第33話 覚醒


 頭の中で妙な声が響いたと同時に、九頭の大蛇は噛み付いてきた。


「マオ!!」


「うむ!!」


 ユーリが跳躍して大蛇の首を避けると同時に、マオがその首に巨大な砲弾を放った。首が怯んだ隙にユーリたちは海から離れ、体勢を立て直す。


(水蛇ヒュドラの試練? ……取り敢えず、こいつはヒュドラって言うのか?)


 頭に響いた声の内容は、今までとは異なり、資格や権能に関するものではなかった。試練とは何なのか。ヒュドラとはこの魔獣の名前なのか。 

 というか――――。


「……マオ、俺の数え間違いかもしれないが、あいつ首が治ってないか?」


「安心するのじゃ。妾の目にもそう見える」


 ユーリは以前、水蛇ヒュドラの首を一つ断ち切ったはずだ。

 だが今、ヒュドラの首は九つある。


 別の個体か? と思ったが、その線は薄いだろうとユーリは思い込んだ。

 こんな化け物、そう何体もいてたまるか。


「ユーリ!!」


 名を呼ばれ、ユーリは目だけで声がした方を見る。

 久々に聞く声だった。


「隊長、久しぶりだな」


「言っている場合か! 帰ってきて早々、厄介なことになっているな!!」


 第八遠征隊のロジールは剣を抜き、ヒュドラの顔面に叩きつけた。

 ヒュドラには傷一つついていない。しかし注意を引き付けることはできていた。

 その隙にユーリは、ヒュドラの首の根本に近づく。


「もう一度、その首を斬ってやるよ」


 肉体の奥底から力を引き出す。


 ――《斬撃》。


 全力で放った権能は、一太刀でヒュドラの首を両断した。

 落ちた頭は海面に叩きつけられ巨大な波紋を生み、すぐに青い鮮血が雨のように降り注いだ。


 耳を劈く化け物の悲鳴を聞いて手応えを感じたユーリは、すぐに次の首を見据える。だがそれと同時に、ヒュドラが切断された首を胴体の近くまで戻した。妙にその動きが気になったユーリは、次の瞬間、目を見開く。


 ヒュドラの首の切断面から、青い血がぶくぶくと溢れ出した。

 直後――斬り落とされたはずの頭が、再び生える。


「はぁ!?」


 ユーリは額に青筋を立てて叫ぶ。

 なんだそれは? ぶっ殺すぞ。


「ユーリ!!」


「――ッ!?」


 マオの警告がユーリを正気に戻した。

 ヒュドラはすっかり治った首を鞭のように振るってくる。集中が途切れたせいで回避が間に合わないユーリは、剣を盾にして、首と衝突すると同時に自ら後方に跳ぶことで衝撃を和らげた。


 力強く踏ん張っていないと、空まで吹っ飛ばされそうな衝撃。

 肺に溜まった酸素が全て押し出され、ユーリは呻く。


(再生するのか……それも、かなりの速度で)


 吹き飛ばされた衝撃で砂浜を七回弾んだユーリは、朦朧とした意識の中で立ち上がり、ヒュドラの完治した首を見て舌打ちした。


 これならいっそ、別の個体だった方がマシだったかもしれない。

 心のどこかから込み上げてきそうな絶望を押し殺しながら、ユーリは傍にいるマオへ声をかける。


「マオ、例の力で一掃することはできないか?」


「魔王城のことか? アレは用意するのに時間がかかる上、消耗が激しい。今やるのは得策ではないのじゃ」


 そもそもがという規格外の力。

 マオ自身、まだ持て余しているのだろう。


「なら、誘導を頼む」


 走り出したユーリを見て、マオはすぐにその意図を察した。

 地面から大量の砲台を創造したマオは、一斉にそれぞれの筒から黒い塊を射出する。


 激しい衝撃と黒煙がヒュドラの目を眩ませた。

 その隙に――。


「――これならどうだ?」


 黒煙の中に紛れていたユーリが剣を閃かせた。

 見据える標的は、手前の首と――その隣にある首。


 ――《斬撃》。


 研ぎ澄まされた斬撃が、二本の首を同時に断つ。

 刹那、ユーリは《超感知》を最大限発揮して、ヒュドラの首を凝視した。案の定、ヒュドラは斬り落とされた頭部を再生したが、その速度が明らかに遅くなっている。


「再生の速度が落ちたな。ってことは……」


「できるだけ同時に首を断つ。それが勝利への道じゃ」


 限りなく厳しい道筋だが、希望が見えたことは大きい。

 胸中に湧いた微かな安堵が、肉体の疲労を再認識する機会となった。呼吸は激しく乱れ、剣を掴む握力も弱っている。操られたガレスからの連戦だ。あまり長く戦いたくない。


(もっと、《斬撃》の範囲が広ければ……より多くの首を斬れる)


 空の宝座。その力を更に引き出すことさえできれば――。

 コントロールできない活路を見出したその時、ヒュドラが不自然な動きをした。


 九つの首が、一斉に空を向く。

 そして、それぞれの顎から巨大な水塊が吐き出された。


「これは……」


 次々と上空目掛けて放たれる水塊を見て、ユーリの頬を冷や汗が伝った。

 放たれた水塊は、やがて重力に従い、人間くらい容易く押し潰せる質量の雨粒となって――――降り注ぐ。


「……………………やばいな」


 逃げ場のない圧倒的な暴力を前にして、ユーリは立ち尽くした。

 これはもう災害である。地震、津波、火山の噴火……そういった、人類ではどうすることもできない、抵抗すること自体が馬鹿馬鹿しいと感じるような現象だ。


 それでも、ユーリは剣を握るしかない。

 何故ならこの場には、守るべき仲間がいる。


 ユーリは遠くにある第八遠征隊の拠点を見た。マオが丹精込めて創ってくれた頑丈な拠点だが……恐らくこの攻撃には耐えられない。


「マオ!! 少しでも多く防ぐぞ!!」


「分かっておる!!」


 ユーリは無数の斬撃を放ち、マオも無数の砲撃を放った。

 たった一つの水塊を相殺するのに、二発の斬撃か五発の砲撃が必要だった。だというのにヒュドラは今も一度に九つの水塊を吐き出している。ユーリたちは最初から、質量で負けている。


「――ッ!? 隊長!!」


 ヒュドラを一瞥したユーリは、慌ててロジールのもとまで駆け付けた。

 空を向いていたヒュドラの頭が、いつの間にかこちらを向いて狙いを定めている。


 頭上からの雨。

 正面からの狙撃。

 まるで殺意を持つ災害だ。化け物が知性を持つとこうなるらしい。


 ロジールを守るべく、ユーリは迫り来る水塊を斬撃で断った。

 だがその余波が、ユーリの全身に叩きつけられる。


「が――ッ!?」


 激痛が走り、ユーリの視界が真っ赤に染まった。

 命を救われたロジールは、吹き飛ばされたユーリを見て涙を流す。


「くそ――ッ!! 何故だ! 何故、俺の攻撃は通らんのだ――ッ!!」


 ロジールの叫びが、ユーリの意識を呼び覚ます。

 だが掠れた視界の中で、ユーリはその手に握るものを見た。


(剣が……)


 刀身がない。根本から折れてしまったようだ。

 道具を恨むことはできない。大蛇の攻撃を凌いだ回数は一度や二度ではないのだ、むしろよくここまで保ってくれたと褒めるべきである。


 だが、剣を失った今、ユーリはもはや戦力ですらなかった。

 敵は九つの首を持つ山の如き大蛇。殴る蹴るが通用する相手ではない。


(……諦めてたまるか)


 初めてヒュドラと戦った時は、まだろくに冒険していないことによる憤りが原動力となった。道半ばで死ぬわけにはいかない。大事な仲間を死なせるわけにはいかない。そして何より、まだ女神をぶん殴っていない。そういう想いがユーリの背中を押した。


 だが今のユーリには、それらとは全く別の想いがある。

 ここまでの冒険は波乱に満ちていた。第八遠征隊の仲間たちは心が折れかけている。ミルエの信心には罅が入り、レイドは自信を喪失した。第七遠征隊の顔見知りたちは既に亡くなっており、ガレスは謎の靄によって身体を乗っ取られていた。


 踏んだり蹴ったりだ。

 ここが人外魔境であることを改めて思い知らされた。

 それでも――。


 それでも――――

 古代の塔を探索した時、庭園だの船だと王冠だのといった秘宝の存在を知った時。

 この大陸に眠る壮大な謎に触れた時、ユーリは自分が冒険しているという実感を強く得た。


「俺は、もっと……」


 無意識に唇から想いが零れた。

 それは決して、仲間たちを守るという殊勝な心掛けではない。

 前世からの渇望。この大陸ではそれが叶うと知ったユーリは、獰猛に笑う。


「もっと……この大陸を楽しみたい……ッ!!」


 目の前のヒュドラでさえ、ユーリにとってはの一つ。

 獰猛な双眸を輝かせるユーリに、ヒュドラが一瞬だけ鼻白んだ気がした。

 その時――――。


【宝座の最適化が完了しました】


 頭の中で声が響く。

 ドクン、と心臓が脈打った。


【各権能の習熟度をもとに、宝座の力が調整されました】

【空の宝座・第一の権能が解放されました】

【空の宝座・第二の権能が解放されました】


 立て続けに声が聞こえる。

 なんだ……?

 今までとは違う感覚がする……。


【空の宝座が覚醒しました】


 その声が聞こえたと同時に、ユーリの頭に情報の波が押し寄せた。

 分かる。自分が今、どんな力を手にしたのか。

 空の宝座が、真の姿を見せたことが――。


「第一の権能――――」


 新たに手にした権能を、ユーリは発動する。


「――――《顕現》」


 その手に光が集結した。

 淡い燐光が一振りの刃と化してユーリの掌に収まる。

 神秘的な光を纏う真っ白な刀身の剣を、ユーリは力強く握り締めた。


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