第31話 死闘


 有り得ない、とユーリは思った。

 こちらに剣を向けているガレスは幻影か何かだと考えた。だが眼前の男が発する圧力は、紛れもなくユーリの肉体に注がれている。熟練の戦士が発する明確な敵意は、ユーリの甘えた考えを否定した。


「ふざけているわけじゃ、なさそうだな」


 戦いのスイッチを入れなければならない。

 原因の究明や、ガレスとの会話よりも……この男と戦うことに意識を割かねばならない。

 だがその前にユーリはマオたちの方を見た。


「マオ、レイドたちを連れて逃げろ」


「……お主一人でこの男を相手にできるのか?」


「やるしかない。この間合い、マオは得意じゃないだろ?」


 歴戦の猛者であるガレスは極めて冷静だった。ガレスが一番避けたい状況は、ユーリとマオが連携して自身を潰しに来ることだ。だからガレスは今、レイドとミルエを標的に見据えていた。ガレスがこの二人を攻撃したら、ユーリとマオのどちらかが庇うしかない。そうすれば連携を未然に防げる。


 ユーリとマオにレイドたちを見捨てる選択肢がない限り、ガレスは執拗にこの場の足手纏いであるレイドたちを狙い続けるだろう。


「心配すんな。俺が一番、この男を理解している」


 実際のところ、たった今この男のことが理解できなくなったばかりだが、それでもこの中ではユーリが一番ガレスの戦い方を知っている。


 ユーリの覚悟を知り、マオはレイドとミルエを連れて森の闇に姿を消した。レイドもミルエは、いつもなら抵抗の一つや二つしそうなものだが、今回は素直に従ってくれた。レイドは力量不足に悩んでおり、ミルエは道標を失っている。それぞれの境遇には同情するが今ばかりは助かった。


 ガレスの剣が迫る。

 剣で受け止めると微かに腕が痺れた。それを見越したかのようにガレスは左手を空け、そこに《換装》で盾を出現させる。


 豪快に振り回された盾を、ユーリは屈んで避けた。

 頭上の大気が弾け飛ぶ。直撃していたら確実に死んでいただろう。


 殺す気だ。

 ガレスは、ユーリを殺す気だ。


「……何か言えよ、会話如きで気が散るようなタマじゃないだろ」


 ガレスは何も答えずに距離を詰めてきた。

 舌打ちしたユーリは、集中を研ぎ澄ませた。


 ――《明鏡止水》。


 世界が白黒に染まる。

 極限の集中力を発揮したユーリは、盾の投擲というガレスの不意打ちに対し、一切の混乱なく回避してみせた。


 ――《換装》。


 投げられた盾が木と衝突し、背後で音が響くと同時に、ガレスは槍を持った。

 剣を振るおうとする度に槍で牽制される。極限の集中状態に入ったユーリですら、槍を持ったガレスが相手だと懐に潜り込めない。ガレスはあらゆる武器を極めているが、全てを均一に極めるというよりは用途に応じた訓練を積んでいた。ガレスにとっての槍術とは、敵との間合いを保つための手段。その一点に限り、ガレスの技量は他の追随を許さない。


 ――《超感知》。


 その瞬間、ガレスの目線や息遣いから再び《換装》が発動されることをユーリは察した。

 先程投擲されたガレスの盾。その盾は木の幹にめり込んでおり、そしていつの間にかガレスとあと一歩の距離にあった。――なんてことだ。この嵐のような猛攻の中で、ガレスはこちらに悟られぬよう位置を調整して盾の回収を試みていたのだ。


 ガレスが足を伸ばして盾に触れた瞬間、《換装》を発動する。

 ガレスの手にあった槍は、盾に持ち替えられ――――そしてガレスが持っていた槍は、木の幹から突然生えてきた。


(化け物だろ)


 生えてきた槍を避けると、ガレスはそのまま槍を握って横に薙いだ。

 跳躍して薙ぎ払いを避けたユーリは、そのまま後退して木々の影に身を潜める。


 愚直に戦う必要はない。このまま時間を稼いでマオが来るのを待てばいいのだ。《超感知》を使えば周辺環境の情報を逐一取得することができ、葉の微かな動きからガレスの現在位置を把握することが可能である。地の利はこちらにあった。


 ――《大伐採》。


 刹那、周辺にあった木々が一瞬で薙ぎ倒された。

 切断された木々の幹が倒れ、ユーリを押し潰そうとする。


「っ!?」


 予想外の光景に、《明鏡止水》の発動中でも驚いてしまう。

 木々がまとめて薙ぎ倒されたことで、視界が開けてしまった。隠れていたユーリは立ち上がり、ガレスと目が合う。


(……権能を隠し持っていたのか)


 今のは〝木こり〟の権能だ。効果は、周辺の木を伐採するというシンプルなもの。隠していたというより話す必要がないと判断したのかもしれない。


「本当に、やる気なんだな」


 静かに息を吐いたユーリは、力強く剣の柄を握った。

 別に――自分一人でガレスを倒せないから、時間稼ぎを意識したわけではない。

 ユーリがガレスに勝てなかったのは二年前の話だ。あの頃はまだ身体の成長が技術に追いついていなかった。


 だが、ユーリの前世は勇者である。

 数多の魔族を倒し、遂には魔王の喉元に刃を突きつけたほどの修羅だ。百戦錬磨などという言葉では言い表せないほどの場数を踏んできた。潜り抜けた地獄の数で比肩する者はいない。


 無論、その戦歴は女神の言いなりになった結果、手にしたものだが……裏を返せば、嫌だ嫌だと拒絶しながらも無限に勝利を重ねてきたのだ。ユーリはいつだって乗り気ではなかったが、それでも勝ち続けるほどの力があった。


 人類最強。

 勇者の肩書きと共に得たその境地は、伊達ではない。


「ガレス――」


 本気を出せば殺してしまうかもしれない。

 それが時間稼ぎを優先した理由だった。だが、この男を甘く見るのはもうやめた。理想を求めすぎると足元を掬われる。そのくらいこの男は強かった。


 ――《斬撃》。

 

 ユーリは三日月状の衝撃波を放つ。

 ガレスは《換装》で盾に持ち替え、衝撃波を防いだ。


 盾によって弾かれた斬撃が空中に散る。

 だがユーリは、その弾かれた斬撃に向かって更に斬撃を放った。

 弾かれた一発目の斬撃が、続く二発目の斬撃によって形を歪ませる。


「――次は絶対勝つって、言っただろ」


 ガレスが盾で弾いたはずの斬撃は、空中で向かう先を変え、再びガレスを斬りつけた。

 死角からの一撃。背後から訪れた斬撃を、ガレスは為す術なく受けてしまう。


 大蛇との戦闘でユーリが見せた、斬撃の盾。あれと同じ原理の技だった。

 使いどころは限られるが、こちらの方がむしろ簡単な技である。死角からの一撃を実現しやすいこの技は、対人戦では特に効果を発揮しやすい。


 ガレスは背中から血飛沫を上げながら、体勢を崩した。

 そのまま倒れるかと思われたが――すんでのところで剣を杖代わりにして立て直す。


 死んでいない、という安堵がなかったと言えば嘘になる。

 だがそれ以上に驚いた。今のは致命傷となったはずだ。死なないにせよ、まさか意識すら失わないとは……。


『……忌々しい』


 悍ましい声が聞こえると同時に、ガレスの身体から黒い靄が噴き出た。

 靄はぼんやりと人間の形をしているように見える。そう思った矢先、ガレスが肉薄して剣を閃かせた。


(戦い方が変わった?)


 ガレスのことをよく知るユーリは、その踏み込み一つで変化を察した。

 薙がれた剣を避けると、間髪を入れずに蹴りが迫る。そこは、いつものガレスなら《換装》で槍に持ち替え、牽制しながら距離を取るはずだ。


 柔と剛、近と遠、あらゆる状況を駆使して常に有利に立ち回るのがガレスの戦い方である。それが《換装》という権能と相乗効果を成すのだ。だが黒い靄が出た途端、ガレスは急に接近戦を好むようになった。豪快な体捌きは読みやすいが、その分、力が込められている。ジリジリと獲物を追い詰めるガレスの戦い方は、当たれば勝つという力任せなものへと変貌した。


 有り得ない。

 どう考えても、これはガレスではない――。


「お前、誰だ」


 ユーリの問いに、ガレスではない何者かが足を止めた。


『《第六感》……いや、《超感知》か。レアな権能を持っている』


 悍ましい声が聞こえる。だがよく見ればガレスの唇は動いていない。

 声を出しているのは、ガレスに纏わり付いた人型の靄だ。


 ガレスの身体が動き、傍にあった木の幹から何かを取る。

 その手には、空間歪曲現象を起こす装置があった。


『あまり節操なく奪わないでほしいものだな。数に限りがあるんだ』


 黒い靄が、微かに笑ったような気がした。

 だがユーリは、そんなこと気にも留めずに大地を蹴る。


「――知るかよ」


 ユーリの振るった剣が、ガレスの《換装》によって現れた盾で防がれる。

 甲高い金属の音が轟くと同時に、双方の間に火花が散った。


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