第8話 独占欲の塊
「私の話ですか?」
場を凍り付かせるには十分すぎる言葉に、俺と夕星はすぐに振り返らず、まず顔を見合わせる。
お互いに脂汗をかきながら絶望に顔を歪めていた。
「ははは……」なんて、苦笑いするしかなくなった夕星の乾いた声を聴きながら、俺は恐る恐る振り返る。
そこには予想通り、噂の美少女が立っていた。
俺達の真後ろに立っていた柴凪巡葉は、無表情で夕星を見ている。
「ど、どうかしたのかよ。こんなところで奇遇だな」
明るく声をかけると、その感情のこもっていない目が俺に向けられた。
「別に奇遇じゃないけど。雲井君に用があったから」
「……あ、あれ。なんか用あったっけ?」
「これ」
差し出されたのは俺の筆箱だった。
どうやら机の上に置きっぱなしで帰っていたらしい。
「あ、ありがとう」
「忘れ物を届けに来たんだけど、私はお邪魔だったみたいだね。 ……やっぱりそういう関係だったんだ。ふぅぅん」
一応感謝をして受け取るが、それには巡葉は無視した。
じっと夕星を見るだけだ。
「笹根夕星先輩ですよね?」
「かたっ苦しいからゆずちゃんでいいよ~?」
「笹根先輩」
「……はい。笹根です」
鬼火力の鋭い視線に必死のデバフを試みるも、失敗に終わった夕星。
諦めて項垂れる姿は、浮気現場を見つかった間女のようだ。
そのまま夕星は何故か俺を向く。
助けてくれと言わんばかりに引きつった笑みを向けてきた。
なんだか憐れだ。
「二人は幼馴染なんですよね?」
「……う、うん。こいつのお姉ちゃんと友達で、昔からよく遊んでるんだよ。まぁでも腐れ縁だからっ!」
「っていう割には随分親し気でしたけど。抱き着いてたし」
「あ、あ~……。うん」
もう夕星は涙目だ。
巡葉の鬼詰めに耐え兼ねて今にも逃げたそうである。
だがしかし、抱き着いてきたのはこいつだし、俺はしっかり拒否していたので若干自業自得だろう。
みるみるうちに表情が曇っていく夕星から、巡葉は俺に視線を寄越す。
説明しろ言わんばかりの圧だ。
正直、すぐに誤解を解いて機嫌伺いをしたいところだが、それでは今日の学校でのやり取りが意味を持たなくなってしまう。
こいつとは距離を置くと決めたんだ。
しかも全部巡葉自身のためだ。
それに、俺と巡葉は今付き合っているわけでもないため、俺が誰と仲良くしようがこいつには関係ない。
本来詰められる謂れなんてないはずだ。
黙る俺に、巡葉は段々と表情に感情を乗せていく。
怒るというより、むっとした感じでぶすくれていくのが不覚にも可愛い。
付き合ってもいないのにここまで嫉妬深いのは独占欲の塊過ぎるだろう。
しびれを切らしたのか、巡葉はふんっと鼻を鳴らす。
「ま、別にどうでもいいんですけどね。所詮席が隣なだけの他人だし」
「そうだな」
「……」
否定せずに肯定すると巡葉は力なく首を振った。
その様子に何故か俺は左腕を引っ掴まれる。
見ると夕星が俺にしがみついてブンブン首を振っていた。
『早くっ! 早く巡葉ちゃんの誤解を解いて!』
読唇術は苦手だが、口パクで言う夕星の台詞を予想するとこんな感じだ。
だが悪いな幼馴染。
誤解を解くわけにはいかないんだよ。
俺はもう決めたんだ。
多少巡葉を傷つけたとしても、彼女のアイドルへの道を俺は応援すると。
もう過ちは繰り返さないんだと、決意したんだから。
巡葉は大きなため息を吐くと、恨めしそうに俺を見ながら言う。
「じゃあ渡す物は渡したから、レッスン行ってくるね」
「おう。怪我せず頑張れよ」
「……やっぱ雲井君、昨日から変だよ」
去り際に、巡葉はそんな事を呟いた。
逃げるように走り去っていく後ろ姿に、少し
しんみり疼く胸が苦しい。
蝉の鳴き声が煩く響く七月の夕方。
俺は再び帰路に就こうと踵を返すと、それは隣の女に阻まれた。
先ほどから黙っていた夕星は、恐怖に歪めた酷い顔で泣きついてくる。
「ねぇぇぇぇぇ~っ!? アタシ殺されない!? 大丈夫!?」
「うるせえな! 殺されるわけねえだろ!」
「だってだって! すんごい目でアタシのこと睨んでたよ!? 漫画の悪役キャラみたいな目つきだったって!」
「本筋的に悪役はお前だけどな」
俺と巡葉という、本来結ばれるはずだった仲に乱入してきた幼馴染キャラ。
しかも抱き着くし親し気なあだ名で呼ぶし、勘違いされるのは当然だ。
関係性を否定しなかったのは俺だが、そもそも夕星の俺への絡み方は異常なのであまり庇う気にならない。
「あ、アタシ知らなかったんだって! あそこまでヒロちゃんに巡葉ちゃんが入れ込んでるって!」
「……」
「何とか言えよこの女たらしっ!」
「人聞き悪すぎるだろ」
俺はそのまましばらく夕星に肩を揺さぶられ続けた。
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