病院や施設で研究され尽くされたかと思えば、今度はメディアに囲まれて取材の嵐、顔が割れようものなら常に誰かに監視されて盗撮される——そんなプライベート皆無の生活が待っているだろう。

 それがわかっていて喋るわけがない。


 乱れていた息を整え、静かになる。

 俺は気になっていた事をぽつりと聞いてみた。


「なぁ、人を殺したくなる時って、どんな時だ?」


 言ってすぐ、他の乗客がいる電車内でする話ではなかったかと思った。

 しかし夕星は気にした様子もなく答える。


「うーん。裏切られた時、とか?」

「短いけど本質を捉えた回答だな」

「なんでそんな上から目線なの?ってツッコミはさて置き、急に物騒なこと聞いてくるじゃん」

「いや、気になってさ。嫉妬に駆られた女が寝床に忍び込んで、そのまま男の首を絞めて殺す、みたいな……そういう設定ってどう思う?」


 濁しつつ、さらに聞くと夕星はむ~と唸りながら考える。

 何気ない仕草が結構可愛い。

 黙っていればこいつは最高の幼馴染だったかもしれない。


「浮気されてたら殺したくなるかも?」

「い、いや。その相手ってのは付き合ってる彼氏ではないんだよ。まだその前の段階」

「じゃあ思わせぶりなことされてたら、かな。思わせぶりなくせに他の女といちゃついてるとこ見せつけてきたりしたら、流石に殺意湧くんじゃない?」

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

「どしたどしたっ!? ヒロちゃん!?」


 耳が痛すぎてつい声が漏れた。

 普段いい感じだった男が急に素っ気なくなり、目の前で他の女(=正体超有名インフルエンサーのハイスぺ美少女幼馴染)といちゃつき始めたら、どう思うだろう。

 ……やべぇ、我ながら殺したくなってきた。

 やっぱりあの女は巡葉で、そもそもあの出来事自体も夢ではなかったのかもしれない。

 殺されたからセーブポイントである月曜まで巻き戻しって事なのかもしれない。

 タイムリープした時点でこの世界に物理法則は当てはまりそうにないし、もうなんでもありである。


 思ったより深刻な状況なのでは? と、車内で青ざめながら俺は学校まで揺られた。

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