江戸ブラック

風宮 翠霞

第1話 【勘定奉行】は今日も賑やか

「終わんねぇぇぇぇぇぇぇ!!」


「フハハ、フハハハハハハ!!私は今、天にいるのだ!!あぁ……仏よ。

私を迎えに来て下さったのですね……!!」


「落ち着け!!ここは職場だし、お前が行く……というか現在進行形で行ってるのは仏さんのいる天じゃなくて『大量の決算待ちの書類が積まれた職場』という名の地獄だよ!!俺もだがな!!

嗚呼……自分で言ってて悲しくなってきたよ、どうしてくれんだコノヤロウ!!」


松平まつだいら様ー、小次郎こじろうが壊れましたー。あと喜助きすけが泣き出してクソウザいですー。

クソウザですー」


「あ?壊れたぁ?仕方ないからそこに寝かせて休ませてやれ!!喜助、仕事が終わんねぇで悲しいのはお前だけじゃねぇんだよ!!頑張れや!!おい、誰だ今終わんねぇとかいった奴!!仕事持って出て来い!!俺が代わってやるから!!」


「松平様、ありがとうございます!!こちらだけお願いしても宜しいでしょうか?」


「新しい書類でーす!!どこ置けば良いですか!?」


「置いとけ!!後でやる!!書類ぃ?そこに積め!!振り分ける!!」


「了解です!!よろしくお願いします!!」


時は江戸幕府、幕府の役所の一つである【勘定奉行かんじょうぶぎょう】では、今日も今日とて感嘆符を連打するしかないような大声が、一室の隅から隅まで響き渡っていた。


人が決して広くは無い部屋の中を書類を抱えて小走りであちこち行き来する様子は、まさに肩摩轂撃けんまこくげきといった有様である。


そんな部屋の真ん中で部下達に大声で指示を出しているのは、幕府の政務を統括する将軍を除いた幕府最高位職【老中ろうじゅう】に、現時点で最も近いと言われている大名だいみょう……松平信綱のぶつなだ。


民政と財政、訴訟を担当する部署である【勘定奉行】は、その取り扱う案件の幅広さに、ブラックとして有名な三◯電機ピー日◯郵便ピーの社員さんもビックリの、多忙極まりない真っ黒黒超絶ブラックな部署となっている。


「それが武士なら誰もが一度は憧れる、天下の【勘定奉行】様の正体でーす!!

失望した?ねぇねぇ、逃げようとしているそこの君ぃ、失望した?」


「おい、千代丸ちよまる!!お前、どこの誰に何言ってるんだよ!?」


「え、いや、ここに話せって画面が見えたから……アレ?なくなってる……?」


「松平様〜!!千代丸がついに幻覚見てました!!」


「幻覚!?それヤバい奴じゃねぇか!!千代丸は殴ってでも休ませろ!!

千代丸、体壊す前に一旦休め!!これは上司命令だ!!」


ゲホンッ!!

ま、まぁ……うん。何も無かったことにしよう。


テイク2

そんな感じのおブラック様な部署に何故将来有望な信綱がいるかと言うと、信綱は今、現【老中】である酒井さかい忠勝ただかつに言われて下積みの真っ只中なのである。


線が細く小柄な体で、腹の底から声を出す「腹式呼吸」で騒がしい中、部下達がそれぞれ今受け持っている案件やここ最近の勤務の様子なども加味しながら、次々と仕事を割り振り、片付けていく。


「さすが松平様だぜ……!!」


「なんて早い書類捌きだ……私じゃなきゃ見逃してましたね♪」


「おいそこ!!バカ言ってる暇あったら、サッサと仕事片付けろ!!」


「「はーい!!」」


口は悪いが根は優しく、些細な事にも気を配って仕事を的確に割り振り、自分は人一倍働いている信綱は、まさに「良い上司」という言葉が指す典型的な人物だった。


「人気の上司投票」がこの時代にも存在すれば、徳川家贔屓びいきで一位が将軍になるのは仕方が無いとしても、実質の一位である二位にぶっちぎりで入賞するだろう。

部下達も、そんな信綱がトップにいるからこそ、【勘定奉行】のようなゴミみたいな仕事量の部署でもきちんと仕事をしているのだ。


ブラックにならざるを得ない職場であるが故に、良い上司と良い部下の絆は固い。

そう。【勘定奉行】は、職場環境が(仕事量以外は)とても良い職場だ。上下関係が強固であるはずの幕府という場所で上司と部下、軽口が叩けるくらいには。


だからこそだろう。


「やぁやぁ諸君!!仕事は進んでるかね?」


と言いながら【老中】である酒井忠勝を伴って部屋に入って来た、天下人である江戸幕府三代将軍……徳川家光いえみつその人に向かって。


「チェストォォオ!!いーえーみーつっ!!今日こそは仕事を減らしてもらおうか?というかサッサと減らせやボケェェ!!」


上司が鞘を抜かないままの剣を振りかぶり、そのまま振り下ろすという本来なら一族郎党諸共斬首いちぞくろうとうものともざんしゅものの暴挙をしでかしても。


「甘い甘い!!あっれれ〜??信綱くん、そんなにイライラしてどうしたのかな?

思春期かい?お兄さん、心配しちゃうよ?」


それを華麗なサイドステップで避けた、いつも真面目な顔をしている将軍様が、真面目さの欠片カケラも無いニヤニヤ、ニマニマとした笑みを浮かべながら全力で上司をおちょくっていても。


「チッ!!誰がお兄さんだよ!!お前は俺と同い年じゃねぇか!!

思春期なんて、二十九で三十路に差し掛かろうとしてる今、とうに過ぎてんだよ!!というか、んな事ぁどうでも良いんだ!!お前、【勘定奉行】の仕事を減らせって、何度言ったら分かるんだよ!?俺は良いとしても、部下がもたねぇんだよ!!

俺が必死に育てた人材を潰す気か!?」


それに向かって、上司がクソ真面目にツッコミを入れていても。


一応武家に生まれて高度な教育を受けていたはずの人間達(カタブツな酒井様以外)は、「あぁ、松平様は将軍様と仲が良いんだなぁ」といったアホの子のような感想しか抱かなかったのである。


うむ。【勘定奉行ここ】の雰囲気を一言で表すとすれば、この言葉よりも相応しい言葉はないだろう。


まさしく、混沌カオスである。

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