囚われ王子と闇の精霊(ソムネア物語)

二十三

第1話 北の国ブレシア

「冷たっ!」

 突然の冷たい刺激に、スレイトは反射的にベッドから跳ね上がった。

「……どこだ、ここ?」

 一瞬、自分の居場所がわからなかった。夢の残像が頭の中をよぎる。

 さっきまで見ていた夢と現実が入り混じり、ぼんやりとした意識の中で周囲を見渡す。次第に目の前の景色がはっきりとしてきて、自分が自室のベッドにいると理解した。冷たさを感じ、前髪に手を伸ばすとぐっしょり濡れていた。

「あ? なんだ……これ?」

 ————シュッ!

 スレイトの目前を、何かが素早く横切った。

 直径七センチほどの丸い薄透明の球体が、彼の目の前でぷかぷか浮いている。そうかと思えばピンボールのように室内を素早く移動しているモノもいる。

 球体の中央には穴が開いていて、規則的に閉じたり開いたりしていて、それらが彼らの目と鼻だと見てとれる。おまけに手足のような突起もあり、背後には翼のようなものが付いていた。

 球体たちは、スレイトの周りをぐるぐると周り、やがてそれらの一体が液状と化し、スレイトの上部から滝のようになって流れ落ちた。

「うわっ……ぷはっ! やめろハイドリーズ! もう起きてるって!」

 スレイトは、さらに追撃を狙うハイドリーズを掴み、ぎゅっと握りしめた。

「いや、確かに今日は遅刻できねぇから起こしてくれって頼んだけどさ。でも、ちょっと荒っぽすぎねぇか?」

 透明の球体は瞬きを繰り返してスレイトを見つめていた。

「あーあー。もういいよ!」

 ベッドから降りて不服そうに歩き出すスレイトを、ハイドリーズたちがじっとりと目で追う。

「おかげで頭洗う手間が省けたわ! とりあえず礼をいうよ」

 ハイドリーズたちは嬉しそうに背中の羽を素早く揺らした。



 スレイトはクローゼットから制服を引っ張り出すと、素早く着替えて姿見の前に立った。軽くポーズを取りながら、鏡に映る自分をじっと見つめる。

 濡れた前髪が額に張り付いているのが気になり、指で軽くほぐしながら、髪全体を立たせた。鏡越しに、少し上目遣いで自分に微笑む。

「うん、今日も俺はバッチリイケてるな!」

  満足げに何度も顔の角度を変え、ポーズを取っては確認を繰り返す。

「くぅぅー、我ながらかっこいい〜!」

 スレイトは自分の顔が好きだった。それは、若い頃の父親にそっくりだからだ。成長すれば、今の父のように渋く、美しく、そして国民から尊敬される国王になれると信じている。 彼は時間も忘れて、鏡に映る自分の引き締まった顔に見惚れていた。

 太陽の光を浴びた新雪のように輝く白銀の髪、健康的な褐色の肌、そして燃え盛る炎のように揺らめく瞳。

 もう一度、ポーズを取ろうとした瞬間、鏡の隅に映る壁掛け時計が目に入り、スレイトはギョッとした。

「やばっ! 自分の顔に見蕩れてる場合じゃなかった!」

 スレイトが慌てて自室を飛び出した瞬間、ちょうど部屋の前を横切った少女と激突した。衝撃で少女はバランスを崩し、その場に尻餅をついた。

「きゃぁっ!? ……いたた」

 顔を上げた少女は、スレイトを見るやすぐに立ち上がり腰を折った。

「し、失礼いたしました! スレイト様!」

「だ、大丈夫か!?」

「は、はいっ!」

 少女は頭を下げたまま答えた。

 足元が生まれたての子鹿のように震えている。

「そんなビビんなくていいよ。……ってかこっちこそ悪かったな。俺、急いでっから。帰ってから改めて謝罪させてくれ!」

 スレイトは廊下を突っ切った。

「そ、そんなっ、わたくしが悪いのですから———スレイト王子〜!」

 少女の声が、回廊にこだました。



 スレイトは城内を行き交う人々をかき分け、すり抜けるように西の塔の螺旋階段へ向かった。彼が通り過ぎるたび、元気な挨拶が飛び交う。

 スレイトも一人一人に軽く挨拶を返しながら、突風のような勢いで西の塔に滑り込んだ。薄暗い塔内は、ひんやりと冷たい空気に包まれている。その冷たさが肌に染み込むのを感じ、吐く息は白い。冷気が喉を通り抜けるたび、スレイトは心地よい刺激を覚える。

 スレイトはこの国の、ここの空気が好きだった。彼の周りを漂う精霊たちも、寒さを喜んでいるのが分かる。

 寒さはスレイトに力を与えてくれる。



 ソムニアーク北、最北の国ブレシア――そこは年中雪に覆われた極寒の地。

 スレイトはこの国の王子として誕生した。

 ブレシアを出たことがない国民は雪のない景色を知らない。彼らが知っている森や山は全て、スレイトの髪の色と同じ白銀のみ。平均外気温マイナス150度にもなるこの国で人々が生活できているのは、ブレシアが古より火の精霊の加護を受けているおかげである。

 寒冷地を好む魔獣や聖獣でさえ、火の精霊なくしてブレシアでは生息できない。

 火の精霊と聞くと、熱いところを好むように思われるが実は違って、彼らは比較的寒い場所を好む。寒ければ寒いほど、彼らは熱を放出できるからだ。

 おかげでブレシア城内も、薪をくべることなく、精霊たちによって常に暖かく保たれているが、問題は、精霊たちは非常に気まぐれで、気分次第で持ち場を離れてどこかへ行ってしまうことがよくあった。

「うー、さぶぅ。西の塔担当の精霊、またサボってやがるな」

 

 スレイトの隣では、丸い球体————水の精霊ハイドリーズが冷蔵庫で冷やした氷のように固まっていた。

 ピキッ! と、突然ハイドリーズの体に亀裂が入り、ピシピシと音を立てて粉々に崩れ落た。崩れ落ちた粒はすぐに空中で収集し、また元の水水しい球体となってスレイトの周りを飛び回った。

 ハイドリーズはその行為を面白がっているようで、何度も繰り返していた。

「火の精霊が近くにいないと、お前ら楽しそうだな〜」

 スレイトはシャボン玉みたいなハイドリーズの体を指で押した。パンっという破裂音とともに飛び散った。

「うわっ、冷てっ!」

 弾けた水しぶきを顔に浴びたスレイトは身震いした。

 火の精霊がいないと、ここの寒さは人間の体には堪える。城内の石壁は、氷壁のようにパリパリと音を立てて白く変色し始めていた。

「やばいな……このままじゃ、氷の城になっちまうぞ。宮廷魔法士たちに精霊を呼び戻すよう伝えておかないと」

 スレイトは火の精霊の一体に言伝を命令した。


 

 螺旋階段の最下層にたどり着き、長い通路の突き当たりに差し掛かると、三メートルほどの頑丈そうな扉が現れた。扉には取っ手がなかった。

 スレイトは扉に手を翳し、呪文を唱えた。

「リベラティオ、ポルタ!」

 扉の周りに青い光がほとばしった。

 重苦しい鉄の扉が、音も立てずにすっと消えた。

「早く、早く、急がねぇと……学校に遅刻するっ!」

 スレイトは駆け足で中央へ進んだ。

 しかし、すぐに金縛りにあったかのように体を強張らせるとその場で固まった。

「おはようございます。スレイト様」

 重苦しい漆黒のローブに銀色の鉄仮面を付けた魔法士が二人、暗闇の中から現れた。

「あ……う、うん、おはよ……」

 スレイトは引きつった笑みを浮かべて彼らに返答した。

 毎度のことなのに、彼らには驚かされる。

 魔法士は怪しげな面をつけていて表情がわからない。実際、人間かどうかも定かではない。

 彼らは賢者の街セントラムから派遣されている魔法士で、魔法陣の管理をしている。誰かがポータルの封印を解くとここに現れる仕組みになっている。

「どうぞ魔法陣の方へ」

 二人の魔法士は一寸違わぬ動きでスレイトに手を差し伸べ、中央の魔法陣へ促した。

「あ、うん……」

 スレイトは生唾を飲み込んだが、口内の乾きのせいでうまく飲み込めず、喉に引っかかるような感覚に咳払いをした。

 緊張していることを悟られたくない。そう思いながら、できるだけ堂々と歩を進める。

 部屋の中央では、魔法陣が異様な光を放ちながら様々な色に揺らめき、不規則に明滅している。ブーンという電気音のような不気味な響きが耳に届く。

 四隅には槍を持った鎧兜が飾られ、どれも魔法陣の方を向いている。その傍らには巨大な氷が並び、中には馬や牛、豚、さらには小型のドラゴンの首だけが氷漬けにされていた。

「ぐ……っ! やっぱ、何回やっても慣れねぇ。転移魔法(ポータル)は」

 スレイトは恐る恐る魔法陣に近づき、中を覗き込んだ。

 脂汗が額から流れ出し、こめかみを伝って胸元へと滴り落ちる。全身の細胞が恐怖を感知し、鋭い刺激が走る。足は、先ほどの女中のようにガクガクと震え始めた。

「うう……怖ぇ〜」


 スレイトは、大賢者によって造られた転移魔法陣〈ポータル〉が大の苦手だった。

 飛空挺やドラゴンに乗って移動するほうが死亡率が高く、転移魔法陣を利用しての移動の方が比較的安全と知りながらもスレイトは恐怖心に襲われていた。

「さぁ、スレイト様」

 鉄仮面をつけた魔法士たちがスレイトを急き立てる。

「わ、わかってる。今、入るって!」

 一度も失敗がない大賢者が施した魔法陣でも、なにかのはずみで術式が消えたり、欠けたり、魔力供給が途絶えて失敗することがあるかもしれない。 

(うぁあ。嫌だあぁあ。なんで、学園は陸地﹅﹅にねぇんだよぉ!)

 スレイトは内心で泣き喚いていた。

 彼は重度のポータルフォビア(転移魔法陣恐怖症)だった。

 失敗したときのことを考えれば考えるほど恐怖が体を支配し、心臓が早鐘を打って全身に小虫が這うような痺れを感じるのだった。

「な、なぁ? ま、万が一、移動に失敗したら……」

 スレイトは油の抜け落ちた機械人形のように、ぎこちない動きで振り返った。

「この魔法陣は大賢者ホーンフェルス様が施した魔法陣ですので心配ご無用です」

(だったら、なんでお前らがいるんだよ! 失敗した時の施術要員だろ?)

 スレイトは心の中で悪態ついた。

「さぁ、はやく、スレイト王子!」

「わ、わかってるってば! 押すなって! 押すなよ!? これ、マジの意味だからな!?」

 そうだ。こんなところでいつまでもウジウジしてられない。今日は大事な日だ。遅刻はできない。

「俺は、将来この国を背負う王となる者!」

 スレイトは勇気を振り絞った。はずだった。

「あ、あのさ……やっぱ俺、ドラゴンで……」

「早く入ってください、スレイト王子」

 ドンッ!

 魔法士により蹴り落とされたスレイトは、バランスを崩しながら勢いよく魔法陣の中へ転がり落ちた。

「お、お前らぁあっ! 俺は、この国の王子だぞぉぉぉぉぉーーーーーーーーー!」

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