第8話 遭遇

 俺が外界へと降り立ち、数日が経っていた。

 とはいえ、その数日のほとんどが家の中や庭ですごすことになった。


 ずっと培養槽の中にいた俺が、急に外に出されたのだ。

 体への負担を考え、慣れるまではあまり無理をさせないというのが両親の考え。

 断る強い理由も無いので、俺もそれに従った。


 しかし、だからといって退屈というわけでもなかった。

 むしろ、刺激的だったと言ってもいい。

 初めて見る世界はドーパミンが出まくりだった。


 なにしろゲームでしか見たことのないような世界が、本物として目の前に広がっているのだから。

 庭から見える外の景色は壮観だった。

 統一感のある家が密集して建ち並び、その奥には城まで見える。

 我が家は少し小高い場所にあったので、それらが一望できた。

 こんな世界に魔法まで存在しているというのだから、ワクワクしないわけがない。


 遠くの方に町を一周する高い城壁のようなものが見えたのでクルトに質問すると、それは魔装防壁だと教えてくれた。

 魔装防壁とは、防御魔法が施された防壁のことで、魔物から町を守る為に存在しているのだという。

 低級の魔物はそれがあるだけで町には入ってこられないらしい。

 空を飛べる魔物に対しては、魔装防壁の上に等間隔に建っている塔から魔法で撃ち落とすのだそうだ。


 大袈裟過ぎるほどの建造物だが、これだけ防衛に力を入れている理由は、それだけ魔物が脅威であるということ。

 魔物は人間を食料としており、これまで多くの人が犠牲になっているのだとか。


 だから人間達は、こうやって一箇所に集まり、密集した町で暮らしている。

 その方が外敵から人々を守り易く、また攻勢に出る際も戦力を一点に集中させ易いのだ。

 そういった理由から、この巨大都市国家フェルガイアが形成されていた。


 この町一つが国そのものであり、王も存在している。

 他国との交易も行われてはいるが、防壁の外は魔物が我が物顔で闊歩している地なのでそれも命懸けだ。

 だから食料などは、できるだけこの国だけで賄えるようにしているらしい。


 ともあれ、今日はそんなフェルガイアの中心地にクルトと一緒に出かけることになっている。

 教会へ魔力の判定に行く為だ。

 俺としては、初めて我が家の庭より外に出ることになるので胸が弾んでいた。


「いってらっしゃい。気をつけてね」

「ああ、行ってくる」

「ママ、ばいばい」


 ディアナに見送られ、俺とクルトは家の門を潜る。

 そこで手を振るディアナを振り返ってみると、改めて俺の家ってデカいなーと思う。

 家族三人で住むには大きすぎる横に長い二階建て、そして周囲を囲う広い庭。

 近くを見回しても、ここまで大きな家は他に無い。

 そこはやはり貴族の家を感じる。


 貴族と言えば今、俺達の目の前に止まっているこれ。

 馬車だ。

 この町は広大だとはいえ、移動に馬車を使うあたり貴族っぽさを感じる。


 上品な感じの御者にワゴンの扉を開けてもらい中へ乗り込む。

 中は意外と狭く、クルトと寄り添うように座った。


 程なくして馬車は軽快に走り出す。

 車窓から見える風景は家々の間隔が狭いので目まぐるしく移り変わる。

 その様子を見ていると、限られた土地で我が家は結構、余裕を持った造りになっているんだなあと感じる。


 しばらくそのまま走り続けると、車窓から良い匂いが入り込んでくる。

 何かの香草と肉を炭で炙り焼いたような芳ばしい香りだ。

 あまりに上手そうな匂いだったので、思わず鼻から深呼吸する。

 すると、その様子を見ていたクルトが、にんまりとした笑顔を浮かべた。


「良い匂いだろ? こいつはオットマーの店の串焼きの匂いだ。あそこで出してくれる羽兎の串焼きは物凄く旨いんだぞ。今度、一緒に食べにいこうな」

「うん!」


 味を想像してクルトは身震いしていた。

 その姿を見ただけで、もうその店が当たりなのが分かる。


 培養槽から出てから初めて口にしたのがディアナが作る手料理だった。

 それが超絶旨かったので、その店にも期待できる。

 羽兎っていうのが一体、どんなものかは分からないが、この世界の人間と味覚が同じってことが保証されているのだから安心だ。


 楽しみだな。

 どんな味なんだろ。

 今から期待に胸膨らませていた時だった。


 突然、周囲の空気が変わった気がした。

 穏やかだったものが急に張り詰めたような感覚。

 一瞬、気のせいかとも思ったが、そうでもないようだ。

 隣を見ると、さっきまで和やかな様子だったクルトの表情が緊迫したものに変わっていたから。


「どうしたの?」


 恐る恐る尋ねると、彼は視線をこちらに向けずに言う。


「いいか? 何があっても、しっかりそこに掴まっているんだぞ」

「……うん」


 それだけで良からぬことが起きようとしていることが分かった。

 俺は座席にしがみつくような体勢になる。


 そこでクルトは目を瞑った。

 集中して神経を周囲に張り巡らせているようだった。

 しかし、その目はすぐに見開かれる。


「そこかっ!」


 突如、クルトは馬車の天井に向かって手を伸ばした。

 途端、その手に五角形の光が浮かび上がる。


 あっ!? あれは……!

 どこかで見たことのあるその形に、思わず声を上げそうになった次の瞬間だった。

 五角の形をなぞるように真っ赤な炎が吹き上がった。

 その炎は一気に膨れ上がり、そのまま馬車の天井を吹き飛ばす。


「シャァァァァッ」


 直後、この世のものとは思えない叫び声のようなものが上がった。


「外したか」


 クルトがそう呟くや否や馬車が大きく揺れる。


「うわあっ!?」


 振り落とされる。

 そう思い、必死に座席にしがみついた。

 恐らく今の衝撃で馬が驚いたのだろう。


「ひっ!? ひぃぃぃっ!」


 すぐさま前方から御者の悲鳴が聞こえてくる。

 クルトは窓から顔を出し、外を確認する。

 俺も気になって隙間から同じ方向を窺う。

 すぐに目に入ってきたのは黒々とした体皮。

 その全体像を目の当たりにした時、俺は驚愕した。


「な……」


 それは巨大な蟻だった。

 大きさにしたら全長二メートル近くはある。

 そいつが、たくさんある脚をカシャカシャ言わせながら物凄いスピードで馬車と併走していたのだ。


「低級の魔物だ。なんでこんな街中に……」


 クルトの口からそんな言葉が漏れる。

 あれが魔物?

 俺が想像していたものと全然違う。

 魔物といえば、スライムとかゴブリンとかスケルトンとか、そういうファンタジーの定番みたいなものだとばかり思っていたので意表を突かれた。


 巨大な黒蟻は鋭い牙を頻りに動かし、金属が擦れ合ったような不快な音を立てる。

 どうやらこちらに飛び掛かろうとしているっぽい。

 御者はあまりの恐怖に馬の制御を忘れそうになっていたが、クルトが一喝する。


「止めるな! そのまま走らせるんだ!」

「は、はいぃっ!」


 馬車が走り続ける中、クルトは腰の剣を抜く。


「やっぱ俺にはこっちの方が性に合ってるな」


 そんなことを呟くと、彼はいきなり馬車の扉を蹴破った。

 何をする気だ?


「パパ……?」

「大丈夫だ。そこでじっとしてるんだぞ」


 彼は俺に優しく微笑むと、そのまま馬車の外へと飛び出した。

 俺はすぐさま窓辺にがぶり寄る。

 すると、黒蟻の背中に剣先を向けて宙を舞うクルトの姿が目に入ってきた。


「着火」


 クルトがそう口ずさんだ途端、彼の手から例の五角形が現れ、それが瞬く間に辺同士を繋ぎ、連鎖増殖してゆく。

 増殖した五角形が剣全体を包み込むと、それをなぞるように紅蓮の炎が燃え上がった。


「炎裂斬ッ!」


 落下と同時に炎をまとった剣で黒蟻の胴体を叩き斬る。


「シャギャァァァァァッ……!!」


 途端、断末魔の悲鳴が上がった。

 黒蟻の体は真っ二つ。

 それがすぐさま燃え上がり、消し炭になっていく。


 すげー……。

 これが魔壊士か。

 感心していると、停止した馬車にクルトが近付いてくる。


「怪我はないか?」

「うん、なんともないよ」

「そうか」


 そう言って、俺の頭を撫でてくれた。

 いやあ、クルトって、ガチで強かったんだな。

 あれが魔法かー。

 あんなのが俺にもできるのか?


「パパ、かっこよかった」

「ん? そうだろ、そうだろ。パパは格好いいんだぞ。ふふ……」


 クルトはデレっとした感じでふんぞり返る。

 さっきまでのきりっとした格好良さが台無しだぞ。

 でも面白いから、もっと煽ててみるか。

 俺は前みたく指で円を作ってクルトに見せる。


「パパの手から、こういうのがパーッて、いっぱい出て、すごかったね」

「……!」


 言った途端、クルトの表情が固まったのが分かった。

 さきまでの和やかな雰囲気はどこへ?

 なんか俺、またマズったこと言った??


「ネロ……お前……」


 クルトは信じられないものを見たという顔をする。

 そしてこう尋ねた。


「魔角が見えるのか……?」


 え?

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